「——あ、」
道が別れる。あたしはするりと傘から抜けようとした。笑って、おどけるように頭を下げる————
「っうわ、何やってんの! 折角傘入れてやってたのに濡れたら意味ないだろ」
(————……あれ?)
ありがとう、すら口にする前に傘は再びあたしの頭上を覆った。自然、佐川と向き合う形になる。
……あれ?
「えーと、でも佐川」
「うん?」
「あたし達、ここで別れるよね?」
「え、なんで」
なんでっておまえ。
あたしは教室での会話を反芻する。そうしてから、ううん、と唸った。
「途中まで、だよね?」
「何が」
「一緒に入れてもらうの」
言うと、佐川は漸く気付いたように瞬いた。
「……ああ、そうだな」
「うん」
「でもまだ話終ってないし」
「……うん? それ眠り姫がどうたらなこと?」
まだ終ってなかったの?!
まじまじと佐川を見つめると、何か考え込むような色をした瞳がゆっくりとあたしを見る。
その口が酷く緩慢に動いた。雨の音に紛れるような声が、耳まで届く。
「朝倉が眠り姫だったら、あのエンディングでいいのか?」
はぁ? と、返したくなるような言葉だった。だけど何故だか出来なくて、ただ呆然とする。
「前も話しただろ」
「いつの、話」
「衣装のサイズ測った時」
あたしは一瞬考えて、ああ、と呟いた。ああ、あれか。
「相乗効果でひと目惚れ?」
「いやまぁその時のことだけど何で敢えてそこをとった」
「いやなんとなく。……うーん、どうだろうねぇ」
あたしが眠り姫だったら、かあ。
……雨のせいじゃなく、なんだかものすごく寒々しい。姫とか似合わないから。
でも、もし、そうなら。
「……分かんない。けど、少なくとも、そのひとを好きだったなら、いい」
たとえ恋ではなくても。
少しも好きでないひとに起こされるのは、あんまりな気がする。
「佐川は?」
「は?」
「佐川が眠り姫だったら?」
「……せめて王子って言おうハルちゃん」
「まぁまぁ。ハルちゃんって呼んだのも水に流すからほらほら」
にこやかにいらっとしながら促す。内心どきどきだ。佐川が。佐川が、眠り姫だったら?
「……相手は自分で選ぶ、かもしれない」
「眠り姫がどうやって選ぶのさ」
「念力的な何かで」
いやいやいや。
そんなギャグっぽい答えが欲しかったんじゃないんだけど。
「たとえ一生独り身でも、好きな相手じゃなけりゃ添わない方が、良いんじゃないかね。と、思うけど」
ふっと佐川は笑った。苦笑するような————自嘲するような、笑みだ。
その眼差しを向けられて。
瞬きすら出来なくなる。
「……どうしてもって、いうのとは」
「え?」
意味深な言葉だ。どういう、と問いかけて、手を取られた。へ、などと変な声が出る。
きゅ、と傘を握らされた。
……え。
ぽかんとするとあっさり佐川が傘から手を離して距離を取る。軽薄極まりない笑顔が憎らしい。
「ほい、じゃあな」
「は?! いや、じゃあな、って——ちょっと!」
「話はもう終ったし」
「終ったの?! って違う。何で傘?!」
「じゃ、また登校日な」
「ってだから待てええぇええぇぇ!」
さっさと反対方向に逃げ出した佐川の後を追う。ばしゃばしゃと水たまりから泥が跳ねた。靴下が汚れる。ああもう!
「————か、え、す!」
ぐいっ、と佐川の襟を掴んで引っぱり、肩と耳の間から傘の柄を滑り込ませる。すっかり濡れてるけど、まぁ風邪はひかないと思う。
「これはっ、佐川の傘なんだから佐川が使う! 何紳士みたいなことしてんの?!」
「いや、朝倉が風邪ひいてきたら寝覚め悪いじゃん」
「あたしだって寝覚め悪いよ! あのね、これっくらいお店の間抜けてけば全然平気っ! 佐川の方が、雨宿り出来るとこ少ないでしょ。らしくないことしないでちゃんと使いなよね」
「や、お礼も込めてだったんだがね。しっかしハルちゃんはまたそういう無茶ぶりを、」
「無茶じゃ、ない! 大体王子役が風邪ひいたら情けなさ過ぎるでしょーが」
「……そらそうだけど。てか全然平気って」
「平気!」
「本当に?」
「もっちろん」
「んじゃ、コレ。役に立たなかった?」
え。
示されたのはもちろん傘だ。深緑のシンプルな傘。
佐川は意外にも真面目な顔で、首を傾げていた。真面目、というか表情の読めない顔で。
あたしはちょっと困惑して、ううん、と首を振った。
「すごく、助かったよ」
「もうびしょ濡れだけどな」
「佐川が阿呆なことするからだって。……ここからなら、平気だから。本当に」
噛み含めるように言う。ほんの少し、佐川の眉が寄った。だけどすぐ、んん、と曖昧に頷いて、
「じゃ、絶対風邪ひくなよ」
……妙に優しく、あたしの頭を撫でた。
少々ぎこちなく。
まるで何か大切なものに触るみたいだと、錯覚しそうになるほど。