文化祭準備は終らない。

 

 教室の片隅でひたすらスローペースに、のんびり針を動かしながら、あたしは微妙にぎこちない演技を見物していた。台本片手に視線をうろつかせながらまさに素人感満載で台詞を紡ぐ様は、なかなかに微笑ましい。彼らのお荷物にならないような衣装を、あたし達衣装班が縫わなきゃいけないんだから、それなりに責任重大だ。というか時間内に間に合うのかどうかすら不安なんだけど。

「春夜ー、今うっかりマチ針飛ばしちゃってさー。そっち来てない?」

「や、ないけど……ってちょっと待て! 何それあぶなっ!」

「ねー、危ないよねー」

 いや危ないよねー、ってお前さんが飛ばしたんでしょうが。がっくりと肩を落とし、きょろきょろ床を探す礼奈に付き合って腰屈める。さすがに針は放っておけない。

 暫く細かいところを探していたら、すんなりマチ針は出てきた。ほっと表情筋を緩めて礼奈に渡す。花咲くような笑顔が返ってきた。

「あーりがとう! いやー、良かった良かった。で、春夜は佐川となんかあったの」

「ぶふっ」

 げ、ごっほ、げはっ、と、あたしは盛大に吹いてから盛大に咳き込んだ。

「な、何言ってんの……?」

「や、なんかあったっしょ」

「ない」

「ここ一週間くらい、なんか微妙に変」

「……聞いてる?」

「キスでもされた?」

「アホかああああああっ!!」

 にっこり笑ってとんでもない発言をする友人に、あたしは真っ赤な顔で吠えた。な、な、な、何だそりゃ! あたしは眠り姫じゃない!

 全力で抗議すると、礼奈は残念そうになって、「なぁんだつまんないの」とのたまった。……どいつもこいつも。

「じゃー何があったのさ?」

「だから何もなかったって」

「一週間前、だよ?」

「……う、っから、本当に、何もなかった、ってば」

 観念してはぁとため息をつく。何だか最近ため息が増えて気がする。

「本当にぃー?」

「本当。ただ、なんか、二人ぼっちになって、寸法測って、眠り姫の話しただけ」

「……眠り姫?」

「何で寝てる自分にキスしてきたぶっちゃけ変態の赤の他人と添い遂げられるのかね、という話」

 そう言うと、礼奈はしごくあっさり、ああ、と頷いて。

「そりゃキスに惚れたんじゃないの?」

「…………………………はぁっ?! 」

 何それ?!

 真っ赤を通り越して真っ青になるあたしに、礼奈は何を狼狽えるとばかりに肩をすくめる。

「ずーっと眠ってて、久しぶりの外部からの刺激に、っていう綱渡り的解釈でも良いけど、純粋にキ、」

「ああああもういい言わなくていい本当にいい!」

 ばばばばっ、と俊速で礼奈の口を封じる。礼奈は半眼になった。

「ひょっふぉ、ひゃへへふんふぁい?」

 ……多分、ちょっと、やめてくんない? と言いたかったんだと思う。

 だ、れ、が、やめるか!

 かああああっと徐々に再び熱気を帯びる頬には気付かないふりをして、あたしはぐるぐるする視界を閉ざすみたいにぎゅっと目を瞑った。そうしながらぐぐぐぐぐっと礼奈の頬を引っ張る。こちらは違う意味で真っ赤になってきていたけど、あたしはまったく、全然、気が回らなかった。

 ……眠り姫の、話だ。

 なのに。

 なのに、何故か、佐川の顔を思い浮かぶ。

(落ち着け。落ち着けあたし。ちょっと暑さにやられすぎなんじゃないの大体佐川は王子なんて柄じゃないでしょ!)

「ひょ、ひょっふぉおおお! ふぁうひゃ!」

 叫ぶみたいな声にはっとする。やば、ほっぺた抓ったままだった。

「あー、ごめん」

「ったくぅ……、あんたどんだけ初心〈うぶ〉なの。佐川ってばかわいそ」

「え、何で佐川が可哀想。関係ないっしょ?」

 口惜しいが初心なのは否定し難い。なんたってこんなに初恋に悩んでいるんだから。あーもうやだ。

 礼奈ははーっと海より深いため息をついて、ひらひらと手を振った。

「あーはいはいお子ちゃまはさくさく衣装縫いましょうね」

「何それー。むかつくなぁ」

「これ以上言ったらさすがに可哀想だから」

「いやもう充分酷いから」

「ばっか、春夜のことじゃないよ」

 ええ?

 まったく礼奈の言うことは分からない。

 あたしは考えることを放棄して、素直に衣装縫いを再開した。

 ……これ本当に終るの?

 

 

 

  *

 

 

 

 

 深緒が、椅子を並べた上に寝っ転がっている。

 ……違う、眠り姫が、天蓋付きベッドの上で眠りについている、だ。

 解いた髪が床につきそうとかは多分気にしちゃいけない。もうこれは演技なのだから。

 深緒の組んだ両手は本当に死んでるみたいに動かない。長い睫が伏せられて、白い頬に影を作っている。

 ナレーションが、朗々と王子の登場をうたった。パッと照明が動く。佐川——違う、王子が魔女を退治た剣を腰帯に戻した。

『おお、なんと美しい姫』

 王子は高らかに姫を讃える。身振り手振りは恥ずかしいほど大仰なのに、これを劇と思っているだけで自然に見える。不思議だ。

『姫君を助けたいと望むなら、口づけを』

 妖精達が口々に王子を急かす。王子は神妙な面持ちで、彫像のように眠る姫に顔を寄せ————

(……あ、れ)

 どくん、と心臓が騒いだ。

 目眩がするよう。痛い。心臓が、くるぶしが、頭の芯が。痛く、て。じくじくする。

(何で……)

 手の甲を、口許を拭うように押し付ける。どくどく、と鼓動は止まない。頻りと嫌な音を立て続ける。

 どうして。

 こんな。

 お芝居に。

 あた、し。

「……春夜?」

 気遣わし気な声。どうしたの、と佑香が覗き込んでくる。あたしは慌てて、何でもないとばかりに笑った。ちょっと疲れが出ちゃって、と取り繕う。

 取り繕う。

 確かに、恐怖を覚えた、この心を。

 そうしている間に、劇は終盤を迎えていた。

 制服姿の姫が目醒める。

 制服姿の王子が歓喜する。

 そして制服姿の眠りの余波を受けていた城の役人たちが次々と目覚めて万歳をする。

 通し稽古の完了に、観ている側は笑いながらおざなりな拍手。

 あたしはそっと息を詰めてから、紛れるように震える手の平を叩き合わせた。

 

 

 

 

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