「春夜、どうだった?」
千乃は笑顔で台本を打ち鳴らした。……何やってんのこの人。
「どうって……よかったと思うけど。皆よくこの短期間で台詞覚えれたね。あたし絶対無理」
「そこじゃなくて」
「……ニワカとかカンペキとかあたしには分かんないよ? 大根過ぎ、とかはなかったと思うけど……」
そんな難しいことを求められても困る、と眉を寄せると、千乃は「だーっ!」と綺麗に結い上げた頭をぐっしゃぐしゃにかき混ぜた。
「……何納得いかない曲かいて癇癪起こした作曲家みたいなことしてんの」
「しっつれーな——って違う! そおじゃなくて!」
じゃあ何なんだ。
ほっといてもう帰ろうかと鞄を引き寄せる。と、ぐいぐいと腕を掴まれた。げんなり。
「だから何の話」
「だぁからー! 佐川、どうだった?」
「……————佐川?」
何で佐川オンリー。
てか佐川がどうした。
意味が分からずに首を傾げたら、千乃は心底情けない顔をした。
「王子姿。何にも思わなかったわけ?」
「制服のままだったし」
「そういう意味じゃなくて! 姫がよかった、とか。ないの?」
瞬く。
あたしはうっかり動きを止めて、千乃を凝視してしまった。
……なんだか、ものすごく意外な話になったような。
「え、ない。けど?」
「えええええ」
なんでー? としゃがみ込む千乃と視線を合わせるようにあたしもしゃがんでみる。頭を抱える姿はなかなか珍しい。あたしはにっかと笑った。
「何でそんな話?」
聞けば千乃は恨めしそうにあたしを見る。
「あんたが強情だから」
「あたし?」
「そう。深緒も、心配してる。さすがにもどかしくて」
心配。
あたしは再度瞬きした。
「……………………何が?」
「もおおおこれだからあああああっ!」
ぐあーっ、とそれこそもどかしそうに叫ばれて、あたしはぎょっと仰け反った。何急に。こわいって。
とか思っていると千乃はばっ、と勢いよく顔を戻して睨んできた。
「あんた達って何でそう面倒なの」
「意味分かんないし。ていうか達、ってあたしと佐川のこと?」
「他に誰がいんのよ!」
「いやそこに何で佐川がくるのか分かんないんだけど」
全く関係ない気が。だって、あたしが、ただ想ってるだけだ。
ただ。
持て余している恋情を、捨てられないでいるだけだ。
「…………春夜自身のことは分かってるわけ?」
「え?」
「佐川が、ってそういうことじゃないの」
「……まぁ。うん」
「自覚?」
「結構前からだよ。知ってるでしょ」
「知ってたけど。明言しなかったし」
「させたかったわけ」
「うん」
即答。なんて奴だ。あたしはちょっと苦笑いした。
もうぞくぞくとクラスメイト達は帰って行っている。端で二人、何だか騒がしく喚くあたし達なんて、きっと誰も見ていないだろう。だからあたしは躊躇わずに会話を続ける。
「酷くない?」
「だってあんた達って、見てて疲れる」
「何それ。だから“達”じゃないでしょ。佐川、関係ないし」
「分かってないからあんたって嫌」
「はぁ?」
何だそれ。
「……忘れようと、」
ぽつ、と千乃は言う。雨みたいに。小さく。
「忘れようと、しているように、見えた。まるで、怯えてるみたいに」
あたしは言葉に詰まった。図星だ。だって怖かった。
その姿を見るだけで、その声を聞くだけで。
頭の中が真っ白になる。心臓が止まりそうになる。覚えのない熱が吹き出てくる。
枯れた喉の奥で、好きだと全身が悲鳴を上げる。
伝えたい、とか。好きになってほしい、とか。そういう、ものではなくて。
ただ、泣きそうなほど、あのひとが好きで。
多分、伝えられたら、壊れてしまっても嬉しいのかもしれない。好きになってもらえたら、それはきっと天にも昇る、心地だろう。優しく触れられるだけで瞼の裏が熱くなる。
だけど、違う。あたしの想いは、届くことを欲さない。そんなこと考えられなくなるくらい、ただただ。
恋情で溢れ変える。頭がおかしくなりそうな程。くらくらして、動悸がして。
ああどうして。どうして、いつの間に、こんなにも。
こんなにも降り積もってしまったの、と。
嘆きたくなるような。
「ねぇ、千乃」
囁くように、呼びかける。
「怖いよ。誰かを、こんな風に、好きになるのは」
どうしてかなんて、きっと上手く説明出来ない。ただ、怖い。月日の流れにおののくみたいに。
「怖いよ」
本能的な恐怖みたいに。
千乃は困った顔をした。まるで、納得してしまったような表情だ。
……千乃も、そういう想いを知っているのだろうか。だったら。
(恋って、可愛くないなぁ)
もっと甘酸っぱくて可愛い少女漫画的な感情を期待していたのに。そりゃあ、どういう風に好きになるかなんて十人十色だろうけど、少しくらい夢を見させてくれたっていいのに。
「……可愛い恋を本気でする子もいるけど、」
まるで心を読んだかのような台詞にびくりとする。サイコメトリかお前さんは。
「春夜のは深くて、まるで手負いの獣みたいな恋だね」
「……ええ?」
「身を守れないから、余計怖くて。でも誘惑に勝てない」
「誘惑?」
「誰かを想う、て誘惑」
「千乃、ロマンチストみたい」
「女の子ですから」
澄まして微笑む千乃はだけど、床にしゃがみ込んだままの格好で、全くきまらない。
「ロマンチストじゃない女の子はどうすればいい?」
「なりふり構わず走ってみれば?」
冷たい。
じとっと上睨むと、千乃は困った態で、ぽりぽりと頭を掻いた。
「だって、春夜のそれは、春夜だけが怯える想いだから。上手い助言なんて出来るわけないじゃん。あたしがなんか色々言っても余計こじれそうだし。嫌われたくないとかそういう当人にしか判断しようがないこと言われても困るし。大体あんた、好きになって欲しい、じゃなくて、失くしたい、とか思ってんでしょ。本当面倒臭い」
面倒臭いって。ちょっと酷すぎないか。
あたしはがっくりと項垂れた。……さっきまであんなに心配してくれてたみたいな言動だったのに、興が削げばすぐこれだ。言い出しっぺなんだからもう少し親身になってくれてもいいのに。
「とりあえず。少なくともそんなに逃げ回ってたら、さすがの佐川も気になると思うけど」
「う。で、でも、出来れば離れていたいというか」
「怖いから?」
単刀直入に、千乃が切り込む。あたしはぐっと詰まった。千乃が当たり前みたいに真っすぐに、ただ、見つめてくるから。
「……うん」
うん、と口の中でもう一度呟く。そう、怖い。この目眩がするような感情が、怖い。呑み込まれてしまいそうで。我を失ってしまいそうで。幾度も幾度も確認してきたことを、再び思う。
怖い。
くらくらする。
熱、で。
動悸で。
死にそうになる。
「……なんで」
「んん?」
「なんで、こんなに、こんなふうに、すきなのかなぁ」
泣き笑いみたいな顔で零せば、千乃は珍しく優しく、頭を撫でてきた。
「分かるわけないでしょ」
酷い。
だけど、その声は、突き放すみたいな言葉に反して、てのひらと同じくらい、優しかった。