役者側が着々と稽古をこなしていく一方、小道具大道具衣装に背景、その他諸々の裏方側も、仕上げと追い込みに入ってきた。追い込み。むしろ追われてる。

 はっきり言って、みんなの形相が怖くて仕方ない。

 そんな中、変わらず衣装班の良心であってくれる人が、ひとり。

「朝倉さん、王子の衣装、こんなんでいい?」

「あ、ありがとう! うん、もちろん。やっぱり木戸くん、上手だねぇ」

 はー、と感嘆しながらあたしは木戸くんにお礼を言った。見事な腕前。木戸くんは家庭科全般、得意っぽいけどこんなに繕い物が上手いとは知らなかった。

「うーん、でもいまいちベルトの構造、微妙なんだよね」

 が、当の木戸くんは納得いかないらしい。プロだ。

「そ、うかなぁ」

「うん。ほら、ここ。ちょっと現代ちっく過ぎるってかさ」

「あー……、うぅん、でも」

 現代人の手に入れられる材量で作ったやつだからなぁ。

 仕方ないと思わなくもないけれど、木戸くんの表情があんまり真剣だったから、あたしはうっかり突っ込めずに、

「じゃ、王子本人に意見聞いてみる?」

 よくよく考えるとまったく役立たなさそうなことを言っていた。

 と、木戸くんはなんとも微妙な表情になった。……そ、そんなに駄目ですか。

「あ、いや、それは嬉しい提案だけど……まぁ、佐川も忙しそうだから」

 苦笑気味のフォローにほろりとくる。木戸くんは優しいなぁ。きっと良妻賢母になるんだろうなぁ。って駄目かそれじゃ。

 だけどふっと役者班に眼を向ければとても忙しそうに台本を握っているクラスメイト達がよく見えて、確かにそれもそうかも、と思い直す。

 もちろん、中心は深緒と佐川だ。……どっちかっていうと深緒が頑張ってる感じだけど。佐川は机に座って台本と級友達を見比べている。普段控えめな、はにかんだみたいな笑顔が可愛い深緒の弱ったような顔にちょっぴり同情してしまう。……誰かもっと手伝ってやれ。

 そんなことを思ってから会話を疎かにしていたことに気付いて慌てて木戸くんに向き直る。

「あ、ごめんよそ見しちゃって……」

「ううん、俺も見てたし」

 にこり、と返される笑みはいつも通り優しい。だけどあたしはほんの少し、違和感を感じた。どこか、落ち込んでいるような。

「……木戸くん、どうかした?」

「え」

 首を傾げて尋ねた問いに対する木戸くんの戸惑いは存外無防備で、あたしは余計に心配になった。うん、やっぱり普段通りじゃないのは、木戸くんも例外じゃなかった。

 文化祭とかイベント事っていうのは、総じて何かしらの感情の揺れが激しくなる。不思議だ。

「ひとやすみ、する?」

 一緒に、と微笑う。木戸くんはまたも困ったような微笑。

「……ココアでも奢るよ」

「いりません。あたし班長ですから」

 だから班員の心の平穏を願うのは当然なのだ。

  礼奈の嘆息と、多くの怒声を背に教室の隅まで木戸くんを引っ張る。木戸くんは何故か裁縫道具をしっかり手にしたままされるがままになっていた。

 空いている椅子を引き、どっっこらせと腰を下ろす。綺麗に縫われた王子の衣装をチェックする。脳内で佐川にこの服を合わせてみると、妙に似合っていた。何でだ。

 木戸くんは小さく息を吐いてから、また役者班の方を向いた。あたしは話しかけなかった。ただじっと、床に座り込んでいたせいで痛くなっていた足腰を休めた。

「……裁縫みたいに、うまくいかないね」

 ぽつりと落とされた呟きは悄然としていて。だからあたしは、んん、と曖昧に相づちを打って緩く耳を傾けた。

「こんな簡単に、ミシンでサクサク縫うみたいに。うまくいかない」

 瞬く。

 木戸くんが、何に対してそんなことを言うのか。あたしには分からない。多分、木戸くんも言う気はないんだろう。木戸くんはそういう人だ。柔らかな笑顔で、だけどしっかりしていない訳ではなくて、優しい。それから。

 ひとに、心を負わせようとしない人だ。

 きっと重荷になんかならないって、木戸くんを心配する大体の人は思うだろうし、木戸くんが周りを信用していないんでもなくて。

 ただ木戸くんがそうあろうとしているだけなんだと思う。

 プライド、とはちょっと違うかもしれないけど。多分、そんな感じだ。

 だからあたしも理由なんかは聞かない。無理に吐かせることが必要な時もあるけど、そうでない時もある。

「ミシンも、楽々いくまで時間がかかるよ」

 不器用なあたしとかはね、とあたしは王子の衣装をぱんっと伸ばしながら言った。

「ね、木戸くん」

 促すような視線に、目を伏せて、口元で笑う。

「難しいね」

 理由なんてものは聞かない。だけど。だけど、と埒もないことを考える。

 木戸くんが落ち込むその理由は、あたしと似たような気持ちからだろうか。

 恋という、ものなんだろうか。

 もしそうなら同情を禁じ得ない。厄介で、落とし前のつけようがない。ただひたすらに持て余す。

 胸がくるしい。

 まるで郷愁だ。

 想うだけで、泣きそうになる。

 見上げると、木戸くんは、いつもの柔らかい苦笑も忘れて、やっぱり途方に暮れたみたいな顔をしていた。

 その木戸くんの手をおもむろに掴む。温かい。

「え、」

「死んでないから、大丈夫」

「ええ?」

「や、死んだらもう駄目、って訳じゃあないけど。でも、まだ、笑えるなら大丈夫」

 恥ずかしい台詞。言ってから恥ずかしさがさらに増して、顔が赤くなる。くっ、言葉の選択間違えた。だけどこの衣装班でお世話になりっ放しの木戸くんに、少しでも恩返しをするべきだろう。いや全然返せてない気もするけど。

「にこにこ笑う木戸くん、あたしは好きだなぁ」

 だから、って何がだからかさっぱりだけど、無条件に、大丈夫って言える。

 希望的観測みたいなものかもしれないし、木戸くんにしてみたら何を無責任な、って感じかもしれない。けど。おさんどんさんみたいな見た目にしてさりげなくオールマイティな木戸くんのニコニコ顔は、目紛しい忙しさの中で、裏方の皆の安定剤で、誰かを不快にさせることだけはなかったと思うから。

 だから、たぶん。木戸くんは笑っていた方が、利益が多いと思うんだよなぁ。

「……朝倉さん、愛の告白」

「え、ないない」

「うわ、その言い草は散々だなぁ」

「やー、だって別に欲しくないでしょ」

「まぁ」

「いや木戸くんの方が酷いから! 何その爽やかな笑顔!」

「朝倉さんが言ってくれたんでしょー」

「えー?! なんか違う!」

 明るくなった木戸くんにほっとしながら、ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。うん、やっぱり木戸くんなら大丈夫なんじゃないかなぁ。何がどうとか分かんないけど。

(…………それに)

 ちらり、とあたしは横目で役者集団を見る。深緒がさっきよりさらにぐったりしていた。

(それに、もし木戸くんに好きなひとがいたとして)

 それがあの子なら。

「あのねぇ木戸くん、ざっくりいっちゃえば多分、なんとなかなると思うのね」

「え?」

「だって、木戸くんさぁ、………でしょ?」

 掴んでいる手を引っ張って、耳元に口を寄せる。にやにや内緒話のように告げた名に、木戸くんは目をまん丸くした。仄かに頬が赤くなる。……うーん、木戸くんもなかなか、ポーカーフェイスだなぁ。ぱっと見ただけじゃ分からない。あたしはもう一人ポーカーフェイスの男を脳裏に描いて苦笑した。佐川は本当に、何も隠してないみたいな顔して、奥の奥の真意は本当に分かんないからなぁ。

 あたしが想う相手。

 これだけ木戸くんをからかって、あたしはいつまで逃げるんだろう。

「……な、なんで」

 にこにこ引きつった笑顔に、ほんのちょっと申し訳ない気分になる。ごめん。探る気はなかったんだけどね。なんとなく。なんとなくね。別に野次馬根性じゃない。断じてない。

「へっへー」

 あたしはぱっと握る手を離して誤摩化した。その拍子に膝から滑り落ちそうになった衣装を押さえる。

「まぁ全然よく分かんないけど、とりあえず現状回復、でいいのかな、頑張ってね」

「緩いなぁ、朝倉さん。その前に、衣装総仕上げだよ」

「う、そうだった」

 額を寄せて言われ、そっちの現状を思い出してあたしは目を泳がせた。ガタン、と教室のどこかで椅子が転がるみたいな音がして、衣装班の方からは怒声じみた悲鳴。どうやら変なとこ縫っちゃったらしい。

「戻りますか」

「そうですねぇ」

 笑いあって、休憩は終る。よいしょと重い腰をあげる。今にも暴れそうな礼奈を、大道具班の新谷ともう一人、誰かが宥めているところへ向かおうとして。

「ありがとね、朝倉さん」

 だから朝倉さんも、頑張れ。

 そんな木戸くんの囁きに、あたしはすっ転びそうになった。

 

 

 

 

 

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