ある日の友人達から見た春夜。
微妙にモテ(?)てもどうでも良いから気付かない人。結局佐川が折れるのです。
ではでは、ありがとうございました!
あたしの友達はなかなか残念な感じに面白い人だ。
ぐん、と急に背中にかかった重みにあたしは思わず仰け反った。
「ちーのー、食堂で面白いもんやってたよー」
「面白いものー?」
にやにやするしながらくいっと親指で後ろを示したのは礼奈だった。食堂、と言ったらこの教室からそう遠くはない。一階降りなきゃいけないけど。急かすように服の裾を引っ張られて、仕方なくついていく。どうでも良いけど新谷はどうしたんだろう。礼奈は大抵ヤツと一緒にいるのに。
「ほら、あれ」
「んー? ————うわ」
目を凝らした先に見つけた騒動を見て、あたしは露骨に引きつった。
妙ににこにこした佐川が呑み終わっている紙パック(多分バナナオレ)を握りつぶしつつ、目の前にいるひょろっとした男と対峙していた。
……何やってんだろ、この人達。
もう講義の全てが終って、サークルに移動する人間の多い中、何故か灯夜と西條さんは食堂のど真ん中で睨み合っていた。
て、いうより、灯夜が一方的に因縁つけてるだけに見えるけど。
あたしはずずず、っと紙パックをすすりながら、どうしたもんだろうかと二人を見やる。そりゃもうぼへらっと、まるで無関係みたいにぼへらっと。
(灯夜は誤解してるだけだと思うんだけどねぇ)
西條さん、というのはあたしと灯夜が受けているドイツ語の講義で知り合った人だ。大学からの外進生になる。だから、もとからずっと女郎花学園を通り抜けてきた人達とはちょっと毛色が違っている、かもしれない。ただまあ別に変な人ではない。ひょろりとした細身の、茶色っぽい髪が若々しい感じ、な印象が強いけど、結構親切だ。前が見辛くて目を凝らしているとこっそりノートを見せてくれたりするし、すれ違えば挨拶してくれる。うっかりお弁当を忘れておまけにお金もなくて途方に暮れていた時なんて、奢ってあげようかなんて言ってくれたぐらいだ。もちろん謹んで辞退したけども。幸い灯夜がお弁当を半分分けてくれたし。あのひとは何気に料理上手だった。施しを享けといてなんだけども、微妙に複雑。
「だからね、別にね、良いんだけどさ。ねぇ」
「……はっきりしなさ過ぎて逆に怖いんだけど」
ぼんやりと回想にふけっている間に二人の会話はさらに殺伐としてきていた。会話、というか空気。主に灯夜が、だけど。妙に圧迫感のある笑顔が、菩薩っぽくて怖い。そういや笑いながら怒るひとだったなぁ、とここ最近で思い出す回数も増えてしまった。
「とーうやー、因縁つけるのやめようよ。西條さん泣きそうだし」
「あーのーね、因縁じゃねぇの。マジなの。ハルちゃんはちょっと黙ってなさい」
「や、てか、泣きそうって……朝倉さんさりげに酷い」
全く聞き入れる様子のない灯夜にあたしは深い深いため息をついた。……ああ、なんて馬鹿馬鹿しい。
あたしと西條さんは出会すことが多い。多分講義が被ってるのと、行き先や時間割の問題だと思うけど、よくよく会う。で、まったり話をすることも多い。まあ別に変なことじゃない。何しろ初めて接触したのも西條さんの親切によるんだから。そう、消しゴムを貸してもらったっていう、どっからどう聞いてもただの親切だ。少女漫画でそれがもうちょっと若い時分の話なら、まるで恋のトキメキが花咲きそうに聞こえなくもないけど、それはもうちょっと甘酸っぱさが必要だと思う。だいたいそういうのは好いた相手がいる人間には縁のない話だ。
って言ってんのに、何がどうこじれたのか、灯夜は西條さんがあたしに懸想してつきまとうけしからん男に見えたらしい。阿呆過ぎる。真面目な顔で「気をつけないと駄目だろ!」なんぞと叱られた日には、一瞬真顔で沈黙してしまった。意識が飛んだ。なんだこのひとそろそろ痴呆かそうかちょっと早過ぎるぞおい、と思ったのは内緒だ。
(ていうかさぁ、普通に考えて、あたしがそういう風に好かれる確率って、ほっとんど零に等しいと思うんだけど)
おまえさんが例外なのよ、おまえさんが。
って、心の底から何度も何度も繰り返してんのに聞かないし。面倒臭いなぁ。
もー、と肩を落としつつ、ちらりと周囲を窺う。うん、確実に人の波が。
吃驚なのはこのやりとりが今日で三日目なことだ。
「いちゃもんだってば。そもそも何で灯夜はそんなに気にしてんの」
飲み切った紙パックをぱこっと開いて、力任せに折り畳む。と、灯夜がちょっと黄昏るような顔になった。
「……春夜は俺の彼女、だよな?」
「! う、うん」
かのじょ。彼女、だ。ほうっと胸があったかくなって、急速に心臓が暴れ出す。もう随分経ったのに、未だにその響きに慣れなくて、いつまでたってもどきどきしてしまう。う、わ、わ。彼女。ついつい頬が緩みそうになる。
「……う、なんだかなー、その反応。なんか、嬉しそうなとこ水差したくないんだけどさ」
「んん?」
「で、ハルさんの彼氏は俺ですね?」
「うん」
「……うん、いや、うん。えーと」
何故か灯夜は言葉を探すように首をめぐらせたあと、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「彼氏としては、彼女に悪い虫がつくのはちょっといただけないというか、気分が良いものではないんですよ」
「……それ、世のお父さんの台詞っぽいけど」
悪い虫って。
西條さんも微妙な顔になっている。食堂にたむろする人達がちらちらとこちらを窺うのが分かった。あー、目立つよねぇ、そりゃ。
でも灯夜は気にせず続ける。
「いや、俺はここに至ってお父さん達の気持ちがよく分かった。春夜、変な男にフラフラついてっちゃいけません。飴貰っても駄目です」
……このひとは何か? 人を馬鹿にしてるのか。そこまで阿呆じゃないわ、と微妙にショックを受けているとやつはごほんと咳払いした。あ、誤摩化しやがった。
「ともかく、彼女がいいよられてたら良い気分しないだろ、普通」
何故かギャラリーの一人がタイミングよくうんうんと頷いた。あたしは呆れ返って反論しようとしてから、なんか通じなさそうな気がして黙り込んだ。ありえないけど灯夜の勘違いに沿って思考を巡らせてみる。えーと、西條さんがあたしを好きだったとして? 灯夜が気に食わない? ……まあ、それは良い気分はしないかもしれないけど、わざわざここまで気にするほどか?
「……なんで?」
分からん。
真面目に言ったのに灯夜は絶望的な表情で項垂れた。
「や、春夜、もうちょっとこう、男心をね」
「だって、あたしは、灯夜の彼女なわけで」
「……うん?」
「だったら、そこまで気にしなくても」
「……ちょっと待て。なんか認識の齟齬がある気がするのは俺だけか」
「え、だからさ、あたしの彼氏は灯夜でしょ? じゃ、何も問題ないじゃん」
片思いならともかく。灯夜はあたしが灯夜のことを好きだって、知ってる。あたしもあたしが誰を好きなのか知ってる。もし西條さんがあたしを好きでいてくれたんだとしても、あたしは灯夜が好きなんだから、そんなこと言われても仕方がない。
というようなことを簡潔に訴えてみたつもりなんだけど、灯夜はぽかんと不可解そうに口を半開きにして暫し沈黙し、ポク、ポク、ポク、と三拍分の時間を置いてからじわじわと理解の色を浮かべてきた。
「……そ、——あ、」
おお、珍しい。灯夜がどもってる。
ちょっと面食らって瞬くと、あたしの好きなひとは天を仰いで困ったように苦笑した。
「そりゃ、ありがとー」
でもねー、とやっぱり納得してない風情だ。
「やっぱりさすがにねぇ、気になるって。じゃーさ、反対だったらハルは何も思わんの?」
「え、思うよ。困る。落ち込む」
さくっとあたしは即答した。何故か再び沈黙が降りた。西條さんも不思議そうに首を傾げている。……あれ、変なこと言ったかな。
「————え、何でそれは分かるわけ?! じゃ、何で俺の考えはスルーなの?!」
「や、だってそりゃ灯夜に、の場合だし。あたしはありえないでしょ」
「分からん! 俺にはおまえさんの考えがさっぱりだよ!」
「えー、そう?」
簡単なのに。
あたしにとってそういう対象の“異性”は灯夜だけだって話なんだけど。まあ、なんか西條さんから気は逸れたみたいだし、いっか。
「……そんなことより、紙パック」
「へ、」
「そんなに握りしめてたら可哀想だから。早く捨てようよ」
「……紙パックの方が重要度高いのか……」
がっくりと肩を落とした灯夜は、ぶつぶつ言いながらも素直に紙パックを畳み始めた。その真ん前で西條さんがげっそりしている。あたしはちょっと——いやかなり申し訳なくなった。
「西條さん、ごめんね。なんか、変な勘違いが」
「え、いや、まあ……別に。てか、目の前で惚気られる方がきつかったってつーか……ズタズタにされたっつーか……」
「……何の話?」
いまいち通じないが、迷惑をかけたことは確か過ぎるくらい確かなので、あたしはもう一度深く頭を下げた。
なんか、本当すみません。
うわあ。
頭を下げる友人の姿を遠目に見て、あたしはあまりの酷さに口許を覆った。その下でひくひくと頬が笑みに引きつっているのは内緒だ。
「すごい。傍目にはザックリ振ってるようにしか見えない」
「だよねぇ」
くつくつ、と礼奈は隠しもせずに笑っている。容赦ないヤツだ。その楽し気な瞳がにやりと輝く。
「あのさ、あれ、本当は佐川のが正しいんだよね」
「つきまとってるってやつ?」
「そ。かるーくストーカー。ま、好きな子を遠目に見るって感じだけどね。無害っちゃ無害」
「佐川には有害だったみたいだけど」
「そりゃまぁね。でもすんごく良い言い方すれば、アタックしてた、ってとこだし。ものは言い様だねー」
……言い様過ぎる気がするなぁ。
心中で突っ込みつつ、面白いので何も言わない。
それにしても春夜って奴は本当に残念な人間だ。そういう好意に別段疎いわけでもないだろうに、興味ないから気付かない。うける。超うける。
「まーモテる方じゃないからそうなんかもしれないけど」
「ちょ、友達甲斐ない発言」
「やー、だってさぁ、世の中そうモテモテな人間がゴロゴロしてるわけでもないっしょ。少なくともあたし達の間にはさ。美緒ぐらいじゃない? ちらっと見たりちょっと接触したりで、仄かに『いいな』って思って、あわーく好意持つくらいならともかく、熱狂的なまでに恋するってのはねぇ。誰にしたって珍しいし、難しいよ。それも彼氏持ちってさ。のめり込む前になぁんだってなるでしょ」
「ああ確かに。……で、あそこのひょろい御仁はそういう珍しいタイプだったと」
「だねぇ。だから佐川もやべぇと思ったんじゃないの」
佐川はやべぇとか言わなさそうだけどねぇ。
西條さんとやらをおいて妙な会話を繰り返す友人達を眺めて、あたしはつくづく、春夜って酷いわー、と愉快な気分になった。
つまり、春夜にとっては佐川以外の人間とどうこうなるのはあり得ない、というより考えつかないことなんだろう。犬が猫になったりするだろうかと考えるようなことだ。春夜の常識の中では本当に“あり得ない”。
「……ハルーのあれってさー、鈍いってより」
ぽつり、と礼奈が零す。続く言葉はあたしが引継いだ。言いたいことがとてもとてもよく分かる。うん、と頷いてあたしは軽く半眼になった。
「鈍いってより、眼中にないんだよね」
これほど片思いしている相手に酷い女は居ない。
ああまったく。
残念過ぎてあたしを愉快にするには事欠かない、たいそう笑える親友だわ。
鈍いっていうより、眼中にない。