屋敷に戻ると心底ほっとした風情の執事がふらっとよろけた。

 慌ててその肩に腕を回す。対してローランドは愉快そうにかかかかと笑うだけだった。……こいつ。レティーシャはいらっとした。蹴り飛ばしてやりたいが今はそれどころじゃない。

「アデレイドさん! 使者の方をお呼びしてください! ベック、付き添ってあげて!」

 指示を飛ばすと、心得顔の二人が頷いて屋敷を飛び出していった。レティーシャはローランドに向き直り、ぎろりと睨みつける。彼は面倒そうにうなじを掻いた。

「……わかったわかった。着替えれば良いんだろ。そう睨むな」

「迅速に、です」

 りょーかい、我が麗しのソフィア。

 からかうように言い落とし、ローランドは寝室に逃げやがったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 セバスチャンに言伝を残し、レティーシャは一旦領主館のすぐ近くにひっそり建っている煉瓦作りの自宅に帰った。次々と乱暴にドアを開けて奥まで急ぎ、自室のクローゼットをばんと開く。吊るされたドレスの中でいっとう綺麗な深い青のものを引っぱり出し、ぺいっと寝台に放る。それから物入れに頭から突っ込んで装飾具を漁り始めた。

「……レティ? 帰っているのかい?」

 穏やかで、ちょっと眠そうな、さらに言えば聞いている方も眠くなるような声に、レティーシャはひょいと顔を上げた。ドアの隙間から覗くぽけっとした表情で古びたパピルス紙を手に何事か書き付けている父と目が合う。

「父さんこそ。新しい依頼?」

「うん? ああ、そうだよ。ボックウェルさんとこの息子さんがね、やけに弱った顔で持ってきたんだ」

「恋文か何か?」

「いんや、ただ、大事な仕事の契約書にね、文字なんてほとんど書けない彼はどうにも頭を悩ませてしまったらしくってねぇ」

 ま、引き受けたのさ、とほけほけ笑って、父はくるりと羽根ペンを回した。ひらひらと羽根が粉めいた毛を振り落とす。……そろそろあのペンも替えた方が良いと思うのだが。

 レティーシャの父はベネディクト・ランドルフ・ソフィア=アクロイドという、妙に長ったらしい名前のしがない代筆屋である。書物に埋もれるようにして暮らしながら、彼はのんびりと町の人々からの依頼をこなし、低価格で仕事を提供することが評判だった。誰もかれも、安価さとある程度の信用に弱いものだ。そんなものでよく暮らしていける、と首を傾げるところだが、先代領主と友人であり古馴染みである父は、その先代領主との取り決めでなんとなく生活出来ているのである。もちろん養われているレティーシャもそれは同様だ。今は現領主の補佐、というか書記官のような仕事をしているが、それも先代の言葉あっての破格の仕事場なわけだ。上司は特に躊躇いなくむかつくと言えるむかつく奴だが。

「あ、ねぇ父さん。私の珊瑚と真珠を使った髪飾り知らない?」

「私が知るわけないだろう」

「……あー、そうだよね。ごめん。代筆頑張って」

「うむ。お前もほどほどに頑張んなさい」

 はい、と応えてレティーシャはまた物入れに頭を突っ込んだ。がさごそと両手を探り回す。がつ、ごつ、と爪が色んな硬いものやら柔らかいものやら冷たいものやらにぶつかった。んん、と呻きながらその中のひとつを掴む。ん、引っかかってる。

「————くぬっ」

 取れた!

 青い石と白い真珠のような丸い石と編み込まれたレースの房がついたバレッタを漸く引っ張り出したレティーシャは、ほうと息をついた後、さっさと髪をまとめてガヴァネスのように結わえるとぱちりとそれで留めた。質素なドレスを脱ぎ捨て、寝台に放っていた青のドレスに着替える。

 姿見の前で己の格好を確認し、彼女はふんっと気合いを入れた。——ん。

 見掛け騙しはばっちりだ。

 

 

 

 

 

 

 


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