ガタガタと震える男二人がさすがに哀れになってきてしまったのは、仕方ない心理だと思う。

 未だに少し機嫌の悪さが残る主はレティーシャの腕を強引に引っぱり、何故か彼女の服をぱたぱたと手で払った。

「……え、何ですか。土?」

「それもある」

 他はなんなんだ。

 ローランドは構わずじろりと睨んできた。垂れ下がった目が叱るようにレティーシャを見る。

「油断するからだぞ」

「……すみません」

 その通りだった。不覚。

 ローランドに叱られるのは久しぶりだった。昔は彼の方が、時々だが兄貴風を吹かせていたような気もする。まあ年齢だって上なのだからそうあってくれた方が良いものだが。

 と、耳の辺りをぐいっと引き上げられた。ぎょっとする。ぐきっと首が鳴った。かなり痛い。

「な、何です、」

「……怪我はねぇな」

 ぼそ、と呟いたかと思うとローランドはすぐ手を放した。レティーシャは目を丸くする。それから気まずく、あー、と首をめぐらせ、唸り、

「……ありがとーございます」

 結局言うことにした。ローランドは迷惑そうに目をきゅっと細める。照れているらしい。分かり難い。こほん、と咳払いして、彼は誘拐犯達に向き直る。

「で? お前らはほんと、何がしてほしかったの」

「う、」

「……ローランド様、威嚇なさらないでください。仮にも領民ですよ」

 土気色の顔に変わる男達を見て、レティーシャはこっそり耳打ちした。それを受けてローランドは面倒そうに頭を掻く。唇がひん曲がっている。拗ねているようだ。

 そんな合間に中年の方が洞穴の奥へ走り出し、何やら木箱をひっくり返したりほっぽったりして片付け、闇に沈む空間をぽっかりと開いた。何だろう。きょとんとしていると若い方の男がガッと地に膝を落とした。すごい音がした。……骨は大丈夫か。

「お、お願いします!」

 うおおおお、土下座。

 とんでもなくいたたまれない。ちらりと主を見やると、彼はほとほと呆れ果てた風情で、くいっと顎で洞穴の奥——つまり中年男のいる辺りを示した。行ってやれ、ということだろう。

「わ、分かりましたよ……」

 行けば良いんでしょう、行けば。二人に対してのつもりでぶつくさと呟き、レティーシャはのそのそと歩き出した。じゃり、と土が鳴る。後ろからローランドと青年もついてくる。居心地悪い。どうせならローランド様が前に行ってくださったら良いのに。

「こ、これです! ここ、これ、これを読んでいただきたいのです!」

 いつの間にか敬語になっている。そんなにローランドが怖かったのか。

 とまれ、哀れなほどの必死さで示された大きめの岩を覗き込む。……読む? 岩を? 何じゃそりゃ。

 怪訝に思いつつ目を凝らす。と、不意に柔らかい光が照った。カンテラの灯りだ。そうして漸く全体が掴めるようになる。妙に綺麗に切り崩された岩の、表面。何か、傷のようなものがたくさん刻まれていた。

「ご、ご領主様の、おおお側には、何でも読める女がいると、き、ききまし、た! こ、これはどう、ですか?!」

「え、あ、はあ」

 ちょ、そんなに顔近づけないでください。精神的にきつい。

「——当然、」

 ふと、背後で密やかな笑みが空気を揺らした。う、と喉が鳴る。表情筋が見事に引きつった。レティーシャの真後ろで、ランディフェルの領主は眉尻を吊り上げ、眠そうな目尻を垂らし、にやりと不敵に微笑んだ。

「読めねぇわけねぇな、俺のソフィア」

 脳髄に叩き込むような声音が、ああ、むかつくったらない。

 レティーシャはちっと舌打ちして、忌々しいとばかりに最大限に顔をしかめ、その失礼極まりない挑発に、

「ったりまえですよ、馬鹿領主」

 あっさり乗せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし読み辛いことこの上ない。

 はらはらする誘拐犯達がうざったくて、ぱしっと叩くようにカンテラを奪い取る。ひいっ、と悲鳴を上げる二人を無視して彼女は岩の表面にへばりついた。闇に目が慣れてきたおかげもあってか、ぼんやりと文字、らしきものが見えてくる。

(……ロジェスタ語——の、スラング? じゃない、フェン=フルズのアディントン地方……でもないな。ダイン、ダ、クレド、ルブラン、アラマ——違う、アレイム? あ、そっか、シェルダン古語とディオ・ロンドヴァークス語に、セールズ語っぽいのが混ざってる、んだ)

 うっわー、何これすごい古い。

 レティーシャは一瞬そのこんがらがりっぷりに絶句してしまった。何で敢えて……あー違うか、これ、昔のこの地方では普通だったんだ。だけど時代が過ぎていくにつれて、ばらけた要素のものだけが残ってしまったから、今の時代の自分にはこんな風に感じるのだろう。恐ろしい。つまり庶民達が使う、結構杜撰な言葉だった、というわけか。そりゃ読めないわ。

「あ、あの……」

「どうですか……?」

 不安がる二人と違い、ローランドだけはにやにやと彼女の言葉を待っている。レティーシャはため息をついて、もう一度文面を追った。文字となったくぼみを指先でなぞる。ひんやりとした石の感触。ふん、とレティーシャは内心大いに鼻を鳴らした。

 ——こんなものがこの私に読めないわけないでしょーが。

 いざ伝えるべく彼女はすうっと息を吸った。さながら戦意すら込めて。

「……ひかりの道をおゆきよ妖精。夜にやってくるゴブリンの狭間、同朋よ、さあ歩け! 花のしるべを頼りとし、天より来たりし祝福の灯火を持つがいい。暗闇を照らす神のご加護さえあれば、おまえは必ず辿り着く。我らの妙なる碧の許へ」

 しーん、と洞穴中が静まり返った。声に乗せてしまってから、レティーシャはぽかりと口を半開く。

 ……何これ?

「随分詩的な」

 ぼそ、とローランドが全ての心中を代弁した。全くである。

 

 

 

 


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