新しく入った紅茶を口に含んで、やがてこくりと嚥下する白い喉。その細い淡い線が揺らぎ、ついとラズベリー・アイが彼を射抜く。けれども彼はいつものような安い睦言なんて口にせず、ただじっとその瞳を見つめ返した。そうするとその二対の眼差しは和らいでふにゃりと能天気な笑顔に差し変わる。その胸の裡がいまいち理解出来ずにたじろぐと、彼女はふわふわした声で席を促してきた。仕方なく座れば彼女は楽しそうに首を傾げ、ミルクポッドを奨めてくる。言われるままに注いでしまってから、ジュリアンははっと我に返った。
「……何のおつもりです?」
「ミルク、お嫌いでしたか?」
「違います。私は散々あなたに酷いことを言ったでしょう」
解っていないわけではあるまい。美しいコーラルフェリアの王女。レイモンド王子の麗しき婚約者。このだばだばとミルクを注いだ紅茶と同じ色をした髪が窓から差し込む陽光にきらめく。クラッグランドでは珍しいラズベリーの瞳がいかにも楽しげだ。
貴族の娘という娘を厭う彼ですら、一瞬見蕩れる妖精のような女。
彼女はぱちくりと瞬きした後に不思議そうに首を捻った。
「……そうでしたか?」
がく、と肩がずり落ちる。まさか本気で言っているのだろうか。
「えぇと、先程のことを仰っていらっしゃるなら、あれはわたしが不用意なことを言ってしまったからでしょう。それほど酷い言葉ではなかったと思います」
「……馬鹿ですか?」
そうだとしても愉快な人だ、と彼は思った。初めて会った時も彼女は妙な人間だった。珍しく斯様に高貴な女に対して本気で笑ってしまったものだ。——別に女性を蔑むつもりはない。高潔で、信頼に足る者もいるだろう。この国の王妃などは確かに尊敬に値する。けれど、それでも多くの娘に落胆することは少なくない。だからジュリアンは彼女達にそれほどの執着を持てないのだ。甘い言葉でたぶらかし、潤んだ瞳に落とすだけ落とせば飽いてしまう。
「それよりもジュリアン様。ご助力くださるのは本当ですか?」
「エレン嬢のことですか?」
急に変わった話題に眉を寄せつつ、ジュリアンは頷いた。……あのような愚行が彼は一番苛立たしい。美しく着飾るなら美しいままであれば良いものを。
「エレン様に実害がないよう見張っていらしていただきたいのです。それから、あの方を庇うよう見せるのではなく、彼女達の行いに非難を向けてください。後々エレン様に嫉妬なさって、悪戯の度が増しては元も子もありませんから」
さらりと言って、シャルロットは紅茶に沈んだ角砂糖をこつりと割った。粉になった砂糖が蕩けて消える。
「……手慣れていますね」
「そうですか?」
「嬉しそうにしないでください。貴女はこの王宮に何をしにいらっしゃったのか」
責めるような口調で言うと、彼女はちょっと戸惑った顔になった。
「レイモンド様の気を惹かなければいけないと、分かっているのですけど。でも、これ以上ご迷惑をおかけするのは申し訳なくて。……わたしが駄目でも、コーラルフェリアとクラッグランドの関係は変わらないでしょう。長い間、手を取り合って存在し続けた国同士、このくらいで揺らぎはしません」
「……滅多なことではなくならない婚約だと思いますが?」
「全てはレイモンド様のお心次第ですわ」
「あなたのことでもあるでしょう」
微かな苛立ちともどかしさでジュリアンは何だか励ますようなことを言ってしまった。調子を崩された感じがして、誤摩化すようにミルクたっぷりの紅茶を呷る。ラベンダーの匂いが微かに鼻孔を突いた。
「わたしのことは、一番優先順位が低いことですから」
シャルロットはほわりと、影も思う所も見えない、ひどく清々しい表情で微笑った。
*
つたない夢を見た。
小さな、とても小さな頃の夢。薔薇とフリルに埋もれて、差し出される柔らかな手を迷いなく取って、屈託なくあのひとにくっついていたあの頃。
思えばあのひとはいつも少し難しい顔で口を噤んで、彼女が話しかけて袖を引っ張って花園に引き倒すまで微かな緊張を滲ませていた。けれども不器用に繋いでくれた手は温かくて、時折こぼれおちるように降る微笑みは優しかった。穏やかで、木漏れ日の光が溢れる昼下がりは楽園のようだった。
ほんの少し大人ぶって、妹の世話をするように花冠を受けるあのひとと、へたくそな花飾りを作る自分。遠くから響く呼び声に顔をあげると、彼の弟やその友人が大きく手を振っている。ふわりと風が吹いて綺麗な金の髪が、はなびらみたいに揺れる。立ち上がった彼がまごつく彼女を両手でぎこちなく引き上げる。それが堪らなく嬉しくて、顔中に笑みを閃かせた。
アプリコットの薔薇が咲く頃。
わたしはあのひとに恋をした。