泣くのはやめて呪文を唱えて

 

 

 

  

 

 ああ、とコンスタンティアは額を覆った。

 

 彼女は実のところ、このような玉石混淆極まりない夜会など開きたくはなかったのだ。こういう刺激の強いことは、そう、おいおい。おいおい、段階を踏んで。

「コンスタンティア、これは君の夜会なのだから、主役たる花がそのような顔をしていると景気悪いぞ」

「お黙りくださいませ! これで姫に一生の傷なんぞがついたらどうされるおつもりです?!」

「過保護だぞ、何かあったら上手く対処するのがレイモンドの仕事であり、義務だ。だからあとは全てあやつに任せておけばよい」

 コンスタンティアは冷たく夫を一瞥した。たじろぐ彼からふんっとそっぽを向き、はらりと羽扇を広げる。

「もう知りません。この、やく、たたず!」

「……妻よ」

 がーん、と見るからに落ち込むチャールズと憤懣やるかたない様子の王妃の姿から、近衛兵達は笑いを噛み殺しつつ目を逸らした。

 鈍く輝ける月の下、シャンデリアと花の光に彩られた、瀟酒絢爛の宴が始まる。

 

 

 

    *

 

 

 

 

 かつん、と高く細いヒールが大理石を蹴った。

 

 陶器と変わらぬ白さの靴には絹とベルベットの花飾りが縫い付けられている。品のあるラインではためく柔らかなシフォンが重ねられた、ベビーピンクと白のドレス。胸許はクリーム色と甘い花色の縞模様になっている。緩く膨らんだ肩と、下に向かうにつれて広がる尺の長い袖からは細かなレースが覗く。難しく結い込まれた髪が少し重くて、シャルロットは小さく息をついた。

「……変ではないかしら、ポーラ」

 不安が立ってそろりと侍女を窺うと、彼女は感極まったかのようにうるうると二対の瞳を潤ませた。ぐっと拳を握り、勢い込んで身を乗り出す。

「完ッッッ璧です! お素敵にございますわ、シャルロット様!」

「そ、そう……?」

「どんな殿方もぼうっと見蕩れてシャルロット様のお美しさに卒倒なさいますわ! レイモンド殿下もいちころです!」

 それはないと思うけど……、と内心引きながら、シャルロットはとりあえず礼を言った。何はともあれおかしなところはないらしい。それならいいかと頷き、そっとポーラの手を握る。きょとんとする彼女にちょっと微笑んで、

「頑張ってくるわ、ポーラ。それじゃあ行ってくるわね」

 感謝を込めて、囁いた。

 ポーラはぼろりと涙を流してハンカチで目許を押さえ、こくこくと頷く。ご健闘をお祈り申し上げますわ! と勇ましく叫んで手を振ってくれる彼女にシャルロットも小さく振り返して歩き出し、扉の前で差し出された腕を取った。おずおずと相手を見上げると、穏やかな微笑みが返ってくる。シャルロットはほっとして、ついと視線を動かす。少し後ろでブルネットの髪を上品に結わいだ少女とその傍らに立つ男性を見つける。俯きがちだった面が上がり、少女はそっとシャルロットの眼差しを受け止めた。シャルロットがこくりと小さく頷くと、彼女はきゅっと唇を噛み締める。けれどもそれから、おずおずとながらもぎこちなく微笑んでくれた。その時、リィンと鈴の音が響いた。朗々と開会の声が上げられる。そして少しずつ組の名を呼ばれ、ぞくぞくと人が中へ入っていく。

 その一番最後の呼び声に、シャルロットとレイモンドはホールへ向かう両開きの大扉をくぐり抜けた。

 

 

 

 

 

 

 チェンバロの壮麗な音が、彼らを出迎えるように鳴り響いた。

 ……いや、確実に出迎えた。派手派手しく楽隊が軽やか華やかな音色を奏でる。ホールの奥に傲然と座した王がにやりと笑った気がした。気のせいかもしれないが、そのおかげで心持ち緊張がほぐれる。それでもどぎまぎする胸を押さえてこっそり深呼吸したシャルロットは、その胸中を押し隠すようにぴんと背筋を伸ばした。

(……これが、クラッグランドの、王妃様主催の大舞踏会。すごい、こんなに人がいらっしゃるのね……)

 コーラルフェリアの王族主催の夜会や催し物は大抵多くの人間が集まるが、それでもやはり趣が大分異なる。同じくらい豪華でも、どこかふんわりしたコーラルフェリアと違って、クラッグランドは金色に輝かんばかりに絢爛だ。ぱちぱちと何度目をしばたたいても眼球の奥がちかちかする。——こういう時、ここは異国なのだと思う。もう二ヶ月経つほど長く居るのに、それでもふとした瞬間に気付いてしまう。自分は、まだ、コーラルフェリアの人間なのだ。……そう、まだ。そうでなくてはいけない。

「シャルロット様? どうかしましたか」

「あ、い——いいえ! 何でもありません!」

「あ、何か食べたいものとかありますか? 今回はつまみも結構あるので、欲しいものがあったら仰ってくださいね。すぐ取ってきま……いや、えぇと、取ってくるよう言いますから」

 慌てて誤摩化すようなその言い様に、くすりとシャルロットは笑った。

「それでは、あの、レイモンド様がお好きなものを、一緒に取りに行ってもよろしいですか?」

 レイモンドは頬を赤らめて、照れくさそうに頬を掻いた。はい、と困ったような声が仄かに笑いを含んでいる。するりと人の間を縫ってゆっくりと歩き出す。シャルロットの、ヒールの歩幅に合わせた、緩やかな速さ。気付いた瞬間、ぽうと胸がぬくまった。自然と頬が緩んでふにゃりと唇が笑み崩れる。

「……楽しそうですね、兄上」

 不意に暗い声がぼそりと降ってきた。

 えっ、と振り向くと妙に周りの空気を五割方重くしたアスターがじっとりとレイモンドを睨んでいる。あ、アスター様? どうしたのかしら。目を白黒させるシャルロットと違って、レイモンドは訳知り顔で苦笑いした。

「アスター、振られたのか」

「……変な言い方しないでください。それより陛下から伝言です。今回の舞踏会はシャルロット様に馴染んでもらう為のものでもあるので、兄上はなるべく多くのご令嬢と踊るように、とのことです」

「待て待て待て。なので、の繋がりが全く見えないんだけど」

「そうすればシャルロット様も色んな方と踊れますし、色んな方とお話しする機会も増える、ということじゃないでしょうか。僕もどうかとは思いますが、まあ、ほどほどに」

「ほどほどに、って……」

 まあ。

 つまり、今までと異なる方々が沢山いらっしゃるから、沢山そういう方々とお友達になるように、ということかしら。

 そう納得して、シャルロットは俄然気合いを入れた。せめてそれくらいはきちっとこなしたい。

「レイモンド様!」

「えっ、あ、はい?」

 急に話しかけたからか、レイモンドがビクッと飛び上がる。シャルロットはずいっと彼に頭を寄せた。

「どうぞ、お楽しみくださいませ。わたしも頑張って参ります」

「が、頑張る……? いや、ですが、そんなに気負わなくても」

「いいえ、折角陛下が皆様と仲良くなる機会をご用意くださったのですもの。無下には出来ませんわ」

 ふふ、と微笑む。レイモンドは何故か絶望的な顔になった。……レイモンド様?

「……最後にパヴァーヌがありますので、それ以外なら無理にご参加されなくても大丈夫ですからね。疲れたらどうぞゆっくり休んでください。そんなに堅苦しい会でもありませんから、踊らなくても良いのですよ」

 妙に念を押すような言い方に、シャルロットはちょっと戸惑った。もしかして、ダンスが苦手だと思われているのだろうか。確かに運動は得意な方ではないけれど、一応一通りは踊れるつもりなのだが。そんなにどんくさく…………見える、かもしれない。彼女はひっそりと反省した。はい、と素直に頷いておく。長く踊れないのも事実なことであるし。

「それでは、シャルロット様。最初の一曲は、私と踊っていただけますか?」

 どく、と心臓が高鳴った。打って変わってあまい声音に顔を上げる。レイモンドはふわりと、少し照れくさそうに微笑んで、文句のつけどころが微塵もない動作で一礼した。見蕩れるほど見事な所作。シャルロットは己が微かに震えるのが分かった。じわりと頬のあたりまで熱が達する。

「……はい。喜んで」

 シャルロットは伏し目がちになるのを必死にこらえて、何とかそれだけ呟いた。

 
 

 

 

 

  

 

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