銀世界に永遠を望む

 

 

  

 

 ああもうこの子は!

 コンスタンティアは焼き殺したい気分で夫を睨み、心の中で盛大に彼を罵倒してから部屋を出た。多分よく分かっていないのだろう王女に向かって、何故平気だと答えたのですと、まるで自分の子供にするように問いかける。彼女はちょっと困ったように、

「ですけど、王妃様。わたし、本当にそんなに哀しくもありません。あれが嫌がらせだというものなのだと、王妃様に教えていただかなければ気付かなかったくらいです。それにきっとわたしが不満など訴えれば何か悪いことが起きるのでしょう?」

 無垢な子供のように答えた。コンスタンティアはぐっと詰まる。事実だったからだ。悪いこと、というのは、嫌がらせをしたものにとってであって、本当はしかるべき罰の筈だが、彼女はあまり喜ばないだろう。そしてそれほど哀しくないというのもまた事実なのだ。何しろあんなに頓珍漢なことを言ってきたくらいなのだから。

「もっと酷いことをされるかもしれませんよ」

「ですがそれはわたしが殿下に相応しくないから、怒っていらっしゃる方がいるのでしょう?」

 コンスタンティアは目を見開いた。彼女に婚約者という感覚があったことに驚いたのだ。……何だかまるでどうでも良さそうだったのだし。

 けれどもまずこれだけは否定しなければ、と彼女は急いだ。

「相応しくないなんて、そんなことはありませんよ。こういうことをする者は貴女でなくともやったでしょう。人格も資質も薄っぺらな身分さえ関係ないのです」

 シャルロットは不思議そうな顔をした。意味が分からない、というような。

 この娘は、本当に、どうしようもなく頭がお花畑で、そうしてとても気が良いのだ。

「知っておきなさい、シャルロット姫。世の中にはそのような人がいるのですよ」

「……けれど、それは殿下のことがお好きだからなのではありませんか」

 あくまで彼女は人の良心を信じているようだった。嫌がらせをする相手まで庇わなくても良いだろうに。

「さあ、自尊心の問題かもしれません。けれどもたとえレイを好きでこんなことをしたとすれば、もっと酷い。好きならばこのような卑劣な手段は慎むべきです。たとえ、気持ちが高ぶり、絶望し、思いあまって、気付いたらこんなことをしていた、なんてことであろうとね。同情の余地がないとも言えませんが、かと言って好きだから許されるなんてことはないのです。というか、やってしまった以上言い逃れも出来なくなりますし、被害者の立場にはいられませんから」

 少し分かり難いだろうかと心配したが、今度はなるほどと頷いている。とても納得した様子に、なんとも言えない気分になる。……今のはあまり王女にはどうだろうという考えだったのだが。

「さて、ではシャルロット姫。今日はお庭でお茶にしましょうか」

 誤摩化すように微笑めば、シャルロットは嬉しそうにはいと答えた。

 ……素直な、良い子なんだけどねぇ。

 いかんせん、お花畑なのだった。




  *



 ポーラとともに花籠を持って回廊を歩いていたシャルロットはくすくすとさえずりあう少女の形の小鳥達を見つけた。綺麗に結い上げた髪は幾重も巻かれ、くるくると肩に垂れ下がっている。これが今のクラッグランドの流行りの髪型なのかしら、とシャルロットは自分の頭に手をやった。柔らかい髪はほとんどそのままに、控えめに後ろにバレットを留めただけ。ドレスも彼女達に比べればとても質素だ。細かなレースがひっそりと飾る淡い色味のドレスと、金の縁飾りに紅玉や緑柱石の留め細工、大胆に開いた胸元を彩る段々重ねになったフリルの豪華なドレスでは、なるほど方向性以前に桁が違う。

「……行きましょう、シャルロット様」

 感心していると、沈んだ声でポーラが促した。え、と戸惑って眸を揺らす。それは、もちろん、行くけれど。

「どうしたの、ポーラ」

「いえ……」

 首を振るだけで、ポーラは答えない。別に不都合もないので、言われるままにさくさくと進む。が。

 フリルに道を塞がれた。

 ……違った。羽扇で口許を覆う、麗しい盛りの少女二人だ。

「御機嫌よう、シャルロット様」

「御機嫌よう。あの、どうしてわたしの名を知っていらっしゃるの?」

 自分は彼女達の名前どころか顔すら知らなかったのに。思わず訊いてしまうと、彼女達は花園を蝶が飛び交うようにくすくすと笑い始めた。まばらなのにどこか等間隔の、秘めやかな。

「まあ、どうしてですって」

「まあ、そんな」

 うふ、うふふ、と笑み交わす。さざめく声が花の色をして、どこか夢の中にいるような感覚になる。

「だって、皆様お噂なさっておいでよ。レイモンド殿下の婚約者様がいらっしゃったって」

 ねぇ、とひとりがもうひとりを窺うように見る。ええ、とそのもうひとりが答える。うふ、うふふ。うふふふふ。可憐な笑い声が回廊中に響き渡る。シャルロットはぱちくりと瞬いた。

「まあ、そうなんですの。ふふ、恥ずかしいですわね」

 でも、そうよね。だって曲がりなりにもあの方の婚約者だもの。びっくりして、気になってしまうのも仕方がないわ。得心がいって、シャルロットは思わず微笑んだ。シャルロット自身を知っているなら違う意味でぎょっとするかもしれないが、知らないならば普通に気になるものだろう。中身も、外身も、地位すらも関係ない。これもコンスタンティアが言っていたことと同じようなものだろうか。

 ふんふんとシャルロットは二人の少女に興味を枝を向ける。自然、きらきらと目が輝き始めた。停止していた少女達はその視線に気圧されたかのように後ずさってから、同時にハッとなった。正気に返ったようである。

「な、なんですの、あなた」

「何がです?」

「何がって、馬鹿になさっていらっしゃるの?!」

「え、……どうして?」

 自分は今何か失礼なことを言っただろうか。不安になってポーラを仰ぐ。……何故かポーラは勝ち誇ったような顔をしていた。よく分からない。シャルロットは少し困って、少し首を傾ける。しゃらん、とバレットから流れる花びらを模した房飾りが揺れた。

 少女達はまだ不愉快そうにしている。どうしよう、と悩んでから、彼女はふと良い考えを思いついた。

「お二人とも、午後のお茶をご一緒しませんか?」

「しゃ、シャルロット様?! 何を仰って、」

「あら、駄目だったかしら」

 瞬時に血相を変えたポーラに、ごめんなさい、と肩を落とす。自分は時々、思いついたままに行動してしまうから、そのせいでよく父母や兄弟達に困られていた。ような覚えがある。気をつけなければ。

 今、自分は、コーラルフェリアを背負ってこの城に立っているのだから。

 と、茫然と言葉をなくしていた二人が息を吹き返した。猛然と喚き始める。

「じょ、冗談じゃありませんわ! どうしてわたくしがあなたなんかと!」

「そうですわ! わたくし達を何だと思っていらっしゃるの!」

 あまりの剣幕に、シャルロットは目を白黒させてしまった。そ、そんなにまずかったのかしら。今度はシャルロットが後ずさり、きゅ、と花籠を抱きしめる。

「ご、ごめんなさい、悪気は……」

 言いかけた時、ふわりと肩を抱かれた。驚いて飛び退き、振り返ると見事な金髪の男が優雅に微笑んでいる。

「……あの、」

「お嬢さん方、美しい声をお聞かせくださるのは光栄ですが、ここは回廊。言わば公衆の場ですから、どうか少し穏やかにお話いただけませんか。折角の小鳥のようなお声が勿体のうございますよ」

 さらさらととめどなく零れ落ちる美辞麗句に二人の娘はぱっと頬を赤くした。まぁ、あら、まぁ、などと囁きあっている。

「失礼致しましたわ、オルポート卿」

「おや、私をご存知ですか。貴女のようなお美しい方に名を呼んでいただけるとは、この身に余りある栄誉です」

「まあ」

「まあ、お上手ですわ」

 一気に機嫌をよくした少女達はころころと上品に笑い、それでは御機嫌よう、と言いおいて去って行った。嵐のようだった。ポーラはふんと鼻白んでいる。シャルロットが娘達の後ろ姿をぽかんと見つめていたら、彼はにこりと笑んで貴族らしく一礼する。

「ご無事ですね、コーラルフェリアの姫君」

「え、——ええ、はい」

 無事? ああ、さっきの方達のことかしら。丁度怒らせてしまったところだったから、喧嘩をしているのかと誤解されたのかもしれない。

 そう思い至って彼女は慌てた。

「あ、あの、違います!」

「……姫君ではあらせられないので?」

「あ、いえ、そちらではなく……わたし、あの方達と喧嘩していたのではありませんの。わたし一方的に、何か失礼なことを言ってしまったようで……どうやら怒らせてしまって。ですから、その」

 怪訝そうにしていた男はシャルロットのしどろもどろな言い訳を聞き、目を丸くしたと思ったら高らかに爆笑した。

 ポーラがびくっと肩を揺らす。まさかこの貴公子然とした人がそのような笑い方をするとは思わなかったのかもしれない。シャルロットはシャルロットで、何だかよく分からないがまた笑われた、とちょっと驚いていた。

「け、喧嘩って、姫、その仰り様は、ぶふ、」

(こ、子供っぽい、かしら)

 言われて、かああっと頬を赤くする。確かに、この歳になって喧嘩などとは、少しばかり幼い言い様かもしれない。やってしまった。

「え、えぇと、その。い、諍いを、起こした訳では」

「言い直しても変わりませんよ。というかあれはあからさまにいちゃもんをつけられていたじゃないですか!」

「い、いちゃもん……?」

「オルポート卿! シャルロット様におかしな言葉をお教えなさらないでくださいませ!」

「充分おかしな方じゃないか」

 はっきり言われてシャルロットは軽く肩を落とした。おかしい、だろうか。……それが本当なら、殿下にはばれないようしなくちゃ。きっと困ってしまわれるわ。

 違う方向に思考を彷徨わせ始めたシャルロットだったが、ポーラは反対にきりきりと眉を吊り上げた。

「まああ! なんて無礼な! 謝罪を要求致します!」

「ぽ、ポーラ。そんな、良いのよ。ごめんなさい、ご気分を損ねられてしまったかしら」

 ポーラこそあんまりにもはっきりした言い様に肝を冷やし、シャルロットはさっと庇うように前に出て謝った。そっと顔色を窺う。

 彼女の不安と裏腹に、彼は楽しそうなままだった。

「いや、こちらこそ失礼しました。……名乗り遅れましたね、私はジュリアン・オルポートと申します。どうぞ、ジュリアンとお呼びください」

 知ってますわよ、と苛立たしげにポーラが吐き捨てた。冷や冷やしながら、ドレスの裾を持ち上げる。もう、ポーラったら。

「シャルロット・アドリアン・マルブランシュと申します。先程のご無礼、お許しください」

 花が枝垂れるように一礼すると、ジュリアンは暫しぼうっとしたような表情になった。ジュリアン様? とシャルロットが呼びかけると、彼ははっとしてから緩やかに微笑んだ。嫌味も甘さもない、穏やかな笑顔だった。今までの中で一番、好感の持てる笑みだ。

「お手を、お許しくださいますか」

 その言い回しに目をしばたたいてから、シャルロットはそっと手を差し出した。げっ、とポーラが呻く。

 ジュリアンはおもむろに跪き、シャルロットの手を取った。捧げ持つようにして、唇を寄せる。

 柔らかい感触が手の甲に押し当てれた。シャルロットは不思議な気分になった。——不思議というか、何か、違和感のようなものを感じる。何だか、これは、違うような。シャルロットが望むものではないような。

(レイモンド様)

 無意識にかの人の名が浮かぶ。何かしろくて柔らかいものが胸の底に降りた気がした。けぶる、甘い紅茶の湯気のような。

「どうぞ、以後お見知りおきを、シャルロット姫」

 そんな彼女の内心など知らず、ジュリアンはまた、美しく微笑んだ。どことなく、女の心を引き寄せる、甘さの含んだ笑み。シャルロットは、この笑みはあんまり好きではないわね、と妙に冷静なことを思った。


 

 

 

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