薔薇の花は君を待ってた

 

 

 

 
 

 つたない夢を見ていた。



「シャルロット様? ご気分でも優れませんか?」

 むくりと起き上がったシャルロットが、微動だにせずぼんやりしていた為か、ポーラがそんなことを尋ねてきたのを、判然とした頭で聞いた。だいじょうぶ、と舌ったらずに答える。威厳も何もないが、まあ、寝起きということで勘弁してもらおう。

 ……懐かしい夢を見た。幼い頃、レイモンドと無邪気に遊んでいた頃の夢。

「ポーラ、今日は確か……」

「あ、はい。夜会がございます。ですが、もしお休みなられるなら、今のうちに王妃様にお願いを……」

「大丈夫よ。ちょっとぼうっとしていただけだから」

 ほわほわと答えるとポーラは「それならいつも通りでございますね」とほっとしたように頷いた。……何か引っかかるものがないでもない。

 侍女の一人がクローゼットから深緋のドレスを持ってくる。コルセットを締め、袖を通す。首元まで覆われるベルベットはとにかく重い。中のクリノリンが押しつぶされそうだ。

 耳の辺りから一房を取られ、するすると丁寧に結われていく。化粧台の鏡に映る自分は、やっぱり何の変哲もなく見えた。今髪を整えてくれている少女達の方が綺麗だ。王宮の雇用条件には確か見た目も含まれていたから、それも当然なのかもしれない。

「もう、殿下もいらっしゃるなら花でも持っていらしてくだされば良いのに」

「本当よねぇ。せっかく生花でシャルロット様をお飾り出来るかと思ったのに」

「殿下は女性に関してだけは欠陥ありまくりなのよね」

「陛下はそういうのお得意でしょうけど」

「あら、でもあれで王妃様を落とすのに苦労したらしいわよ」

「あらじゃあ血筋?」

 次から次へと目紛しく変わる話題を下からのほほんと聞きながら、シャルロットは首を傾げた。花? 

「花だと何かあるの?」

 大分時間差で尋ねると、彼女達はちょっと怪訝そうになってから、ああと頷いた。

「最近の流行りなんですよ、生花を髪飾りにするのが。おまじないもありましてね、恋人に贈られた花をそのまま飾りにして、他の装飾品を一切つけずに王妃様主催の舞踏会でラストダンスを踊ると永遠に結ばれる、というものなんですけど」

「でもシャルロット様はそんなおまじないなくても全く問題ありませんわ」

「むしろ殿下こそ、シャルロット様に愛想つかされないようお気をつけいただかなくては」

「本当ね!」

 どっと笑いが溢れるがシャルロットは聞いていなかった。

(……それは、)

 生花じゃなくて、良かったのではないかしら。

 さんざめく話し声から離れ、そんなことを思う。そう、多分、まだ。

 まだ、そんなことになってはいけないだろうから。



 

 

 

 


 夜会まで時間がある。

 王夫妻とその子供、第三王女ディアナ、第二王子アスター達と朝餐をともにし(相変わらずレイモンドは王の代理仕事が嵩んでいるようである)、のんびりと王宮内を散歩する。自国ではないので、あまりやることもないから、シャルロットの浮いた時間は妙に多い。 

 大抵はポーラを伴ってそこかしこを歩くのが日課になっていた。

「そうだ、シャルロット様。薔薇園に行きましょう。王妃様もお好きなように回って良いと仰っていらしてましたし、折角ですから摘んで参りましょう!」

「え、でも、良いのかしら。勝手に摘んで」

「大丈夫ですよ!」

 その自信はどこからくるのだろう。

 というか、何故、生花に拘る。

 そんな疑問が浮かばないでもなかったが、ポーラのきらめかしい笑顔にサクッと霧散する。そうねぇ、じゃあ一輪失礼しましょか、と微笑んだ。そのまま庭園へ足を向け、園丁の手を借りながら敷かれた煉瓦の道を進む。こつり、こつりと石を踏むヒールの音が心地良い。甘い匂いが充満する。クラッグランドの『王室庭園(ロイヤル・ガーデン)』をこんなに堂々と歩けるなんて、コーラルフェリアの友人達に教えればさぞかし羨ましがられるだろう。もしかすれば首を絞められるかもしれない。

(そういえば昔はよく、このお庭でレイモンド様と遊んだわ)

 国主同士の会話に邪魔な子供達は外へ追いやられ、自然と二人でままごとめいた言葉を交わすようになっていた。綺麗な綺麗なレイモンド様。思えば、昔から天使のようだった気もする。つくづく少女ではないことが悔やまれる美しさ。どうしてあの頃は気にせずにいられたのか不思議なくらいだ。人というのはどうしたって中身も外身も見てしまうものなのに。きっと、それには善も悪もなく、ただ事実としてあるだけなのだろうけれども。

「……う……」

 ……?

 ふいに聞こえてきた呻き声にシャルロットはきょろきょろと周りを見回した。紅茶色、淡い黄緑、アプリコット、淡い苺のような色や、真紅の薔薇が整然と咲き誇っている。無造作に植えられたようでいて、丹精込めて計画され、形作られているのが分かる。そんな数多くの薔薇の茂みの中、ちょろんと青い滑らかな布がはみ出ていた。

「……青い薔薇なんてあったかしら」

「い、いえ、多分きっと間違いなくあれは人ですよ! ドレス! どど、どうしましょう。もしかしたら具合でも……」

「まあ大変!」

 おろおろするポーラをおいて、シャルロットは裾をたくし上げつつ走り出した。青いドレスの元にしゃがみ込む。もしかしたら自分のドレスが汚れてしまうかも、という考えは残念なことにさっぱり浮かばないシャルロットだった。

「あの、青い方。どうされましたの? もし人を呼んだ方が良いなら今ポーラに頼みますから、どうかしっかりなさって」

 ぱたぱたと控えめに細い肩を叩く。ゆるゆるとその面が上がり、ブルネットの髪の間から深い濃紺の瞳があらわになる。——わ、綺麗。このひと、すごい美少女だわ。レイモンド様と張られるかも。

「…………コーラルフェリアのシャルロット殿下……?」

 うっかり見蕩れてしまったが、相手の方が茫然と名を呼ぶので、急いでこくこくと頷いた。

「そうよ。シャルロットでいいわ。あなたのお名前は? わたし、何をすれば良いかしら」

「あ、わ、わたくし、ヴェルロゼット侯爵の娘の、エレン・ブラックストンと、申します」

「そう、エレン様。あの、わたし、どうすれば良いかしら。——ポーラ、園丁の方にお知らせして、誰か呼んできていただいて!」

「は、はい!」

 猛然と首を縦に振ったかと思うと、ポーラは脱兎の如く走り出した。いつも優雅典雅華麗を心がけている彼女にしては珍しいが、シャルロットはその速さに感謝した。ポーラったら、本当はあんなに速いのね。わたしももっと鍛えなきゃいけないかしら。

「エレン様、お辛かったら目を閉じていただいて結構ですわ。わたしのハンカチでよろしければどうぞお使いください」

「も、申し訳ありま、せ……殿下に、こんな」

 そこまで言って、うっと彼女は青ざめた。ぶるぶると身体中震えている。さーっ、とシャルロットも青くなった。ど、どうしましょう!

「ご、ごめんなさ……離れ、」

 言いながら、エレンは口許をぐっと押さえる。その仕草でシャルロットははっとした。ドレスの襞を寄せ、エレンの口許に押し付ける。

「大丈夫です! わたしがついておりますわ。遠慮御無用です!」

 焦りのあまりなんとなく発言を間違えた気がしたが、ともかくエレンを勇気づける為に殊更力強く言ってみせた。堪えられなくなったらしいエレンがぐっと咽せる。

 ポーラが衛兵と女官を連れて戻ってきたのはエレンが戻した数分後のことだった。


  

 

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