薔薇の花は君を待ってた

 

 

 

  

 

 聞くところによれば、エレンは高貴なる令嬢たちの『悪戯』を受けていたらしい。つまるところは嫌がらせである。

 人払いをした室内には、シャルロットとエレンの二人きりだ。それで喉の滑りが多少よくなったのか、ゆっくりゆっくりとエレンは話してくれた。

「私は地味で、小心者で……全然、侯爵令嬢に相応しくなくて。なのに、アスター様とも仲良くしていただいておりますし、レジーナ様を上手く持ち上げることも出来なくて」

「レジーナ様?」

 そういえば昨日怒らせてしまった少女もそのような名前であったような。

 カモミールの匂いが湯気から香り、すっと鼻孔をつく。爽やかだ。

 ラムズフィールド公爵令嬢レジーナ・コープランド。それが主犯の名前のようだった。あの美しい少女がそんなことをするとは、何やらとっても幻滅である。

「それで、たまたまレジーナ様のご機嫌がよくなかったようで」

 何か変なものを呑まされて、よりにもよって王妃の薔薇園に放られた、と。

 まあ、とシャルロットは眉根を寄せた。自分が通りかかったから良かったものの、もしコンスタンティアの薔薇を汚してしまっていたら『悪戯』ではすまされなかっただろう。……いや、まあ、もみ消されたかもしれないが。

「私が、もっと、しっかりしていたなら、良かったのですけど」

 ぎゅう、と握りしめられた手は、すぐに赤まるくらい白くて細い。今にも泣きそうなのに、エレンはまるで自分を責めるみたいだった。

 エレン様。囁くようにシャルロットは彼女を呼んだ。

 そう、あと、一ヶ月少ししか、自分はここにいられない。その間に何をすればいいのか。ずぅっと手をこまねいていたわけだけれど。

 これは、とっても、有意義だわ。少なくとも、レイモンド様のお心を射止めるより、余程。

「本日の王妃様主催の夜会、ご一緒致しませんか?」

 エレンはきょとんと瞬いた。

 

 

 アスターはまったりとおしゃべりをする少女達を扉越しにこそこそ覗き見て、ほっと息を吐いた。

 シャルロットは終始楽しげににこにこしているし、落ち着いてきたらしいエレンも表情を和らげている。兄の言う通り、問題ないようだ。さすがは兄上と義姉上だ、と密やかに気の速いことを思う。……歳は自分の方が上だが。

「…………でーんーか、覗きは感心しませんよ」

「わあっ?!」

 踵を返しかけたところに声をかけられて、アスターはびくっと飛び上がった。

 にやりと嫌な顔をした青年と目が合う。げんなりした。

「アレックス? 兄上と一緒だったのでは……」

「ちょっと調べものを頼まれましてね。殿下もご一緒します?」

「……何で僕が。というか、それとここにあなたがいるのは別では」

「お、さすがです。誤摩化されてくださいませんねぇ」

 はっはっは、とユルく笑い、アレックスは庭先のシャルロット達を見やった。ふわりと目許が和む。アスターはその表情に少し驚いた。まるで、とても愛おしいというような。……何かを懐かしむような。

「……シャルロット様は、僕の義姉上になっていただくので」

「……なんですか、薮から棒に。失礼ですねぇ。変な邪推しないでくださいよ」

 まだ怪しむ気が抜けないアスターだったが、ふともう一人に気付き、今度こそ血相を変える。

「え、エレンは、」

「だから違いますって! 何でそうあなた達兄弟は妙な疑りを持つんですか!」

「あ、そ、そう。……別に、何も言ってないです」

「……素直じゃないですねぇ」

 呆れたように呟き、くしゃりと髪の毛をかき撫ぜてくる。アレックスには兄同様幼い頃から世話になっているので、どうにも頭が上がらない。アレックスもアレックスで、アスターを弟のように扱う。全体的に適当なこの人が真面目なところはあんまり見たことがないが、いつでも彼ら兄弟には誠実であってくれていることを知っているから、何だかんだで許してしまうのだ。

「シャルロット様とはずっと昔にもあったことがあるんですよ。レイ殿下に連れ回されたあの方は、昔も変わらずのほほんとしていらっしゃいました」

「ああ、それは覚えていますよ。あんなにはしゃいだ兄上、初めて見たから驚きました。いつも、もっと遠い人のように思っていましたから」

 まだアスターが七つの頃。隣国から召しあわされた姫君は六つで、兄は八つになったばかりだった。幼い自分から見ても完璧な人だった。アスターにはとても優しかったけれど、いつも少しだけ張りつめたような空気を持っていた。それがいつからだったかは、もう分からなくなっていたけれど。

 けれど多分、今思えばあれは、王太子としての重圧に、期待に、何より父からくだされる重みに堪える為であったのかもしれない。そして————母を、守る意味も。

 とは言っても母は息子にやすやすと守られるほど柔な人でもないし、母を守るのは父の役目であり、それは一生誰にも代わりなど務められないものだから、兄の杞憂に終ったのだろうが。

 そんな、正しくあろうと背を伸ばすレイモンドの後ろで、ほわほわと能天気に笑うシャルロットの姿は妙にちぐはぐで。

「あの二人の似合わなさに俺、爆笑しちゃったんですよねぇ」

「アレックスもですか?」

 アスターは目を丸くして彼を見上げた。アレックスは思い出してしまったのか、ぶふふ、と口許を押さえて笑いを堪えている。漏れでているが。

「いやー、だって、肩肘張りまくりのレイ殿下に、ぼへらっと笑ってるシャルロット姫ですよ。もー、ほんっと、笑えて笑えて。しかも殿下が不器用に気遣ってるっていうのに全然通じてないんですもん。俺、初めて殿下を馬鹿だー、と思った時でしたねぇ」

「……アレックス、心の中でそんなこと思ってたんですか」

「あれ、殿下も笑ったんでは?」

 いや、まあ、笑いましたけど、さすがにそこまでは、ともごもご言えば何故かしたり顔をされる。なんなんだ。胡乱に見やるが答えはこない。

「しっかし、王妃様の薔薇園であのフランボワーズ・アイを緩めるシャルロット様は能天気さも相まって本当に妖精みたいでしたね」

「——同感ですね」

 アスターが同意を示す前に妙に甘ったるい声が割り込んだ。眉をひそめる。この声は、確か。

「オルポート卿。聞いていらしたんですか」

 アレックスが困ったように頭を掻く。アスターの思った通りの人物が反対側の回廊から歩いてきているところだった。

 緩やかにうねる金髪を燦然と輝かせ、群青の瞳が妖しく微笑う。宮廷のうぶな少女も百戦錬磨の美女も誑し込むレイモンドとは方向性の違う美青年だ。栗毛の控えめで引っ込み思案な娘がいれば、貴女は野に隠れて眠る宝石よ、などと言って社交界に引っ張り出し、のぼせあげた頃にはさらりと違う相手のもとに向かい、今度は高慢ちきな自惚れ屋を、私の女王陛下、どうかその、どんな蜂蜜よりも甘い唇をお与えください、とか何とか言って骨抜きにする。そうしてまたひらりと別の花へ。これでよく大問題を起こさないものである。もちろん小規模な諍いなら巣に詰まった蜂の数ほどだ。そういうわけで、アスターはあまりこの人物が得意ではない。なんか面倒臭いから。

「失礼、丁度かの薔薇姫の御名を拝聴しましたので」

 この馬鹿丁寧で妙にすかして聞こえる喋り方も苦手である。ともあれ、耳慣れぬ呼び名にアスターは変な顔になった。

「薔薇姫?」

「シャルロット姫のことでございますよ、殿下」

 ……何故、薔薇?

 アレックスも笑顔のまま固まっている。これは反応に困ってとりあえず笑っておこう、という表情だ。激しく同感だった。

「由来を聞いても良いですかね」

 のらりくらりを装ったアレックスが勇気を出した。アスターは心中で賞賛を贈った。ジュリアンは心得顔で頷く。

「あの二輪の薔薇はまさしく、天上の真紅に勝るとも劣らぬ麗しさ。地上の薔薇さえ恥じ入りましょう」

 ……語学は得意だった筈なのだが、自信がなくなってきた。よくよく噛み砕いて考える。しかしその間にアレックスは得心がいったらしい、ああ、と軽く顎を引く。何故分かる。

「まあ、王妃様のお気に入りですからね。ですが、二輪の薔薇はあちらのお国では可愛らしい木苺のようですよ」

「ええ、ですが、この国にいらっしゃっている間は薔薇でいていただきたいものです」

 ふ、とジュリアンが笑う。

 はは、とアレックスも笑う。

「あなたの? それとも殿下のですか?」

 一連の会話でさすがに理解したアスターはその応酬にうんざりする。ああエレン。君の素朴さがものすごく恋しい。

 ジュリアンは秘め事を囁くように片目を伏せた。

「無論、言うまでもございませんよ」

 そうですか、と頷くアレックスの目は、明らかに、明言してけよこの色惚けが、とでかでか書かれていた。

 
  

 

  

 

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