彼の憎らしい恋人

 

 

 

 


 

 

 彼はときどき、自分の恋人が憎らしくてたまらなくなる。

 

 

 

 はあ、と小さな唇から吐き出された息は、まだ秋だと言うのに既に白く変わっている。ちいさな手。頬にかかる黒髪が揺れて、それから宗弥を見上げる。視線が合った。彼女はぼんやりとした目を、暫くしてから下へ落とす。睫毛まで下向いて、瞳の色が窺えない。

 猛烈に、いじめたくなるのだ。侑芽。彼の恋人。この綺麗な目が涙でいっぱいになって、もっと、宗弥を見ればいい。泣けばいい。宗弥のせいで泣き、宗弥のことだけを見ていればいい。そんな風に。酷い感情だ。およそ恋人として似つかわしくない。けれどもそれが本音で、いつまでも抜けないものだった。侑芽は宗弥を見る。けれども宗弥は見ない。ただちいさくてつめたい手を引いて、ゆっくりと歩く。繋いだ、触れた、肌の感触に心臓が早鐘を打って、息苦しくて仕方ない。何を言えば良いのか、どう言葉にすればいいのか。分からなくなる。だから自然、会話は少ない。代わりに侑芽のぼんやりとした、どこか関心の薄い眼差しが、大抵、いつまでも追ってくる。それは震えるように甘く、しかしその感情の薄さに苛立たせられる。侑芽は何も言わない。文句も、不満も、願いも、望みも。ただ、ときどき、ぽつんと小さな問いを紡ぐ。わたしのこと、嫌いなの。不思議な言葉だった。否定も、肯定も、何も期待していないような。そう問われるたび、宗弥はひやりとする。彼女が、どちらかを望むとして、もしそれが肯定だったとしたら。宗弥には返せない。このちいさな手を他の誰かに譲る気は微塵もなく、だけれど自分が相応しくないことも理解していた。だからただ、どうでもいいように微笑う。そうすると彼女はまた黙る。白い息。ちいさな、赤い、くちびる。

 しまった、と頭の片隅で思う。けれどもそんなものは途方もない欲求に塗りつぶされる。

 今、キスをしたら、侑芽は泣くだろうか。

「侑芽」

 しっかりと彼女を見て、呼ぶ。侑芽はまたたいた。どろりと甘い感情が鎌首をもたげる。

 かわいい。

 この子を、今、泣かせてしまいたい。

 気付けばやわらかなくちびるにキスを落としていた。触れ合うだけのくちづけ。それ以上は許されていないような気がした。そっと離れると、彼女は、しかし泣いてはいなかった。じっと宗弥を見上げている。くちびるが濡れて、その感情の読めない顔に、目眩がする。侑芽。苦いものが口の内に広がった。侑芽、聞きたいのは、俺の方だよ。侑芽、何で俺とつきあったの。少しも俺を好きじゃないくせに、キスされても泣かない。侑芽。

 

 

 俺はときどき、君が憎くてたまらなくなる。

 

 

 

 

  

 

   本編 / 番外2


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