あの子の心臓をください

 

 

 

 

 

 ミャルヘルの職人街(ドューナ・ノテ)のチョコレートは女の子の心臓で出来ている。

 
 と、いうのがおまじないである。それも限りなく甘いおまじないだ。そんな都市伝説じみた習いには続きがある。曰く。
 好きな子に告白する場合、あなたの心臓が欲しいと言ってチョコレートを渡せ。
 こうだ。
 この妙なというか厄介というかこっ恥ずかしい上に振られたらもう布団の中から出たくなくなるようなおまじないの起源はと言えば、我らが神ナートュルが、唯一愛した娘ラハと想いが通じ合ったおりにラハの心臓に口付けたらアラ不思議チョコレートが生まれ出た、そしてその両思いの記念場所がドューナ・ノテだったのだとかなんとかいう明らかに眉唾ものな言伝えだった。甚だばからしい話である。遠方、及び城下であれば信じるものもあろう。いやというよりその伝えのめでたさにあやかろうとするものもあるだろう。だがことドューナ・ノテの人間に限っては、これっぽっちも信じちゃいない。これっぽっちも、である。何故なら常識的に考えてチョコレートを生み出したのは遥か古代の異国より来たりし職人秘録に名を連ねるルバート=ケリーであり、神の寵子ラハとナートュル神の愛の成就に生まれたのは神々を酔わせる蜜の泉だと、教典にだって書いてあるのだ。だというに教会のボンクラ共は愛は須らく祝福されるべき慶事云々などとふくふくしい微笑でのたまい、ドューナ・ノテのチョコレートはあなた方の恋を応援しておりますよさぁ街のチョコレート工房で己と相手の娘御さんにぴったりのチョコレートを選んでらっしゃいはっはっはと促しやがるのである。ああ、まったく、甚だばからしい。
 そんなばからしいことを何故今更延々憤り続けているかといえば、自分、つまりラメル・ムジクワが街一番のチョコレート工場でひっそり働いているそこそこまぁまぁ並のチョコレート職人だからである。
 何故憤るか。
 それこそ自明の理だ。今、この時期、ナートュルが喜ばしくも想いを実らせた時期。
 普段はのんびりまったりなチョコレート工場にヒラの職人すらてんてこまいになるほどの注文が殺到するからである。
 ……ああ、ああ、繁盛するのは良いことだ。良いことだとも。だがしかし、これほどむやみやたらと繁盛するのは如何なものか。休日すら引っ張り出され、休んでいても友人から無理やり拝み倒されるとはいや本当これ如何に。
「ラメル」
 だいたい、だいたいだ。何故そもそもうさぎの眼玉ほどもない勇気を振り絞って告白するのにあんな自爆まっしぐらな台詞を言わにゃならんのだ。しかもチョコレートって、おまえ。もし相手の子がチョコ嫌いだったらどうするんだよ! カカオアレルギーなんぞだったら眼も当てられないじゃあないか! もう普通に隣国ラーヴィスみたく花束でも送った方がまだまだまだまだ現実的だ。貰った方もいつかは枯れるから放っておけばいいし、上げる側もそれほど好みを考えなくて済む。多少、いやわりと恥ずかしいがそれはどちらにしろ同じだ。
「ラーメールー」
 ああばからしい。そも何が嬉しくて独り身男がデレデレした同性の恋のお手伝いなんて鳥肌の立つようなことをするんだ阿呆か。いや、そりゃあ青ざめて一生分の勇気を振り絞っているヤツらが標準的なのだが、何故か、な、ぜ、か、ラメルのもとに頼み込みにくる友人達はデレデレと相思相愛な恋人が居る奴らばかりなのである。ええい忌々しい。
「ラメル、ってば!」
「おわっ」
 ぼと、と苛々こねくり回していたダークチョコレートの塊が落下する。べちゃ。崩れた。ラメルはがっくりと肩を落とした。……ああ。
「ユーリヤ、いきなり話しかけるな!」
 腰に手を当てて不服そうな顔をしているユーリヤを、自覚出来るほどに情けない顔で振り返る。石室になっている小さなこの部屋は職場ではなくラメルの家の地下で、今力任せに作っていたチョコレート菓子は友人に頼まれたものである。というわけで休日を潰された彼はいたく怒っていた。無言で。
 そんなラメルの家に勝手に入り込んできたこの少女は彼の腐れ縁、いやいや幼馴染みであり、立派な硝子職人である。休日だが。
 灰色の長い髪と瞳の紅が陽光にきらめく金の眼は、どこか妖精じみている、と彼は常々、この幼馴染みを見るたびに思っていた。ごくごく普通の————とても良く形容するとはしばみ色の髪に煙水晶の眼のラメルとしては、隣に立つとちょっとげんなりするくらい整った容姿だ。とは言え当の本人は灰をかぶっているみたいで不満だそうだが。
「ていうか、いつの間に入ってたんだよ。不法侵入だぞ」
「そんなことよりさぁ。何そのチョコレート。ラメルってば苛々し過ぎでしょー」
「そんなことっておまえ」
「食べて良い?」
「よくねぇよ!」
 にへら、と微笑う顔はまさしく美しいが騙されない。まったく今日は一体何なのだ。
「で、何のようだよユーリヤ。まぁお前の用は大抵ろくな用じゃねぇから聞きたくねぇけどな」
「あっはっは、またまたー。ラメルはとおっても優しいから、ぜぇったい話を聞いてくれるもん」
「あっはっはー。聞くだけな、聞くだけ。んん?」
 ふ、ふ、ふ、といかにも可愛らしさの欠片もない怪しい笑みを浮かべるユーリヤに呼応するが如く笑ってやる。ラメルはほんの少し、彼女から距離を取った。冷たい板から手を離して腕を組む。彼より頭一つ分は小さい娘は、そのことに微かに眉を寄せ、珍しくも言いよどみ、鬱陶しいくらいの僅か数秒をおいて口を開いた。
「チョコレート」
「はあ?」
「作って」
「……は?」
 意味分からんぞ、幼馴染み殿。
 
 
 
 
 なんと驚くべき事に彼女は告白するのだとのたまった。
 ラメルは暫く口が利けなかった。
 ぽん、ぽん、ぽん、と数拍頭の中が真っ白になる。
 ようよう生き返った時には彼の指は震えながらユーリヤを指差していた。
「……おまえ、性別反転したの?」
「出来るか! 違うってば、普通に————お、男に告白するの!」
「……その言い淀み方。怪しい。い、いやいやいや、俺はおまえの性癖は黙認するぞ? うん」
「違うっつってんだろこのすたぽんたん! 阿呆! チョコレート男!」
 チョコレート男?! なんだそりゃ。
 ラメルはごほん、と咳払いした。いかんいかん、驚き過ぎて思考が一回転してしまったらしい。
「……いや、良いけどな。でもチョコレートじゃなくてもいいだろ、女子は。おまえの得意な硝子細工で良いんじゃねぇの?」
「……う、そう、だけど」
「……けど?」
「……チョコが、良いの」
 困り果てた顔で、ユーリヤは言った。
 ラメルは瞬いた。がつん、と心臓が飛び跳ねて、堕ちた。気がした。
「……何で?」
 ユーリヤが黙る。
 ラメルは待つ。
 硝子の染料で汚れたエプロンは彼女によくよく似合っていたけれども、その表情があんまり暗いものだから、ラメルは激しく、それは激しく違和感及び多大な不安を覚えた。大丈夫かこいつ。
 いややっぱいいよ、と前言撤回しかけたところで、ユーリヤは漸く口を開いた。
「………………チョコレート、何より愛してるヤツだから」
 ……。
 …………そうですか。
 ラメルはとりあえず、ほうほうと頷いた。頷いておいた。胃がものすごく、そりゃもう眼の端からしょっぱい水がだばだばと溢れそうなほど痛かったが、気力で頷いた。
 チョコレートを何より愛してる相手だからその何より愛してるものを贈る。自分の誇りで出来たものではなく。なんというユーリヤにしては吃驚な想いの深さだろうか。ああ泣ける。なんだろうこれ。こいつは何故、よりにもよって俺のところにきたんだろう。ラメルはとても不自然にはははははははと笑った。顎がカタカタした。
「……それなら、マエストロの特別注文チョコの方が、良いと思うんだけど?」
「そんなたっかいの買えないよ。私、ただの硝子職人だもん」
「……半分出してやろうか?」
「はあ? 嫌だよ。何でたかんなきゃいけないの。幼馴染みだからって、そこまで言わないよ。ちゃんと自分で手に入れられて、座り悪くなく渡せるものがいいの」
 当然のように言うユーリヤは、こういうところはわりと真面目だ。だからラメルはうっかりほだされてしまう。わかったよ、作れば良いんだろ。零すように言ってやれば、ユーリヤはとても嬉しい時の笑顔になった。
 なんというか、それだけで幸福な気分になれるのだから、自分も大概お人好しである。
 
 
 
 

 

 

 

 

title:lyric note さま

 

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