莉瑛が千歳に部屋に入ると、溢れ出た花々があちらこちらに舞っていた。淡い色合いの花弁が差し込む風に揺れている。一瞬ひやりとした。こんなに、鮮やかに、彼女は花を咲かせてしまう。まるで呼吸をするように。

「莉瑛、お話、終ったの?」

 寝台に座る千歳の表情がぱっと明るくなった。

 はい、と答えようとして、結局言葉にならずに、莉瑛はただ幼子の頭を引き寄せた。ぎゅう、と抱きしめる。とく、とくとつたない鼓動の音が聞こえる。はるのにおい。彼女からはいつも、春の匂いがする。りえい? と慰めるように千歳が彼を呼ばう。知っている。本当は、莉瑛より千歳の方がずっと大人で、來燈が思っているよりずっと聡いということ。莉瑛はなんだかたまらなくなって、やわい身体が潰れるくらいに抱く力を強くする。灰がかった金の髪に顎をうずめ、弱く、細く、息を吐き出す。小さな小さな身体。精神にそぐわぬ見た目。だけども、————莉瑛は、本当は、彼女が幼い姿でも、構わなかったのだ。酷い話だ。改善すれば良いと思いながら、必死に松柄について何か少しでも方法を、と探りながら、時には寝食も忘れて取り組んで、だというのに心の片隅ではそんなことを思っていた。

 莉瑛にとって千歳は千歳で、ずっと傍で見てきた彼女が千歳だったから。

 彼女が存在してくれているなら何だって良かった。幼い笑みが本当に嬉しそうに染まるなら、それで良かった。ちとせ。

俺は、あなたが、


 

 

 

 


 あなたがすきだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『————あの子は眠っている間に花を咲かせるんだ』

 來燈は告げた。浅く息をしながら、静かに。

『何をするにも対価というものがいる。声を張り上げれば喉は痛くなるし、走れば息が切れる。勉学には時間を。何だってそうだ。それは異能にも言える。ただ在るだけじゃない、力を使えば体力、そして魂を消耗する。それは命に等しい。常人なら回復するのも早いだろうがあの幼い身体では負担が大き過ぎる。加えて花を咲かすのは無意識だ。さらに睡眠というのは思っている以上に体力を使う。これでは二重に悪い。……刻一刻と、あの子の時間はすり減っていっている』

 まるで花の夢遊病だ、と彼らしからぬ冗句を口にし、來燈は額を覆った。莉瑛は茫然と、二の句を告げずにいた。知りもしなかった。千歳は。千歳はそのことを知っているのか。知っていて、それでも、あの子は。

『莉瑛くん。私は酷い人間なんだ』

『え、』

『君に、最期まであの子の傍に居てほしいと、思うんだよ。あの子は君がとても、好きだから』

 ……なんて貴族らしくない台詞だろう。だけどもそれほど彼は娘を想っている。そして一昔前、瑯家で起こった権力争いのごたごたに疲弊している。皇室まで巻き込んだ騒動だったと、以前彼がほとりと零したことを、莉瑛は今でもよく覚えている。だから彼は他の娘や息子に生臭いところに行って欲しくないと、心底願っていることも。貴族らしいほど貴族なのに、あまりにも貴族に向かない男だと、そう言ったのは松柄だった。ずば抜けた才気と冷厳さに反比例して、彼は優し過ぎる。そして彼の心を許す全ての人間に甘いのだと。

『私には、未だにあの子の幸せが分からない』

 痛切な言葉だった。そして、ふと、雷に打たれたように思い出す情景がある。

 花園に眠る幼子。松柄が、皇太子にお目通りかなって以来、目覚めぬ娘がいると來燈に請われて訪れた瑯家の屋敷。五つの時のことだった。瑯家の所有する花園に連れられて、そこで待っているようにと師に言われ、ぼんやりと妖精の棲み処のような道なき道を歩いた。そうして見つけたのだ。静寂の名の如く眠る彼女を。

 その下に白い布が敷かれ、柔らかな光で覆われていたと知ったのはその暫く後のことだった。それが異能者の力で守られていたということも。


 咲き乱れる春の花は、彼女が無意識に咲かせたものだった。




 

 

 


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