何だか妙に楽し気にくすくすと微笑う千歳が言うには、莉瑛に『桜綺』の名で呼ばれた時、一瞬意識が飛んだのだという。そして松柄が言うには極限まで力を出し切り、あと少しというところで自己が飛んでくれたおかげで力が暴走し、それで本来の年齢に戻れたとか何とか。 ……なんだそれは。 「俺が死にそうなくらい心配したのは何だったんですか」 「でも戻ったんだから良かったのよ」 「納得いかないんですけど……」 まあ、良かったと言えば良かったが。 感激で泣き出し、年相応の姿になった娘を抱きしめた後、「月由、月由————っっ!」と細君を探しに行ってしまった來燈に以前食べ損ねた菓子を貰い、二人してもそもそと食べていたところでやってきた松柄を交えてなされた顛末の感想を、師が去った後にむっつりぼやいた莉瑛に向かって姫君は手を伸ばしてくる。幼子の姿だった時と同じように。 ふわり、と春の匂いがした。けれど同時にそれは妙に甘い。 「陛下に会ったって本当?」 「え、あ、はい。……本当に皇帝なんですか?」 「うん。昔から、陛下は気に病んでてね。ほら、知ってるでしょ、わたしが皇太子様にお会いして昏倒したってこと」 「ああ……そのようなことを、言われたような」 「今度、もう大丈夫って、伝えないとね」 ——大丈夫、というわけではないと、莉瑛は少し眉を寄せた。身体は戻ったが、力が回復してくればまた成長は止まるかもしれないし、そもそも彼女の身体の弱さは治っていない。強過ぎる『螢』は皆そのようだと、定期的に異能を発揮すれば成長の方は細々とでもいけるかもしれないと、師は言っていたけれど。 「莉瑛、暗い顔してるわ」 「千歳が楽観的なんです」 「……もう呼ばないの?」 ふいに、しょげたように千歳は言った。きょとんとする。何のことだと問いかけて、それが彼女のもう一つの名前のことだと理解する。 「…………え、い、いや、」 視線が痛い。 「………………桜、綺」 ぱっと千歳は顔を輝かせた。本当に幼子の時と変わらない。変わらないから、何だか余計に、心臓が騒がしくなる。だというのに彼女は構わず莉瑛にひっつき、子供姿の時と同じように彼の首に腕をまわした。ぎゅうう、としがみつかれる。幼子とは違う柔らかさと芳醇な香りにくらくらする。これは、なんの、拷問。 「ちょ、ちと、」 「どっちも大事に貰った名前だから」 呼ばれると嬉しいのよ、と無垢に微笑う。その顔。それからやっぱり子供みたいに、あのねぇと続ける。 「あのねぇ、莉瑛」 「……なんですか」 「だいすき」 ふわりと唇が触れた。つたなくて、幼い、くちづけ。けれども頬でも目尻でも手の甲でもなく、唇に。 「————ッ!」 ぼふっ、と真っ赤になった莉瑛に何故か千歳は心底驚いたらしく、いっぱいに目を見開いた。 「あ、あれ? 莉瑛? あれ?」 そして何故か彼女の頬も、徐々に赤く染まっていく。 「な、何であなたまで赤くなるんですか!」 「だって莉瑛が! う、ええ、なんで?」 「知りません!」 ついに真っ赤になった千歳は差し込む光にきらめく髪をなびかせて、再び莉瑛に抱きついた。 たぶん、意味も理由も何もなく。
変化に戸惑う二人は気付かない。 莉瑛が幼子の姿の千歳でも、当然のように彼女に恋をしていたこと。 千歳が出会ったその瞬間から、莉瑛にずっと恋をしていたこと。 己の気持ちは知っていても、相手の想いはとんとさっぱり欠片も気付いていないこと。 それは、そう、さながら桜の花びら一枚ほども。
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