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 茫然と自室に帰った月由を待っていたのは、ちゃっちゃと荷造りを始める腹心の侍女だった。
「あらお帰りなさいませ姫様! 顔色が悪うございますよ? 今白湯でもお持ちしましょうか」
「————華白」
 がし、と月由は侍女の肩を掴んだ。てきぱき動き回っていた彼女はそれで停止させられ、きょとんと首を傾げる。
「はい、華白でございますよ、姫様。いかがなさいましたか?」
「あなた知ってたのね?!」
「あらいやだおほほ何のことでございましょ」
「知ってたのね————っっっ?!」
 半泣きになる月由から華白はうふうふと微笑みつつも目を逸らし続ける。ひどい。あんまりだ。月由はがっくりと腕を降ろした。おっと、と華白は主を支える。それからやわらかに目尻を緩めた。
「良かったではありませんか。どこぞの変態親父ではなく、気心の知れた瑯家の若君で。そもそも姫様、喜ぶことはあっても嘆くことなんて————」
「やめて! やめてちょうだい言わないで! だって、來燈様は想われている方に言葉も告げられないのよ? わたくしのせいで!」
「そう仰られても。これは陛下がお決めになったことでございますし、そもそもさっさと言わなかった來燈様が残念無念だったのでございますよ」
「さすがに酷いわ!」
「知りませんよ、わたくしは姫様の味方ですから」
 さらりと華白は言い放った。それで月由はぐっと詰まる。不覚にもそのやさしい言葉がじんわりと胸に広がったからだ。まるで氷のように真っすぐで振り返りもしない忠義の言葉だったけれど、それでも月由にはひどく優しいものだった。ごめんなさい、とぽそぽそ言えば何故か頭を撫でられた。その感触すら優しい。
「まあまあ、そう深くお考えにならずとも、何もかも時がなんとかしてくださるやもしれませんよ。今はただ結婚後の幸せを夢見ていらっしゃればよろしいのです。今まで、姫様は斎宮として大変お頑張りになっていらっしゃったのですから」
 そんなことはないわ、と言いかけて、やめた。確かに身を削って神事を行い続けたのは事実なのだ。持てる限りの異能を駆使し、災害の救助や復興にも当たった。抑えの効かなくなってきた貴族の横暴による被害者達へのほんの僅かな手助け。それがほとんど意味を成さないことだと、彼女は知っている。ずっと傍にいた華白も同様だろう。だけどここでただ否定するのは、己の権利と義務と労苦を怠ったということに他ならないし、今まで自分がやってきたことが少しも彼ら彼女らの役に立たなかったとは、思いたくなかった。————それでは、余りにも救われない。彼らに対して酷く失礼だ。皇女の疲労が何だって言うのだ。少しでも現状が浮上し、改善されるなら何だって良かった。それと引き換えにできるならくたくたになるまで働く。そう、もう、十五になってしまったから、斎宮の位から降りたけれど。
 次は、瑯家で。
 來燈とともに走らなければいけないのだ。些細な——瑣末では、ないけれど——ことで文句など言っていてはいけない。
「華白」
「はい、姫様」
「わたくしは、來燈様と結婚するわ。ついてきて、くれる?」
 月由は唇を引き結んだ。腹に力を込めて応えを待つ。きっと答えは知っていた。だけどもやめたっていいと、思っていたのも本当だ。ずっと助けてきてもらっていたから。
 だけどやっぱり華白は、自信満々に、傲然とさえ思えるほどはっきりと笑った。
「はい。もちろんです、わたくしの姫様」

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 あふあ、と大欠伸をした松柄は旧友が微妙な表情をしているのを見て眉根を寄せた。……あ、なんか面倒臭げな予感する。逃げよ。
 くるり、と踵を返したところをはっしと掴まれる。しかもそれが首の襟だったため、危うく後ろ向きにすってんころりと転びそうになった。ふんぬと踏みとどまり、キッと相手を睨みつける。
「こぅら來燈ぃ! んにしてくれんじゃ!」
「ちょっと聞いてくれよ松柄!」
「お前が人の話を聞け!」
「僕月由と結婚することになったんだけどさ!」
 聞いてない。
 松柄はげんなりして、ぽりぽりと頭を掻いた。結婚? なんだそれは惚気か。しかも王宮のど真ん中で。
 典医ではないが、たびたびその腕を狙って招請される松柄は、自分より十も二十も年上の典医達に治療法やら何やらを教えに王宮へ来ていた。意味が分からない。俺ぁ知らんよ、と言いたいところだがお上の命令じゃ逆らえない。だから自由気ままに街医者やってこうと思ってたのに……何でどこで誰からバレるんだ……と、彼は内心打ちひしがれていたりする。
「あっそ良かったな。俺は帰って寝る」
「聞いてくれよ!」
「ぐげぇ! おま、何で人体の急所だけは心得てんだよつーかなんつうツボ押しやがる!」
 首の後ろの急所を軽く撃打され松柄は反射的に友人を蹴っ飛ばした。ぜいぜいと息を吐きつつ見下ろすと來燈は情けない顔で座り込んでいる。……。…………。大していないがしかし確かに数人いる周りの視線が痛い!
「立て!」
「松柄が蹴っ飛ばしたからだろー……?」
 それはその通りだがこんなところでさりげなく殺人を犯そうとした男に言われたくなかった。盛大に舌打ちし、しぶしぶ聞いてやる。
「結婚するからどうした。悪いがじり貧なんで御祝儀はやれんぞ」
「あのねぇ、皇女様との祝言で貧乏医師に金せびったりしないよ。僕はもちろん、うちの親族もね」
「相変わらず見栄っ張りな一家だな」
「本当にねぇ。まあバカ達のことはどうでも良いんだけど」
 冷めた目で肉親一同をずばっと切り捨てた瑯家の若君は一気にしょんぼりと落ち込んだ。うぜぇ、と松柄は隠すことなく顔にだした。
「なんかさ、月由、僕と結婚したくないみたいなんだよね」
「まあ、夫がお前って相当うぜぇよな」
「そうじゃなくて! その、別にさ、嫌われてるわけじゃないみたい、だけど、なんか乗気じゃないっていう、か……その、」
「はっきり言え」
 苛々してきた松柄は吐き捨てるように切った。
「月由、僕のこと、友達だよね、って言うんだよ!」
 自棄になったらしい友人の叫びに目を点にした貧乏医師は、一拍おいてから爆笑した。
「ぶはははははははッ! そりゃいい気味、じゃねぇトーゼンじゃねぇの? だって月姫っちゃ斎女の中の斎女だろ。だいたいお前らちょっと前まで本当に『オトモダチ』だったじゃねぇか。どっこもおかしくねぇよ」
 月姫、というのは月由の通り名だ。たかが市井の町医者が天下の皇女様をみだりに本名で呼ぶことは少ない。もう一人星綾と陽蓮、耀水という皇女達がいるが、彼らもそれぞれ星姫、陽姫、水姫と呼ばれる。公式の場ではさすがに本名だが、どうせお目通りすることもないしがない庶民はそれで充分なのである。
 友達、というだけでも規格外のうちに入る。が、そんなおめでたい本人は不満らしい。贅沢なことだ。
「そりゃ、まあ、そうだけど……何も正面切って聞かなくてもさぁ……」
「嫌われてるより良いじゃねぇか。ま、ちょっとずつ頑張れば?」
「……そこまで期待してない」
 いじけやがった。
 面倒臭ぇな、と顔を歪ませると、來燈はゆっくり首を振った。そうじゃなくてね、と続ける。
「僕はさ、あんまり、月由に優しくしてこなかったんだよ。昔っから純情だったんで、わりとまずいこと口走って泣かせたこともあるし」
「いや純情って誰だよ。つーかよくお前生きてんな」
「反対に月由はいつでも優しいんだ」
「…………おま、色々駄目だな」
 ずーん、と暗くなる友人を、松柄はひきつった顔で見つめた。とりあえず、そろそろ解放して欲しい。良い加減寝たい。これでも三日徹夜続きなのだ。
 




 


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