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 月由と來燈は幼馴染みだ。それは多分に瑯家の思惑があったのだろう。ともあれ彼女がはじめて『ともだち』なるものを得たのも、來燈と対面してからだった。
 最初は面倒そうながらも丁寧だった彼も、次第に化けの皮がべりべりと剥がれ落ち、だんだんと乱雑な言葉になっていった。それを見咎めた新参の侍女の嗜めで、來燈に丁寧な敬語でもって話しかけられた時には衝撃で泣きそうになったのを覚えている。我ながら単純で、世界の狭い子供だった。何しろ彼女は生まれた時から斎女になることが決まっていたので、学友なるものも居なかったのだ。
 その時月由は詰るように彼を見て、けれども侍女の視線に負けてぐっと唇を噛み締めると、八つ当たりみたいに來燈にちんけな罵倒を飛ばして逃げ出した。たぶん、彼も呆れていたことだろう。
 ことが起きたのはその数日後のことだった。
 ある侍女が月由に対して弑逆を企てたのだ。そのひとは來燈を嗜めた新参の彼女で、比較的月由によくしてくれていたひとだった。けれども月由にとってそれほど悲しむべきことでもなかった。ただひんやりと心の臓が冷えて少しだけ疲れたような気持ちになった。僅か、七つばかりの頃の話だ。彼女は皇女で、それはいつも『誰も信用してはならない、そして誰も個人的な理由で責めてはならない。何故ならあなたが相対するのは須らくあなたの民であるからだ』と蘊蓄する教師の言葉の為だったからかもしれない。
 だが、駆けつけた來燈が、必死な顔で、それこそ泣きそうになりながら、——とても丁寧に目上の者へするかの如き口調で口を開いた時、彼女は自分でも驚くほどの憤りと、嘆きに似た感情で溢れ返った。やめて、と彼女は言った。ぼろぼろと涙がこぼれた。情けなく顔を歪めながら、やめてください、と繰り返した。困惑する來燈に向かって彼女はすがりつきながら訴えた。そんな風に話さないで。知らないひとみたいに喋らないで。ひどくていいから。意地悪言ってもいいから。喧嘩したっていいの。わたし、ちゃんと、あやまるから。おねがい。
 そんな風にわたしと喋らないで。
 たぶん、実のところ月由は少なからず侍女のことを慕っていた。古参の者や、仲の良い者ほどではないけれど、信頼していたのだ。少しは自分のことも好きでいてくれるのではないかと、そんな風に思い上がっていた。——馬鹿丁寧な言葉の裏にある、相手の心など全く理解せずに。
 後々考えれば言葉遣いなど瑣末な問題だろう。けれどもその時の月由には耐えられなかったし、どうしてか來燈にだけは離れていって欲しくなかったのだ。幼い心で、愚かにも、そうすれば彼は自分と『ともだち』で居てくれるかもしれないと、祈るように願っていた。ときどき酷いことを言って月由を悲しませたともだち。謝るのはちょっと下手で、でも次の日にはすぐしょぼくれた顔でぼそぼそ謝ってくる。そのあからさまに落ち込んだ姿が妙に可笑しくて、だから月由は來燈がとても好きだった。今ではごめんの言葉に何の躊躇も持たない男になってしまったけれど、だけど、あの日以来、彼は今でも変わらずぞんざいな言葉で接してくれる。月由の懇願通りに。それは彼女が彼の使えるべき相手だからではなくて、本気で泣いた『ともだち』に対する気遣いなのだと知っている。
 だから、月由は今も、來燈がとてもとても好きなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


「海裡さん、何かお手伝い出来ることはありませんか?」
 奥庭の剪定にやってきていた庭師の傍に駆け寄り、月由は力を込めて言った。ビクッとした男はぱちぱちと盛んに瞬きをしてからへろりと笑った。見事な三段階。
「奥様、毎度言ってやすが、こりゃーわしらの仕事ですかんねぇ。そうお気を揉まずとも……」
「でも、わたくし、本当に役立たずなんです。何かしていないと落ち着かなくて」
「……働きもんですねぇ。斎宮の月姫ともあろう方が……」
 海裡は呆れたような感心したような顔で唸った。途端に月由は恥ずかしくなる。我慢すると決めたばかりなのに、自分ときたら我が侭極まりない。ごめんなさい、と小さくなると彼は可笑しそうに笑った。
「いんやあ、有り難いことですよ。そうですなぁ、そんでは何かいらない布を貸していただけますかな。それから何か新しくいれたい花でもありましたら仰ってくだせぇな」
 ぱっと月由は頬を綻ばせた。はい、と笑顔で頷く。
「布、布ですね! ではすぐに取って参ります!」
「あ、転ばねぇでくだせぇよ!」
 海裡の慌てた忠告虚しく、月由は浮かれのあまり衣を踏んづけそうになったが、構わず走り出す。胸を弾ませる彼女にはそんなことは瑣末なことであった。
 ……後々、庭いじりが趣味になる瑯家奥方に専属庭師は頭を抱えることになるのだが、それはまた別の話である。
 
 




 


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