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 桃老酒を開け、とくとくと杯に注ぐ。いつ来ても瑯家はでかいな、と半ば呆れながら松柄は來燈が勝手に改造した客室の内装をしげしげと眺めた。相変わらず趣味は良いのにへんてこなものが多い部屋だ。西の果ての神々がまとうような衣装を着た象や、桜の透かしが入ったすだれ。壁には謎の墨絵が三枚ほど無造作にかかっている。
「松柄、白包もあるよ。食べる?」
「おう」
 広げられた饅頭にも似た蒸し菓子に遠慮なく手を伸ばす。來燈はぐびっと桃老酒を呷った。機嫌の良い様子に松柄はにやっとした。
「來燈、奥方と結ばれたんか」
「ぶふっ」
 來燈が吹いた。
「きったな……」
「っぐ、そ、んなわけ、……げほっ、変なこと言っといて蔑みの目で見ないでよ!」
 泣きそうな顔で睨んでくる情けない男をちらっと一瞥して、松柄は深いため息を吐いた。この腰抜けめ。酒をひったくり、自分の杯に注ぐ。來燈はまだ咳き込んでいる。
「変なことって……お前嫁に貰って何日経ったよ。もうすぐで二ヶ月だろ、二ヶ月」
 今に関しては身体的なことではなく心のことで言ったつもりだったのだが、この様子じゃ全く駄目なようだ。どんだけへたれなんだ。この駄目男め。
「う……だって、月由はさあ、全然、僕のことそういう風に見てないと思うんだよ。なんかもう引っ込みつかなくて」
「阿呆だろ」
 ズバッと切り捨てると來燈はしょんぼりした。耳と尻尾が下がっている幻覚が見えた気もした。まったく可愛くない。
「つーかそんじゃ、何だってそんなに嬉し気なんだよ」
 袖にされまくっているのなら(しかも無意識に)もっと落ち込むと思うのだが。そんな松柄の疑問に対して瑯家の若当主は輝かんばかりの笑顔になった。
「それがさ! 一緒にお茶して、それから手を繋いで散歩したんだよ。長時間! 新記録!」
「………………………………は?」
 顎が外れた。
(は? 何、手? なに、馬鹿なの? こいつほんっと馬鹿だったわけ?)
 えへえへと楽し気な友人に松柄はどこから突っ込めばいいのか分からなかった。……とりあえず今の顔はキモイ。
 よし、と数拍おいて彼は決めた。よし、今のは聞かなかったことにしよう。
「……松柄?」
「うん、まあ、それはヨカッタナ。けどお前、何にしろもう結婚してんだぞ。まさか離縁なんて出来ねぇし、そろそろ腹割って話せよ」
「う……」
「あと瑯家の若当主が白い結婚なんて無茶に決まってんだろ」
「うぐ」
「……なに、イヤなの?」
「まさか!」
 即答か。それはそれでまずいだろ。思ったが言わなかった。生温い眼差しで悪友を見る。彼はどこの純情少年だという慌てぶりで真っ赤になっていた。……やっぱり全く可愛くない。
「……でも、」
 この期に及んでまたそれか。白包を噛みちぎりつつ、松柄はそろそろげんなりしてきた。あーもう面倒臭い。
「でも?」
 それでも聞いてやるのだから自分は本当に慈悲深い、と松柄は自画自賛した。やけっぱちで。
「でも、月由はきっと、そういうの、嫌なんじゃないかな」
「……」
 知らんわ。
 半眼になってから、彼はふとあることに気付いた。もしや、と思っておそるおそる聞いてみる。
「なあ、まさかとは思うが…………接吻は?」
「ごっほ!」
 マジか!
 松柄は戦慄した。何こいつ! 
「おま、————マジ馬鹿な! 阿呆だろ! 何が瑯家時期当主だよこんの根性無し!」
「っぐ、そ、そんなに言わなくたっていいだろ! 僕だって頑張ってるんだ!」
「ええい、そんな努力だけは認めてください的な言い訳が貴様に通用すると思ってんのか! 馬鹿が!」
「酷い! 差別だ!」
「うっさいわ! ……ぶっちゃけだな、姫が心の底から嫌がったとしても、お前に他に選択肢があるのか」
 ふっ————と來燈は表情を消した。悄然と俯き、青ざめ、そっと瞼を閉じてから、静かに唇を引き結ぶ。松柄はその変化をじっと見た。——これは結婚のことだけを言っているのではない。彼の傍にいる以上、どれほど彼女が嫌がることがあっても、瑯家当主として、突き通さねばならないこともやってくるだろう。そしてそのような場合も、彼に他の選択肢などないのだ。
「うん。僕は、きっと、月由が嫌がることをやる。……それで一生顔を合わせてもらえなくなっても」
 松柄は沈黙した。言わなければ良かったとさえ思った。彼は医者なのだ。口ではなんだかんだときついことを言っても、根本は結局人に甘い。だから痛いことは好きではない。
 けれどもそれが瑯家の人間であり、その一番上で泥を被らなければいけない男の、恐らくは最も正しい答えなのだ。きっとその正しさは瑯という一族のうちに限られるのだろうけれど。



 
 

 


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