花が咲くわ、と君が微笑った。

 うん? と首を傾げやると、彼女は目を閉じたまま、まるい木枠の窓を指した。窓がどうしたの、と訪ねたところ、彼女はくすくすとやはり楽しげに微笑う。窓を開けてちょうだいな、と言われ、軋む木枠を押し上げる。うーん、どうもこの窓、腐りかけている気がする。障子もそろそろ張り替えた方が良いだろう。そんなことをぼんやり考え、命じた少女の方を振り返るが、彼女は何も言わない。ただくちもとだけがふんわりと笑っている。
「だから窓がなんだって言うんだい」
 腰に手を当て、ちょっとばかり眉をしかめて聞くものの、やはり彼女は答えない。それどころかふいとあさっての方を向いて、気持ち良さそうに目を瞑っている。よもや眠ってしまったのではあるまいな、と思い始めた頃、そのほっそりとした新雪の如き繊手が伸びる。ひとさしゆび。するり、と縒った糸が風に揺れるよう。  
 花びらを押したようなあかい唇が、和歌(うた)を詠みあげるようにひらいた。

「ほうら、ご覧なさいな。いっとう早いはなが咲くわ」

 ぽう、と浮かび上がったのを彼女のくちびるの赫だと思った。けれど違う。ひそめていた息を吐き出すように、窓の外に淋しく伸ばされていた枝が、次々と染まっていく。ほとりとこぼれおちた雪の白さを押しのけるその色はぞっとするほど鮮やかで、彼は暫し息を詰めた。梅花の香りが吹き寄せてくる。彼は少女を振り返った。彼女はにこにこと微笑んでいる。やられた。こんな時期に梅など咲くものか。天帝のいっとう愛した娘。人の皇の血を引きながら、最上位の斎女の役を担う彼女のいっとう好きな術であり、そのような彼女には息をするよりもたやすい術だ。窓の中までに侵入してくる梅の枝はきよらかな匂いを放ち、兀子についた肘の先、彼女のはなのいろの爪に花を届ける。彼女は目を閉じたまま、くちづけるようにその花に顔を寄せ、そうとゆびの腹で梅の背を撫ぜた。彼は苛立たしげに溜息をつき、どたどたと遠慮も情緒もへったくれもなく彼女に近付き、そのほそい肩をぐいと引いた。すこし、ぎょっとするほどやわく、この年頃の娘にしてはちいさい。そのことにやはりすこし、彼は眉根を寄せる。
「なに?」
「なに、じゃないよ。まだ梅は早いだろう。何をしているんだい、君は」
 彼女はきょとん、とした。どうにも幼い表情で、逆に面食らってしまう。うん? なんだい、何かおかしなことを言ったかい、と続けてみると、言ったよ、と返ってくる。いったいなんだと言うのだろう。む、とくちびるを曲げる。と、彼女はほら見ろとばかりに梅の花を彼の鼻先につきつける。
「ほら、春の匂いでしょう」
「近過ぎて分からんよ」
「にくったらしいひとねぇ。あなた、はじめに言ったじゃないの、」
 いっとう好きなのは梅の花、って。
 などと馬鹿げた発言をかました彼女に、彼はこれでもかと言うほど目を瞠った。そんなはるか昔の呟きを覚えていたと言うのか。それは事実であったけれど、彼女と打ち解けるために言い差したような、それだけのはなしだったのに。というより、あの時彼女はまったくもってどうでもよさそうだったのだけれど、実は違ったのだろうか。という、そのことがあまりにも衝撃が大きく、彼は暫く黙り込んでしまった。しばらく一人で梅を愛でていた少女は、ようやっと訝しげになり、春を重ねたようなうすい色の衣を引きずり、どうしたの、と彼の袖を引いた。
「勝手に術を使ったのを怒っているの」
「……まあ、怒っているけどね」
「でも仕方ないでしょう。だって春の匂いがしたのだもの。すうっと過ぎていったのよ。それなら本物の春を連れてくるのがわたしの務めというものよ」
 なんだそれは、と苦笑する。自慢げに胸を反らす彼女の頬に指をさしいれ、額を合わせる。まったく意味のわからない言い訳だなあ、そう言いやると彼女は心外そうに顔をしかめた。螢、と彼は少女の名を呼ばわった。花の露をまとうような長い睫毛がはたりと揺れる。
「君が、そんなに昔っから僕に関心を持っていてくれたとはねぇ」
「なんだか否定したくなる言い草ねぇ」
「それなら塞いであげようか」
 苦笑混じりにそう言うと彼女はたいそううろたえて、さかんに瞬きをしてはうろうろと視線を泳がせてしまうので、彼はひとつ勝ち星をあげた気分になりながら、梅香でいっぱいになった少女にそうっとくちづけた。













 
A HAPPY NEW YEAR !! あけましておめでとうございます!
今年がみなさまにとって面白可笑しく愉快なものでありますように!!
(こちらは2012新年小話として衝動的にUPしたおはなしです)
 














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