04. 魔法使いの謀略


 一方、ノア・ロアは猫の毛にまみれて幸せそうに口許を緩ませていた。王女から今日もぎとった『休業』の賜物である。猫はいつの間にか数を増し、相談室のなかでは十匹近い様々な猫がみゃあみゃあとくつろいでいた。その光景を見たローリーが、なぜか頬を引き攣らせた。
「きみ、猫使いだったかい」
「何言ってるんですか? 私は魔法使いですよ」
「……そう。ところで、どうして休暇なんてもぎとれたのか、聞いてもいいかい」
「面倒なので却下します」
 うっとりと切り捨てたノア・ロアの束の間の休息は、しかしあっさり破られた。アメリアの現状を聞きつけたルカーシュが転がり込んできたのだ。
 予想通り、と魔法使いはひそやかに、そして少しばかり邪悪に笑った。
「立て看板を見てませんかね。今日は生憎休業なんですよ。整理券は売っていないはずです」
「どういうことですか、魔法使い殿!」
 聞いちゃいないようだ。まあ、気持ちは分からなくもない。ルカーシュは、普段の彼からは考えられないほどの怒気をほとばしらせ、凄まじい形相でノア・ロアを睨んでいた。
 ノア・ロアは膝から猫を降ろし、後ろに下がらせる。と、ローリーが猫達を引き受けた。まめな男だ。
「どうもこうも何も、アメリアに一つの道を示しただけですが」
「ふざけないでいただきたい! アメリアに対する皆の反応は明らかに異常だ……果ては婚約破棄の噂まで流れてきました。なぜ、よりにもよってあなたがこんな真似を」
「アメリア嬢の悩みを解決させる為ですよ」
 こつ、こつと机を叩く。その指の爪は黒く塗られ、受け答える声は冷静に残酷だ。ルカーシュが息を飲むのが聞こえた。
 そう、もっと、恐れるがいい。ノア・ロアは魔法使い。トルイエで唯一の魔法使いだ。
「毎日毎日あなたとのことで泣き暮れるのは、あなたが婚約者だからです。恋している、という方が強いところですがね。あなたが手に入る位置にいる、いや、あなたが手のなかにあるはずだ。それなのにあなたが自分を愛しているのか分からない。ああ、哀しい! 腹立たしい! ならば手の外に出してしまえばいいのです。いつかは恋心も消え、もっと素敵な誰かと幸せな結婚をおくれるでしょう。あなたと彼女の関係が切れてしまえば、何も嘆くことはない」
 何より、と続ける。
「私もいつまでもあなた方に煩わされることもないのでね」
 笑みを含んだ言葉に、ルカーシュ・フォン・アダーシェクは相談室の丸机に拳を振り下ろした。どん、激しい音が鳴る。はじめて魔法使いへ怒りをあらわにした男は、どこか泣きたそうな顔で、ひどく苦しげに、失望を込めて呟いた。
「あなたは、最低だ」
 ノア・ロアはただ肩を竦めた。
「魔法使いが善人だなんて、いったい誰が決めたって言うんです?」
 ルカーシュはゆっくりと首を振った。
「僕らは――少なくとも僕は、あなたを友人だと、思っていた。親しき、そして優しい、かけがえのない友だと」
 言い捨てて、彼は覚束ない足取りで出ていった。魔法使いは黙っていた。やがてキーアがのそのそとローリーの手のなかから抜け出し、ノア・ロアの膝にのり、その子供のような頬の上をぺろりと舐めた。
 暫く気まずい沈黙が流れたが、意を決したように、ローリーが美声を張り上げた。
「……ノア・ロア。きみ、その……」
「…………下手な慰めは結構。私は出掛けます」
「へっ」
 間抜けな声を出した男を無視して、魔法使いはベルベットの椅子から滑り降りた。その体はとても小さく、噂されるように子供のもののようにしか見えないだろう。ノア・ロアは自分の身長に対して、多少の屈託がある。
 布を継ぎ合わせて底をつけただけの、平べったい靴でぺたぺたと歩き出すと、猫たちもぞろぞろと動き出した。小さな魔法使いの背を、雑多な種の猫たちが追いかけていく。キーアがとても珍しい機敏さでノア・ロアの肩に飛び乗った。
「ま、待ってくれ。僕も行く」
「鬱陶しいので勘弁してください」
「そう言うな、僕ときみの仲だろう!」
「またそれですか……」
 溜息をつく魔法使いの横顔は、しかしそれほど嫌がってはいなかった。 
 魔法使いが向かう先は、アメリア・フォン・ドレスデンのもとだった。相談室を出たノア・ロアが足を三度叩いて彼女のもとに降り立つと、アメリアは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐ暗い顔で俯いてしまった。人に捕まらないよう、林の間に隠れていたようだ。王都にもこんなところがあるのか。
「私の魔法の効果はあったようですね、アメリア」
「……これは、魔法の効果なの?」
 ええ、と頷くと、アメリアはぐしゃぐしゃの泣き顔になった。
「どうして、ノア・ロア。わたし、あなたを、信じてたのに」
「好転はしたでしょう? もう、あなたがルカーシュ・フォンアダーシェクのことで泣くことはなくなりますよ」
「それは、好転ではないわ。……わたしの心は魔法くらいで、変えられたりなんか、しないのよ……!」
「ならばどうして私のもとへ来たのです、アメリア・フォン・ドレスデン」
 憂鬱。
 諦念。
 怠惰。
 そして邪悪。
 すべてを含んで混沌たる、魔法使いの琥珀の両目が、フードの奥で陰鬱に光った。アメリアが言葉を失うのを、猫たちが見上げる。
「私に救いを求めるということは、魔法を乞うということ。物理的な解決を求めるということ。アメリア、いいですか? 私は魔法使いなんですよ」
 うっすらと笑った顔は嘲りで彩られ、愚か者をあしらう愉悦に満ちていた。キーアがみゃあ……と細く嘆く。
「……違うわ」
 けれどもアメリアは悲しげに言った。捨て切れない願いを、ノア・ロアのなかに探し出すようだった。
「違うわ。……ノア・ロアは、わたしの友達だもの」
 まるでさっぱり力ない、たいそうくだらない発言だ。鼻で笑う気力も沸かない。
「魔法使いが誰ぞの友人になるなど、たいした笑い話ですよ。……アメリア、魔法くらいで変わらないなら、どうしてあなたは反抗しようとしないのです? ルカーシュと繋がっていたいなら、お父君に文句の一つでも言えばいい」
「……え」
 アメリアは不意を突かれたように美しい顔を上げた。その目がノア・ロアのものと合う前に、聞き慣れた呼び声が耳をつんざいた。
「――――アメリア!」
 びくっ、と呼ばれた彼女の肩が上がる。面倒なところにきたなあ、とノア・ロアは思った。数分前に言い合ったばかりのルカーシュだ。ローリーが後ろでげっと青ざめた。
 ルカーシュはノア・ロアたちを見つけて目を丸くした。しかし彼が何が言う前にアメリアが叫んだ。
「こないで!」
「アメリ、ア?」
「……お願い、来ないで!」
 全身で恋しいはずの男を拒絶したかと思えば、彼女はかつてない速さで駆け出した。あっという間に見えなくなってしまう。これはさしものノア・ロアも茫然としてしまった。
「速……」
 思わず素で呟いた。
 うーん、と少し考えてから、空中に四角を描く。もごもごと魔法の文言を呟き、息を吹きかける。四角のなかをじーっと睨んだあと、ノア・ロアは放心する失恋男を振り返った。
「ルカーシュ、あなたも少しは男を見せたらいかがです? こんなになってもあなたは情けないままですね」
「……今、追い打ちをかけるのは、やめて、いただきたい……」
「ならばアメリア嬢は諦めますかね」
「――――まさか!」
 カッとルカーシュは目をかっ開いた。ちょっと怖かった。ノア・ロアもローリーもかなり引いた。キーアも微妙に嫌そうな顔をした。
「僕は、あの子と一緒になると、それ以外の未来を想ったことはありません……!」
「……人間として、もうちょっと考えた方がいいとは思いますがね。それなら、もう少し頑張ったらどうです」
「え?」
「本人より今はまず、父親では? 婚約を白紙にされたらあなたお先真っ暗ですよ、いいんですか」
「いや、あなたがそうしたんじゃ」
「ともかく、是か否か。さっさと答えなさい」
 ルカーシュの喉がこくりと上下する。彼は泣きそうな顔で、頷いた。
「是、に決まってます」
 ノア・ロアの唇が、微かに笑ったことを見抜いたのは、おそらくキーアだけだろう。魔法使いは三度地面を踏みならした。
「それなら私が連れていってあげましょう。この貸しは大きいですよ――――覚えておいてください」



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