浅瀬につまさきを浸す。ひんやりと背筋が震えるような冷たさがゆびさきから身を焼くよう。海。遠く揺れる蜃気楼のような海は掘り出されたばかりの宝石のようで、少し恐ろしい。ちまたではサマードレスと呼ばれるような、白い簡素なノースリーブのワンピースは、風が吹くとすぐに弱々しくはためく。さざなみが溢れて白い飛沫を飛ばし、揺らした足首に跳ね散った。寒さに肩をそびやかせて、肩越しを振り返ると高い崖が近くに見える。その少し先に行くと、大きな洋館があることを知っている。そこにいっときだけ住まう面々を思い出すとためいきが出そうになる。かぶりを振り、彼女はもう一歩海へ足を踏み入れた。水に濡れた砂がまとわりついて気持ち悪くないこともない。けれどもすぐさま浚うように水が巡るから、さほど気にはならない。貝の鳴る音と潮騒。世界の涯てのようだ、そんなことを思う。まばらになった思考が次々と意味をなさない思いを吐き出し、絡まったそれは最終的に泡と消える。うつくしいものがすき。きれいなものがすき。そういうものだけを見ていられたら良い。思うけれど、そんなことは無理に決まっていると、気付けば口許は皮肉げに歪む。背後に広がる砂浜は骨を挽いたように白く、けれど微かに粒が浮いている。さらさらと風に鳴かされ、やわいつぶてが腕に当たった。ちりりと刺さるような痛みに胸の奥底に沈め込んだ思い出が甦る。そういうとき、かならずまぶたの裏がひりつく。薄い紗を敷いたようなぼやついた空に視界を奪われ、白昼夢でも見るような心地になる。花。つぎに、しろいはな、だ。今よりもたっぷりとした白いワンピースをたくした上に、こぼれるほどの白い花。剥がれたはなびらが水に沈む。そうしてようやく、そのひとの顔を思い出す。陽の下でより白く見える細い腕が伸びて、小さな彼女の頭を子犬にするように撫でた。くちもとがやわらかな笑みを描く。彼女の前髪を掻きあげ、顔を寄せ、ためいきのようにくちびるを寄せ、仄かな熱を彼女に残し、そうしてそのまぼろしは消え失せる。あとに残るのは、もうただひとりばかりの自分だけ。うっすらと両目を細め、しらじらと泡を吹く波をぼんやりと眺め、喉の奥に詰まったためいきをぐいと呑み込む。苦い味が舌に広がるのは無視だ。もう亡い記憶だ。沈めたものだ。この胸につかえることなどあってはならない。忘れぬことができぬなら、すべては澱のように深い深いところまで沈めてしまえ。飲み下せ。もう這い上がってこないよう。もう決して。
 決して、決して。
 水を蹴る。ぱしゃん、とひびわれのようなおと。飛び散るそのかけらが、まるでしろいはなのようだと、そんな錯覚が煩わしかった。とうに振り切ったはずの名を紡ぎそうになるくちびるを引き結び、彼女は遠く広がる海を見つめた。
(まるで、世界の涯てのよう)



沈んだ慕情






title by 羊狩り INDEX CLAP!





inserted by FC2 system