アンナは列車の窓を軽く開けて、出入りの多い駅内を見回していた。どんなに探しても、目当ての人物は見つからない。溜息を吐いて、彼女は小さく呟いた。やっぱり、間に合わなかったわねえ。
 発車数分前の汽笛が鳴り、淡い期待は見事に打ち砕かれた。さて、もう窓は閉めよう、と木枠に手をかけたとき、ふと聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「アンナ!」
 名前を呼ばれた彼女は、たいそう驚いて、窓から顔を出した。と、随分必死な顔で、走ってくる男を発見する。アンナは呆気にとられた。
「あのひとがあんなに大声出すの、はじめてじゃない……?」
 ぽつり、と思わずこぼす。だって、あんまりにも珍しかったのだ。ぜいはあと息をきらしてやってきた男は、今にも出発しそうな列車に歩み寄り、アンナのもとへ手を伸ばした。
「ドニ、今日は抜けられないのではなかったの?」
「そんなことはどうでもいいよ。間に合って良かった」
 前後の言葉がちぐはぐだ。普段は理窟っぽいくせに、彼はまったく構わず、これ、と何かを差し出してきた。反射的に受け取って、アンナは目を丸くした。硝子細工のペンダント。
「ドニが作ったの……?」
「花は、枯れるからいやだってアンナは文句を言うだろう」
 言わないわよ、もらう分には、という反駁は口のなかに押し込み、ぎゅうとペンダントを握りしめる。工房を離れているだけでもまずいだろうに、そのうえ、仕事の合間を縫ってこんなものを作っていたのか。なんだかアンナは泣きそうになった。ちょっと、距離が遠くなるだけ。少し、逢えなくなるだけ。そんなことは分かり切っていて、だからアンナは、見送りなんて期待しなかった。でも、あんなに仕事一直線のドニが、なんだか色々無理をしてきてくれるなんて、――どうすればいいのか、分からなくなってしまう。じわ、と目尻に涙が浮かんだのを自覚する。ドニがぎょっとしたから。
「あ、アンナ」
「手紙を、書くわ」
 うろたえる彼の言葉を遮って、アンナは噛み締めるように言った。するとドニは不意をつかれたように目をまん丸くしてから、優しく笑った。ああ、何もかもが、いつもと違い過ぎて、どうしようもないったらない。いつもみたいに無関心そうにしていてくれたらいいのに。
 もう一度、汽笛が鳴った。今度は、発車一分前の合図。アンナはぐいと目をぬぐって、微笑もうとした。アンナ、とドニが呼びかけた。瞬くと、頭を後ろから引き寄せられて、唇が触れ合った。一瞬だけだ。けれどもアンナはびっくりしてドニを見た。がたん、と車体が揺れる。列車が走り出したのだ。
「……手紙」
「え?」
「あんまり、期待しないで待ってるよ」
 まあ、と怒鳴りかけた声は車輪の音に紛れて、おそらく彼には届かなかっただろう。ドニはいつもみたいに笑って、ズボンの隠しに片手をつっこんで、けだるげにもう片方の手を振った。アンナはもっと身を乗り出して、べえ、と舌を出してから、同じように手を振った。ドニの姿が見えなくなってから、首を引っ込める。
 握りしめた手のうちで、鮮やかな色硝子にぽたぽたと落ちた雫が、きらりと輝いた。






車窓と恋人
(きっと、また逢いにいく)



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