月は双つもなくていい
千と百の夜がいったい何度明けたことだろう! しかしうつくしい陽の昇る朝は凍りつき、ひたすらに暗い闇が降り注いでいる。冷えた手足と冷えた息と冷えた心臓が生命の尾にとどめを刺し、はびこった諦念が希望という希望を根絶やしにする。ただひとの心を明るくせしめるわずかばかりの残り香といえば、薄暗くもったりとした冴えない夜空に皓々と浮かぶ満月の光だけだ。
「しかしあの月を慈悲だというのなら、私は人間などという惰弱な生物であることをやめざるを得まい! いったいあれのどこに感銘を受ければよいのだね? 私はあの月がまったく憎くてたまらないよ」 絶望の与えたもうた慈悲だと人々が囁くなか、しかし彼だけはひたすら二つの月を唾棄していた。しぼんで今にも折れそうな枝木に腹這いになって、パイプをくわえたままふうっと煙を吐く。とろんと垂れた両目は、優しげに見えるかと思いきやいつも刺々しい鋭さを宿している。不機嫌の権化のようなその男の名をシェバールーという。彼の寝そべる枝のはるか真下、幹に寄りかかって地べたに座り込んだひげ面の小男が首を傾げた。 「おまえは何だってそんなに月を嫌っているんだね。光ひとつない夜よりよほど利があると思うがね」 「なんと愚かな!」 シェバールーは眼玉がこぼれおちそうになるほど両の瞼をひん剥いた。唾を飛ばす勢いで猛然と悪口雑言を尽くした挙句、近くの小枝に咲いていた真っ白な花をむしり取ってばらばらと振り捨てる。 「何も分かっていないなおまえたちは! あんな馬鹿眩しい月が二つもあるからまっとうな朝がこないというのに!」
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