白 夜 を 呼 ぶ 硝 煙




月は双つもなくていい


 千と百の夜がいったい何度明けたことだろう! しかしうつくしい陽の昇る朝は凍りつき、ひたすらに暗い闇が降り注いでいる。冷えた手足と冷えた息と冷えた心臓が生命の尾にとどめを刺し、はびこった諦念が希望という希望を根絶やしにする。ただひとの心を明るくせしめるわずかばかりの残り香といえば、薄暗くもったりとした冴えない夜空に皓々と浮かぶ満月の光だけだ。


「しかしあの月を慈悲だというのなら、私は人間などという惰弱な生物であることをやめざるを得まい! いったいあれのどこに感銘を受ければよいのだね? 私はあの月がまったく憎くてたまらないよ」
 絶望の与えたもうた慈悲だと人々が囁くなか、しかし彼だけはひたすら二つの月を唾棄していた。しぼんで今にも折れそうな枝木に腹這いになって、パイプをくわえたままふうっと煙を吐く。とろんと垂れた両目は、優しげに見えるかと思いきやいつも刺々しい鋭さを宿している。不機嫌の権化のようなその男の名をシェバールーという。彼の寝そべる枝のはるか真下、幹に寄りかかって地べたに座り込んだひげ面の小男が首を傾げた。
「おまえは何だってそんなに月を嫌っているんだね。光ひとつない夜よりよほど利があると思うがね」
「なんと愚かな!」
 シェバールーは眼玉がこぼれおちそうになるほど両の瞼をひん剥いた。唾を飛ばす勢いで猛然と悪口雑言を尽くした挙句、近くの小枝に咲いていた真っ白な花をむしり取ってばらばらと振り捨てる。
「何も分かっていないなおまえたちは! あんな馬鹿眩しい月が二つもあるからまっとうな朝がこないというのに!」






人間計画


 ラルバロッドの砂漠の森は、吹き荒れる砂丘の地下深くに存在する。時折こぼれおちてくる地上の砂を忌々しく思いながら、レーメアーニャたち、ハヴェルンの小人は日々慎ましく生活していた。光のない天井を突き破り、ぐるぐると蔓を伸ばすあまい果実の色の毒花をすり潰して塗り薬に変え、青い水の生まれる小さな湖のまわりに花を編んだ家を植えて棲むのが彼らのこれまでだった。だから心臓がきゅっと幸せになるような朝が訪れなくなったことすら、気づきもしなかった。それは千と百の夜を幾度も繰り返した今現在ですら変わっていない。きっとこれから、もし奇跡が起こされるとしていつか朝が颯爽と舞い戻ってくる日ですらもそうであろうと思われた。
 だが、レーメアーニャはおのれが運命という種族の歴史をこれっぽっちも愛していなかった。
 ああ、いったいどうすればこの馬鹿馬鹿しい地下から抜け出せるのかしら!
 彼女にとってこれほど退屈な運命はなかったし、これほど苛々する生活はしたことがなかった。と言ってもそもそも彼女はここで生まれてここで生きてきたのだから、それは当然であるのだけれど。それはともかく、たとえ地上が砂すら雪に変わるつめたい夜に支配されていようと、この暑く涼しく快適で普遍な世界から抜け出したくてたまらなかったのだ。だから彼女がそれを思いついたのは、何にしろ時間の問題であったといえる。
「ああそうよ、わたしったらどうして気づかなかったのかしら! この花の雫で作った毒を呷ってわたし、人間になればいいのだわ! だってわたしたち、はるか古代の時代に湖の銀を噛み砕く前は、立派な人間だったはずだもの」






ブリキの箱庭


 ある日女王が命令した。「この世のありとあらゆる白い花をクファノーアの庭に植えよ! 一色たりとも混ぜるでない!」
 そうして女王の最後の娘、クファノーア姫の庭は雲の晴れた満月の日みたいに真っ白に染まってしまった。真っ白な髪と真っ白な肌と銀の目のお姫様は、毎日ひとりぼっちで真っ白な花々の間に座り込んでばかりいるものだから、いつもすっぽり花に埋もれて溶けてしまいそうだった。ぼんやりとへたくそな花冠を作っていたクファノーアは、暗い朝の空を見上げてためいきを吐いた。もう白と灰色と緑しかないこんなところは飽き飽きだった。何しろいつどこを見てもずうっと同じ景色が広がっているのだから、いいかげんうんざりくるというものだ。地上の反対側のいずこかの人間にとっては、もしかすれば神様の庭のようだと感激するかもしれない風情ではあるけれど、クファノーアには特に何の感慨も沸かない。今日は雨すら降らなかった、という感想が続くばかりだ。だだっ広い庭の先にはブリキで作った造花が円を作り、クファノーアはこの庭から外に出たことはない。けれども出なくたって分かる。外でも同じように、冴えないはりぼてじみた夜が続いているのだ。半時に一回は零れ出る溜息を遠慮なく吐き出して、クファノーアは花冠を放り捨てた。いったいこんなこと、いつまで続けるつもりだろう? 
「どうしてお母様は朝という朝がお嫌いなのかしら。だいたい月が二つもあったって、何の役にも立たないじゃない。眩しいだけで目に毒だわ」






花は血を流す


 さて盛りを過ぎた花には月光はあまりにまばゆく、また花びらをその清らかで陰鬱な光の粒子が蝕み、ありとあらゆる花々が爛れて枯れて散っていった。陰の濃い枝木からむしられた花は粉となり、奇妙な毒を含んだ花は小人の腹に消え、王女の庭を彩る純白の花々は瞬く間に茶色になって、変化を待ちわびた主人を喜ばせた。そうして花の生気を吸い取ったかのように、二つの月は輝きを増し、虫けらの如き人間たちを嘲笑っている。花の蜜を食べて生きてきたティファニアの妖精たちは途方に暮れた。しょんぼりと小さな肩を落としてひらりひらりと意味もなく翅を動かした。いったいどうすれば再び花が咲くのだろう。これではみんな死んでしまう!
 ぽたり、嘆く妖精たちの目の前で、最後の花の首が落ちた。






燃料はこんぺいとう


 ミルキエラは朝も夜も昼も関係なく、風が削り取った流星の欠片をかき集め、きらきら光る粉にすると、甜菜からできた砂糖と混ぜてこんぺいとうを精製するのが仕事だ。そのほかのことはかけらも眼中にない。とはいえ、おのれの畑の片隅にちいさな妖精たちがばたばたと倒れていたときは、さすがの彼女も仰天したのだが。なんだかよくわからないながらも、見殺しにする理由もなかろうと彼らにこんぺいとうを食べさせて数日、今度は友人のシェバールーが人間のような華やな異形のような、ちいさな女の子を連れてなだれ込んできた。ミルキエラは憤慨した。次から次へと何だというのだ! これではこんぺいとうが作れないではないか! 前回は見ず知らずの妖精たちだったから我慢したものの、今度はよくよく知った友人だ。当たり散らしても構わなかろう。腕まくりをして文句を言おうとしたミルキエラの背後で、けたたましい奇声が上がったのはそのときだった。
「なんてこと! なんてこと! まるで朝が戻ったよう!」
 ミルキエラが驚いて振り返ると、倒れていた妖精たちがいかにも嬉しそうにしかし哀しげに抱き合っていた。自分の作るこんぺいとうには錯乱作用などなかったはずなのだが、どこかで製法を間違えたのだろうか。なんたる屈辱。こんぺいとう職人の名折れである。そう歯ぎしりしたミルキエラは、不意に肩を力強く掴まれて飛び上がった。
「ああ、なんてこった! そうか、こんぺいとうで撃ち落とせば良かったのだ! どうして私は今までこれっぽっちも気づきやしなかったのだろう。一番の愚か者はこの私だった!」
 何のこっちゃい、とミルキエラは目をしろくろさせた。






妖精と硝煙


 決行は銀の双月が一年でいちばん太ってまんまるくなる花冷えの日。人と妖精、どちらもの血も併せ持つクファノーアが月を撃つ。月よりなお冴え冴えと凍てつき清らかな銀のまなこをくるりと動かして、生まれてはじめての客人を出迎えた王女はたいそう楽しげに射手の役を引き受けた。一面植物という植物が枯れ果て荒野と化した庭の中央で、妖精たちが輪を作り、レーメアーニャが湖の銀を溶かして作った薬を撒き、シェバールーが銃砲の点検を行った。シェバールーは綺麗に磨いた銃器の表面を撫でて、ヴィエナの薬草をつめたパイプの煙をふうっと吐きかけた。ミルキエラは小人が編んだ花袋にぎゅうぎゅうにこんぺいとうを詰めて、ぼんやりと夜空を見上げた。今日も雲はうすぼんやりとし、闇は頼りなく浮遊を続けている。これが晴れる日がくるなんて、いったい今生きているどれほどの人間が思うだろう。少なくとも彼女は彼女が死ぬまで朝なんてこないと思っていたのに。
「さあ、できた! お姫様、この取っ手を思いっきり引くと、弾が出る。引っこ抜く勢いでやっておくれ。あの月の片方を撃ち抜くんだ」
「どちらでもいいのかしら」
「より白い方を」
 クファノーアはにっこりした。庭の中央に石を重ねて作った椅子に座り、受け取った武器を肩にかけて、照準を合わせる。ちょこまかと寄り集まってきた妖精たちがこんぺいとうの袋をしっかりとなかに入れた。薬を撒き終わったレーメアーニャがそろそろと円の外に出た。王女の後ろに誰もいなくなると、白くほっそりとした手が取っ手を強く握る。
 かちり。
 軽い音がした。
 その瞬間を、恐らくミルキエラは少なくとも三日は忘れないだろう。世界中が爆発したかと彼女は思った。こんぺいとうが見たこともないほどあざやかに煌めいて飛び出し、爆風と硝煙で視界が閉ざされる。果たしてこんぺいとうはまっすぐ月に向かったのか逸れたのか、成功したのか失敗したのかそれすらも定かではない。ただひとつだけ分かったことは、
「白夜よこい! 朝よこい! 闇深い夜に眠り、青空に染まる朝に目覚める春よこい! ああまったく、幾度千と百の夜を越したことだろう――――!」
 頑固で偏屈で不機嫌なシェバールーが、そのときばかりはいっとう明るく叫んでいたということだけだった。




title by クラムボンをさがしに さま

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