ジオはうつくしいね、とファーザーが仰った。教会の鐘は今日も錆びついたまま、鈍い音しか鳴らせずに揺れる。ごうん、ごうん。あんな重たそうなものが、よくぶらさがったまま落ちずにいるものだ、とあたしはいつも不思議だった。
 ジオは神の家のこどもたちのなかで、いっとううつくしいこどもだった。線の細い白皙の顔は今にもとけてしまいそうなまばゆい金髪で縁取られ、かたちのよい唇と整った鼻梁の
さきには、こぼれおちんばかりの碧の目玉がふたつぶ、きらきらと備わっている。発光するような輪郭、卵のさきみたいな顎、なめらかな曲線を描く背中。そこにどうして翼がないのか、そのことの方が条理に反しているような、そういう、そう、天使さまのような男の子だった。実際、彼をはじめて目にしたとき、あたしは彼を天使さまなのだと信じて疑わなかったし、あたしたちと同じ、神の家のただのこどもなのだと、そう教えられてからだって、なかなか信じられなかった。なにせ、彼があまりに、人間離れした美貌をしていたので。
 ジオは、穏やかなこどもだった。周囲の並外れた好意も羨望も憧憬も、陶酔じみた賛辞も、彼はちゃんと――いや、おぼろげではあったかもしれないけれど――認知しているはずだろう。けれどもそのどれにも構う様子はなかった。たとえば驕ることも、たとえば困惑することも、でなければ怯えることすら。まるでそんなものはおのれとは遠いところにあることなのだというように、日々淡々と過ごしていた。ジオのまわりにはいつも、さらさらした風がたゆたっているように思えた。押し付けがましいほどの爽やかも、かといって足が止まるほどの粘つきもない、きわめて気負いのない風だった。うつくしいジオは、気配ですらうつくしいのだった。ジオは、あたしより少しばかり歳が上で、確か今、十を越えたばかりのはずだ。そのわりに、同い年の男の子と比べて、肉づきが薄い。ということを心配しているのは、炊事のおばさんくらいのものだというのだから、おかしな話である。
 ミシェーラ、ジオは主の愛し子だね。
 かの方が、いっとう丹精込めてお創りになられた子だね。
 多くのおとなが遠目に彼を見て、そんなことを言った。どうしてあたしに言うのか、まったく分からなかったけれど、言っている意味もよく分からなかったので、あたしはいつも生返事をしていた。まるで、ジオのうつくしさにみとれているようなふりをして。
 ジオは、おそらく、あたしのそういうところにも、ちゃんと気がついていた。そういうとき、彼はふと振り返って、とてもやわらかに、けれど少し苦笑するように、唇に笑みを乗せた。慈悲深く穏やかな眼差しを、彼らが――つまり、彼を褒めそやすおとなが好むことを、彼はよく知っていたのだ。
 鐘楼から降り、教会の中に入る。古びた木の板が、雨漏りで弱っている。踏みしめるたびにきいきいなるので、あたしは祈りの間が苦手だった。いつか踏み抜いてしまいそうだから。ファーザーは、きれいに磨かれた銅像に目を細めて、そっと十字を切った。あたしもしぶしぶ、真似をする。この若いファーザーは、老齢のファーザーに変わって、新しくやってきたひとだった。神に仕える者らしい、慈悲と慈愛をたたえた眼差しを持った、優しげな風貌の男だった。数日前にきたばかりだけれど、どうやら神の家のこどもたちの名前は、もうほとんど覚えたという。嬉しそうにそう告げた顔がどうにもこどもよりこどもらしかったので、あたしは少し笑ってしまった。
 けれども、ジオの名が出たとき、あたしは笑みを消した。なぜならここ数日、ジオは前のファーザーの見舞い、というよりこどもたちに託された贈り物を持って、いちばん上の歳のこどものひとりとともに、家を留守にしていたからだ。いったいどこで見たのだろう、それとも誰かに聞いたのか、それならばそれはいったい誰だろう。疑問に頭を巡らせていると、ファーザーは優しく微笑んで、あたしの櫛の通っていない長い髪をふわふわと撫ぜた。いやなところのない触り方だった。こどもたちのなかには、他人に触られることを極端に恐れ、拒むものもいるのに、まるでそんな反応はされることは欠片も想定していないような、なんてことない、そして無造作な動きだった。瞬いて彼を見上げると、さきほどお会いしたのですよ、とこれまた夢のなかの砂糖菓子みたいにふわふわした声が言った。なるほど、もう帰っているのか、とあたしは思った。それなら、そのいっとううつくしいこどもを見て、このひとはうつくしい、の次に何を思ったのだろう。そんなことをつらりと考えた。あたしの視線に気づいていないわけはなかったのだけれど、ファーザーは特に何か続けることもなく、そっとあたしの手を引いて、祈りの間を出た。この教会はとても小さいので、廊下を出てすぐ、外に通じる扉がある。出ると、少し雪が降っていた。門のあたりに小さな人影が見えた。ぼんやりと帚を持って、空を眺めている。ジオだった。ジオ、と呼びかけそうになったあたしの肩をふわりと掴んで、ファーザーがしゃがみ込んだ。きょとんと彼を見下ろす。目線が合った。合わせてくれたのだと分かった。うつくしいということは、とファーザーは聖書を説くときと同じ口調で、言い始めた。うつくしいということは、とても喜ばしいことではありますが、同時にとてもかなしいことでもあります。ファーザーは、主の恩恵がどうとか、主に感謝すべきだとか、そういうことは口にしなかった。ただ、それだけ囁いた。かなしい? と訊くと、首肯が返ってくる。さみしい、でもいいのです。とにかく、ただ、よろこびだけを手にするわけではないでしょう。彼は、あのうつくしさを、かなしむこともあるでしょう。ファーザーは、とても言葉を選んでくれているようだった。そして一度も、視線を逸らさなかった。
 あなたは、彼のかなしみには、ならないであげてくれますか。
 そっと差し出された祈りは、ひどく深いところまで沁みこんできた。あたしはゆっくりゆっくり、呼吸をするように瞬き、首を傾げた。ファーザーは、ジオがどうしてここのこどもになったのか、知っているのだろうか。思わずそのようなことを呟いてしまったら、彼は目を丸くして、そして少し痛そうな顔で苦笑した。聞いてはいけないことだったのかもしれない。はらはらと雪が降りて、静かに地に積もっていく。頬を、髪を、肩を、真っ白な雪が触れて砕け散る。
 ジオは、おとなが、好きじゃない。
 おとなだけじゃなくて、基本的に、他人のことを、あまり好いていない。穏やかな笑みは決して優しくはなくて、慈悲深い眼差しと微笑を消せば、何にも興味のない、それでいて皮肉めいた笑みが残る。かみさまに愛された子。そうやって褒められるたび、彼は相手が望む通りの笑みを浮かべた。うつくしいこどもを見せた。その顔は、あまり、好きではないな、とあたしは思った。それなら、はじめて会ったときみたいな、無表情の方がずっといい。
 いつだったか、ジオに、天使ではないの、と聞いたことがある。随分前の話だ。ジオは穏やかに笑って、それを望むのか、と聞き返した。よく分からなかった。あたしはべつに、ジオが天使でなくても構わなかったし、天使であったとしても、さして気持ちに変わりはなかった。そうではなくて。そうではなくて、ただ、こんなにきれいなジオが、天使さまじゃない、というのが不思議なだけだった。そう言うとジオはちょっと眉を上げて、ふうん、なるほど、ミシェーラは、自分の認識と違っていたから、不思議に思っただけってわけね、とひとりで納得していた。ジオが分かってくれたらしいのは良かったけれど、伝わったのかどうかは、なんとなく疑わしいところだった。
 雪の量はだんだんと多くなり、あたしの冴えない栗の実色の髪がまばらに白く染まり始めた。ファーザーの吐く息が白い。
 あたしは、ファーザーに答えていないことを思い出して俯いた。答えはないような気がした。そんなことを約束できるほどあたしはやわらかにも、繊細にもできていなかったので。
 だけど、
 答えられないけれど。
「ファーザー、でも、あたし、ジオが、かなしいのは、知ってるわ」
 ぽつりとこぼすと、そうですか、とファーザーは言って、そっと目を伏せた。雪を払うこともなく立ち上がり、手を離す。いきなさいと言われたような気がした。あたしはかすかに頷き、雪の上を歩いた。走ったらきっと、ファーザーは心配するだろうから。
 ジオ、と今度こそ呼びかける。
 雪にとけてしまいそうな金の髪が揺れた。
 振り向く。
 ミシェーラ、と天使が微笑んだ。




Close eyes. And pray.

 あなたが、かなしみなく笑っていてくれますように。




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