メアリーローレンの
かかとの後ろから
生えた翅





 メアリーローレンは踵の後ろに蝶々みたいな繊細そうでか弱そうで壊れやすそうな翅がついていることが誇りだったんだってこれはことあるごとにあのひとに聞いたことなんだけど。なんだか腹が立つほど幸せそうに蕩け切った顔で何度も何度も繰り返してた。わたしはいつだって大人しくあのひとの話を聞いていたけれど、内心とんでもなくうんざりしていて、だからわたしの愛想はどんどん底なし沼にばらまく勢いで消えていった。そのまま投げ捨てられたなけなしの愛想は帰ってこなかった。今ではもう、わたしの顔は無表情で凝り固まっている。それはともかくとして、それってどうなの? ってわたしは今更ながらに思うわけ。つまり、メアリーローレンの誇りのはなし。確かにそれってちょっと優越感を覚えるような特別な魅力だったのかもしれないけど、でもそれ言い換えたらそれだけのことじゃない。複雑にきらめく緑に蠱惑的なダークブルー、なまめかしい漆黒と打って変わって無垢を気取った透明な輝き――あのひとが標本として持っていたメアリーローレンの翅は、確かに確かに美しかった。でもやっぱり、それだけ。わたしは一瞬と数秒ばかり目を奪われて、けれど二度目からはそうねうつくしいわね変わらずねとしか思わなかった。そういうわたしを見透かしたあのひとは、きみは彼女の踵で瞬くこれを見たことがないからそんなに淡白でいられるのさ、などと嘯いていた、ことまで思い出すとああまったく本当に腹立たしい。あのひとは愛おしげに硝子の小箱の中の翅にくちづける仕草をした。陶酔しきった眼差しに侮蔑と嫌悪となんとも言えない複雑な気持ちを抱いたことを覚えている。そうよ、わたしはその翅が完璧な姿であった頃のことなど知りやしない。当たり前だわ、わたしは生きたメアリーローレンを知らないのだから。知らないけれど、それにしたってあのひとの執着ぶりは苦いものがあったわけ。だって、そうじゃない。踵の後ろの翅なんて、いったい何の役に立つっていうのよ、むしろ日常生活において邪魔にしかならないふざけた飾りに違いないって思うわたしに情緒が不足しているのかしら。でも踵の後ろにあるってことは、踵のない靴しか履けないし、仰向けに寝っ転がるにも翅を潰さないよう充分な注意が必要ということになる。これってすっごく面倒なことだと思わない? とそこまで考えて、ああでも、とわたしは考える。メアリーローレンはだから、本当のところそれを誇っていたのかしらって。だってふつう、どんなに綺麗だって、美しいことが全てだって考え方をしてたって、やっぱり邪魔なものは邪魔なはず。ううん、もしかしたら、生まれたときからあるならその状態がふつうで、だから特に何も気にならないことだってあるかもしれないけど。でも、それならなおさら、誇ったりしないんじゃないかしら。あのひとはとにかくメアリーローレンの翅を愛していたけれど、メアリーローレンが自分の一部を愛していたかなんて、あのひとに分かるのか、というところがどうにも納得がいかない。なんたってあんなに崇敬して目の中に捻りこんでも痛くなさそうなんだから、当然視力はだめだめに決まってる。とは言ってもわたしだってメアリーローレンのことなんて然してしらないわけで、だからこんな疑問は単なるやっかみかもしれない。何が言いたかっていえば、わたしは一生翅なんてほしくないわねっていうことなのよ。ねえあなた聞いてるの、ああもうちょっと。
 踵にキスなんてあなたって本当恥ずかしいにもほどがあるわ!


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