フォンダンショコラ、

チョコレートソース添え

 

 


 

 

 

 

 

 そのひとはたいそう美しい男なのだ。

「何を読んでいるんだ、アリーシャ」

 ひょい、と熟読していた本を奪われ、彼女はあからさまに機嫌を損ねた。見上げると、どうして翼がないのか不思議なくらいうつくしい、天使のような美貌の男が不遜に笑っていた。高い背のおかげで彼はやすやすとアリーシャを見下ろし、偉そうに腰に手を当てる。

「……返して下さい」

「ふん。どうせこれも俺の本だろう? 持ち主の手にあるのだから、返してはないな」

「屁理屈を」

 くっ、とその男は愉快そうに笑声を洩らした。くつくつと暫く笑い続ける。アリーシャは余計に機嫌が悪くなった。憮然と唇を尖らせる。一体なんだと言うのだ。

 大きな真四角の部屋には焼けた肌の色の絨毯が敷き詰められ、四隅に角灯がかけられている。壁は一面、ほとんど書物で埋められた棚と化している。部屋の三分の一を占める、飾りも豪華な絢爛極まる寝台の上で座り込んだアリーシャは、菓子の乗った盆からひとつを摘み、腹立ち紛れに口へ放り込んだ。

「おまえも随分口を利くようになったな?」

「あなたのおかげで。邪魔しないで、それ、返してください。まだ読み終わっていないんです」

「はは、お断りだ」

「……は?」

 にやり、と三日月に男の唇が歪む。アリーシャは嫌な予感がした。と、男が着崩した最上の衣の裾を無造作に払い、ぐいと彼女の顎を掴んだ。

「つまらん。おまえは何だ?」

 青い目はおかしいほど傲慢に、声は天の歌声のように美しく甘い。

 アリーシャは瞬きもせずに彼を見て、ふ、と息を吐いた。

「わたしはあなたの玩具です」

 男は我が意を得たり、とばかりに機嫌を上げ、

「その通りだ。ならば本にばかり構わず、俺の相手をしろ」

 とん、と呆気ないほど簡単に彼女の肩を押した。くらりと目眩が襲ってくる。薫きしめられた香の匂い。ほんのいっとき意識を飛ばした隙に、彼女は寝台に倒れていた。獰猛に笑う男がアリーシャの耳の横あたりに両手をつき、多い被さってくる。見下ろす姿勢は彼にもっとも慣れたところだろう。クァンベル小連合宗主国、エアルベーンの王。神にすら、彼はこうべを垂れはしない。

 その高き御座にまします男は、まるで愛撫するかのような仕草で、ゆびさきにアリーシャの褐色の髪を絡める。先がくるりとうねる癖のある髪を一房、唇に引き寄せた。その様子を彼女はぼんやりと見上げる。ほんとうに、うつくしい男だ。少なくとも、見た目だけは。

「アリーシャ、見蕩れる暇があれば俺をもっと楽しませろ」

「見蕩れてませんが」

「減らず口め」

 鼻を鳴らし、肩口に顔をうずめてくる。くん、と男の鼻が間近で動いた。髪は掴まれたまま。

「花の匂いがする」

 女だな、おまえも。そう、男は言った。それが微かに愉快げで、また腹立たしい。性別のことであれこれ言われても困る。生まれてきてしまったものは変わらないのだから。そんなことを考えていたら、耳たぶを甘噛みされた。ぴくり、と震える。唇を噛んで、声を抑える。息だけで男が笑った。むっとすると、今度はこめかみのあたりにくちづけられる。目の下、頬、唇の端。つぎつぎとそれは降ってくる。蜜雨のように秘めやかに。

「……あ」

 息苦しさを感じて、アリーシャはそっと喘ぎを洩らした。ぎゅっと瞑った目を細く開け、彼女に触れるそのひとを睨む。彼は何も言わない。相変わらず不遜な笑みをたたえたまま、そろりとアリーシャの頬の線を撫でていく。耳の裏から、顎の下を伝い、唇まで。執拗なほど、ゆっくりと。

「や、め」

「やめろと言われればやりたくなるのが人のさがだ」

「……っ、いいかげんに、」

 ぐ、とアリーシャは足に力を入れた。そのまま振り上げる。が、あっさり押さえ込まれた。舌打ちする間もなく頭の裏からすくいあげられ、ふかいくちづけを与えられる。あまい。比喩ではなく、本当に、あまい。果実酒の味だ。たっぷりと砂糖を含んでいる。

「ん、ぅ………っふ」

「黙れ。いいかげん、観念したらどうだ?」

 唇を重ねたままからかうようにそんなことを言ってくる。くすぐったくて、腹立たしい。文句でも叩き付けてやろうとすれば、また強い力で封じ込まれる。貪るようなくちづけ。彼女の全てがあますことなく、彼の口から吸い尽くされてしまいそうだった。だんだん力が抜けていき、最終的に押し負けた彼女が受け入れるまで、熱い接吻はやまなかった。漸く解放された頃には、アリーシャはもう息も絶え絶えの様になっていた。対象的に男はいつも以上に元気そうだった。

「……なんなんですか、本当に」

「おまえが俺より本とばかりいちゃついているからだ」

「意味分かんないです……」

 はー、と深いため息とともに男の胸によりかかる。この男にむかついているというのに、寄りかかる場所がそこしかないとは、まったく甚だ遺憾なことである。

 しかし寄りかかられた男は妙に嬉しげだ。猫の子にするようにアリーシャの髪の毛をもてあそんでいる。アリーシャは嘆息する。

「あのですねぇ、あなたのお役に立つために、わたしは勉強しているんです。それを当人に邪魔されてはかないません」

「いらん、そんなもの。おまえはただここに居ればいい。……強いて言うなら、俺を愛すことくらいだな」

「何言ってるんです……?」

 胡散臭いものを見る目で男を見上げる。彼はちょっと不満そうにそっぽを向いた。再びため息が出る。どうしてこのひとはこう、妙なところで我が侭なのか。まだ少女と言った方が正確だろう女なんぞにかまけている暇があれば、仕事でも何でもやっていれば良いのだ。きっと山ほど溜めているだろうに。

 この傲慢で不遜でいつでも自信満々の無駄に偉そうな男に拾われて、もう三年経った。彼女はもうこの男の為以外に手を汚しはしない。アリーシャの人生は、このうつくしい男の為だけにある。

 彼女のすべてが、彼のものだ。

「お役に立ってみせます」

「アリーシャ?」

「たとえ他の誰があなたを裏切ろうと、わたしの全てはあなたのものであり、わたしだけは最期まであなたのお側におります。あなたに尽くしてわたしは死ぬ。今更ごちゃごちゃ言われたくはありません。わたしは、」

 ぎゅう、と彼女は、男の上等な絹の衣を、無惨なほどきつく握りしめた。

「わたしはあなたのお役に立ちたいのです」

 天の使いのようにうつくしく性格の悪い男は、ぴくりと眉を上げた。何か言いかけ、結局黙る。彼が言葉を躊躇うなど、アリーシャの前くらいなのだということを、当の彼女は知らない。

 そうして男は頑固な女の華奢な身体を、彼にしてはひどく丁寧に、繊細なてつきで、そうっと抱きしめた。彼女の耳許で、睦言めいた声音を吐く。

「……おまえほど俺の思い通りにならん女はおるまいよ」

 愛の言葉すらなさずに彼の唇は少女のそれをそっと食んだ。ちゅ、とあまやかに音を鳴らす、触れるだけの淡いくちづけは、それから更ける夜の星の数ほど、幾度も幾度も続いたのだった。

 

 

 

 


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  (オレ様(?)、ギリギリ全年齢、ちょっとアジアン異国情緒、で恋愛、目指せ少女小説)

 

 

 

 

 

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