そのに:魔女と奥様




 リディアンヌが夫、オルレアン・バシュラール=ヴォルパスの許に嫁いだのはつい三ヶ月ほど前のことだった。少々の不安がなくもなかったが、リディアンヌは喜んで嫁にきた。
 夫は決して悪い男ではなかった。
 リディアンヌに酷いことは言わないし、しないし、性格もまた難儀なものではないようだ。使用人に対する扱いも悪くない。そうとだけ聞けば、至って理想的な結婚相手のように思われる。
「でも違うんですの!」
 だんっ、と伯爵夫人は両手でテーブルを叩いた。じいんと痛みが這いずってくる。リディアンヌはちょっと涙目になった。魔女アニエスは白い目になった。
「何が違うっていうわけ? ヴォルパス伯爵は人格者で有名だ。ここらの魔女定例会でも話題にあがる程度にはね……ふん。善き者は魔女の敵だよ」
 不愉快げにアニエスが言った。手許は休みなく大きな水晶を磨いている。水晶だけではない、机の上には、緑柱石、金剛石、紅玉など、目映い光を放つ宝石がごろごろと転がっていた。ほう、と愛おしそうにそれを見つめ、アニエスはうっとりと頬擦りする。自分のねぐらに宝玉を溜め込む竜のようである。その竜の表情がいやらしく歪んだ。ニヤァ……と唇が引き上げられる。黒いレースをふんだんにあしらった漆黒のドレスは意外と趣味が良いが、何から何まで黒いため、まるで喪服である。銀の髪を飾る薔薇の色すら黒。黒、黒、黒。真っ黒だ。
「寡黙で無害な男だそうだけどね、リディ。あんた、結婚してくれるなら悪魔でもいいとか言っていなかった? 問題ないじゃないか」
「そこが問題なんですの!」
 リディアンヌは声を張り上げた。部屋のなかには薬草の束や奇妙な呻き声をあげる花、生き物の死骸が散らばっている。かなり気味が悪い。だがリディアンヌにとっては慣れたもので、その不気味なもろもろを踏まないよう、うまく部屋を歩くのも上手になってしまっていた。この三ヶ月の間で、随分と。
「確かにあの方は酷いことは何もなさらないし、仰らないし、悪魔でもありませんわ。でも!」
「でも?」
「本当に何もなさらないし、何も仰らないし、こっちを見向きもしないんですのよ!」
「興味ないんじゃない?」
「それは理解しましたわ!」
 とても残念なことに、オルレアンはリディアンヌにまったく興味がないようだった。別にないがしらにされているわけではない。ただ、なんというか、ただの同居人というか、リディアンヌを屋敷においているだけというか、つまり興味がないというか。もし、オルレアンがリディアンヌを煙たがっていたなら、彼女は仮面夫婦も辞さないつもりだったのだ。
 けれどもどうやらそうではないようだし、結婚を嫌がっているわけでもないようだし、なんだか――――なんだか、とっても、はっきりしない。その状態が三ヶ月。
 リディアンヌの限界もとうとう切れた。リディアンヌ・バシュラールは短気な質だった。
「もう、もう、もう、わたし、決めましたもの! お願いしますわ、ヴォルパス地方いちのすてきな魔女さま。いちばんいい媚薬を作ってくださいませ。かなり本気で」
「決めました、ってあんたどうせ後で泣きついてくるくせに」
 アニエスが面倒そうに言い捨てれば、リディアンヌはぶんぶんと強くかぶりを振った。目が燃えている。
「いいえ、アニエス、いいえ! わたし泣きついたりしませんわ。ですからお願いします、わたしのお友達」
 両手を握り合わせて祈るように頼まれ、魔女はうっと弱り顔になった。ちょっぴり頬が赤い。
「あんた、お友達ってつければ何でも許されるって思ってんじゃないよね? まったく本当に調子がいいなあ」
 わたわたと小粒の宝石を振り回しながら立ち上がり、ごほんと大仰に咳をする。仕方ないね、とアニエスは観念した。リディアンヌは瞳を輝かせる。
「本当ですか!?」
「作ってやるけど、あとで後悔しても、知らないからね」
「ええ、後悔なんてしませんもの!」
 有頂天のリディアンヌは気付かなかった。すてきで大事なお友達が、ふん、どうだかね、と悪態をついていることには。
「魔女は悪しき者だよ。魔女の薬は善き者にはただの毒にしかならないってのにさ」

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