そのじゅうきゅう:旦那様の嫁について




 オルレアンは困惑していた。
 さらに、不機嫌でもあった。もっというと、少しばかり傷心だった。彼のちいさな妻は、彼の一世一代の自白を嘘だと言い切ったのである。あの奇妙な感覚に乗せられてとはいえ、けっこう勇気を出したというのにまったく伝わらなかった。非常に残念だ。あまりにも彼女が確固たる口調で言うので、もしかしたらそうかもしれないとこちらまで思わされてしまった。そしてこの体たらく。このあたり、彼の動揺が見てとれる。
 しばしぽつねんと自失していたが、しばしを終えると彼はきちんと動き出した。そう、奥様も言っていた通り、彼は善良でまっとうで立派な領主様、おのれの立場をわきまえているヴォルパス伯爵なのだから。


 親交のある人間、また最低限挨拶をすべき人々と言葉を交わし、オルレアンははやばやと隅に移動する。考えるのはむろん、何やら様子のおかしかった妻のことである。
 と、そのときいやに親しげに肩をぶったたかれた。骨がぶしっと軋んだ。痛い。
「やあ、オルレアン! やっと一息ついたよねぎらいたまえ! 主催の! この! 僕を!」
「……ご苦労」
「言葉の選択がえらく上からだね! そして雑! なんだいなんだい、しみったれてるなあ。いつも以上に憂鬱になる面構えだよ! 生肉にでもあたったかい?」
 あたるような肉を出しているのか。胡乱なオルレアンの視線を読んで、屋敷の主フェルディナンは顔中で笑った。
「まさか! 肉は完璧に新鮮さ! でもきみならあたらない肉にもあたるかもしれないだろう」
 そんなわけあるかとオルレアンは頬骨をひきつらせた。相変わらずこの友人はうるさい。今日は客人を多く呼んでいることもあり、おとなしくしているかと思いきやこれである。
「そうだ、きみの知り合いもいろいろ呼んだよ。誰か楽しい相手に会ったかい」
「……アストロがいた」
「おっ、あいつはねえ、相変わらず人んちのごちそうをまるで遠慮なくがっつがっつ食べてくれてまあ、うちの料理人が喜んでるよ」
「いいことだろう」
「しかし食べ方が雑すぎる! 食い意地張ってるんだからねえ、まったく。ふうん、でも、じゃ、他に誰にあったんだい。きみがそんな肩を落とすような相手って?」
「……」
 名門貴族のボンボンとは思えない、率直に過ぎる問いである。いいにくいような、めんどくさいような、億劫なような気持ちで、オルレアンは足下に目をやる。そこには可憐な薄紫の小花がぽつぽつと咲いている。草むらに紛れるようにひっそりと、そして細く若々しい緑の茎を伸ばして。
「ん、ああ。かわいいだろう。いつの間にか咲いててねえ。庭師が刈ろうとしてたところをあわてて止めた僕を褒め讃えろ」
「雑草では」
「さあ? でも妹が名前のある花だと言っていたし、花は花だ。僕の庭なんだから、残してたって構わないのさ。たとえ他の見事な高級品種がそいつに食い破られてもね」
「気に入ったから、か」
 多少呆れと、いっそ感心まで含んで訊けば、フェルディナンはたいそう自慢げに胸を張り、おおげさに頷いた。
「そうさ。僕は僕の思い通りにしかしたくないんでね!」
「とんだ自己中じゃないか、拝謁もすんでない子どもじゃないんだからきみももうちょっと落ち着いた方がいいと思うんだがね。公爵もお泣きだろうよ」
 堂々した宣言にばっさり水を差したのは、いつのまにか香草入り腸詰め肉を取りにきていたアストロだった。ひょいひょいと皿にさらい、むしゃむしゃと食べる。
「なんだいアストロ、きみだってあいもかわらずべらべら気遣いのかけらもなくしゃべっているじゃあないか。きみこそオルレアンを見習って少しは口数を減らすべきさ」
「失礼だね、私はいつも細心の気配りでもって話しているよ。一言多いのはきみじゃないの」
「いやいやいや何言ってるんだい、まさかとは思うけど本当に自覚ないんじゃないだろうね?」
「きみこそ何を言う。私はちょっとおしゃべりなだけだろう」
 アストロに歯に着ぬ着せない自覚が、あまりないことを知っているオルレアンは、未だにそうのなのかと少々呆れた。
「……ジョスリーヌ嬢は」
「ああ、お嬢さん方の席があったから放り込んできたよ。まあ少しは慣れておくべきだからね。まああれのことは気にしなくてよろしい。と、いうか、オルレアン。きみこそ夫人はどうしたんだい」
「あ、そういえばきみ、妻をもうけたんだったね。しかも、あの、ココット家のご令嬢。いやあ、あの頃はまったくきみを不憫に思ったものだったけど、いやはや良かったよね。ああでも、さっきはあまりじっくり鑑賞できなかったんだった。よし、みせたまえ」
 うちの奥は鑑賞物ではないのだがな……とちょっと思った。
「具合を悪くして、部屋を借りにいった」
「ええっ、それは大丈夫なのかい」
「心配だね。ろくに食べてもいなかったようだしねえ」
「……大丈夫だ」
 おそらく、と旦那様はつぶやいた。そう、大丈夫だ。肉体的な面においては、心配はいらないだろう。
 彼女の「具合を悪く」させたのは、そう、おそらく。
 自分の発した、何らかの言葉なのだ。
 ……まったく不可解な話だが。

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