結婚当初のことである。 といっても、ふたりの関係に現在とさしたる違いはない。使用人の言によれば、おっとりした奥様がやってきて屋敷は以前より華やかになったとのことだが、旦那様は今と変わらぬ無口を貫いていた。いや、今よりも幾分、無表情の度合いが強かったようでもある。 基本的にあまり物事にこだわらないリディアンヌも、この夫には少しばかり戸惑った。もしかして嫌がられているのだろうかとも思った。けれども、しゃべりはしないが淡々とした丁寧な対応や、使用人たちの機嫌の良さそうな空気に触れるにつけ、そういうわけではないらしい、とあたりをつける。こういうひとなのだと理解した。 しかし、それにしても無関心に過ぎるのではないか。 あまりにも感情の動きが見られなかったので、彼女は最初の晩餐の席で、こまごまとした質問を向けてみた。 「あの、伯爵さまは、そのう……この縁談以前より、わたしのことを、ご存じだった、のでしょうか」 ふっとそんな問いが洩れてしまったのは、それなりに会話が――ほぼ単音の相槌ばかりだったが――続いたせいかもしれない。しまった、と思ったとき、オルレアンははじめてやや大ぶりの瞬きをし、そしてはっきりと頷いた。 自分から訊いておきながら、リディアンヌはこのとき、どうすればいいのかわからなくなってしまった。もう失敗してはならない、という意識がおそらくあった。それで口ごもっていたら、どうしたことかオルレアンが自ら話しかけてきたので、さらにうろたえたことを覚えている。そのとき、彼はこう言ったのだ。 「心配召さるな。あなたは、私に対して何事もこらえる必要はない」 リディアンヌ、と名前を呼んで。 別れてから数刻後、旦那様が迎えにきたとき、リディアンヌはすでに調子を取り戻していた。いつもののんびりとした穏やかな表情で微笑んで、目を伏せるようにして頭を下げる。 「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでしたわ、旦那様」 「……具合は」 何か言いたげに、しかし多くを飲み込んでこちらを案じてくれるこのひとを、彼女は改めて尊敬する。 なんて、わたしには、もったいないひとなのかしら。 「もう大丈夫です」 オルレアンはやはり、表情薄く沈黙した。 旦那様はお忙しいため、屋敷に泊まることはなく、日が暮れると自領に戻ることになった。彼の友人たちはいたく残念がっていたが、仕方ないと送り出してくれた。 帰りの馬車の中で、夫妻はほとんど会話をしなかった。空気が悪かったわけではない。いつも通り、旦那様は無口で、奥様はよき奥方らしく夫を気遣い、ひっそりと座席に腰を沈めていた。領主館に着く頃にはとっぷりと重たい夜がきていた。 輝く星々を見つめて、奥様はこぶしを握りしめる。 わたしは、つぐなわなければならない。 それから、とはじめてリディアンヌの名をはっきりとした発音で呼んだ旦那様は、こう続けた。少し、気分を害したふうに。 「……あなたは私の妻となったのだから、伯爵さま、という呼称は、いかがなものだろう」 リディアンヌはぱちくりと瞬いた。 それから頷いた。 以来、奥様はかたくなに、彼の最初の要望を守っている。 |