そのにじゅうろく:旦那様の証言




 一呼吸おくように口を閉じた奥様を、旦那様は読めない表情で見下ろしていた。手首はいまだ、掴まれたまま。この温度が手放し難かった。
「……ですが、わたしは、間違っていました」
 懺悔するように呻き、顔を歪める。
「媚薬を選んだのは、それならば旦那様にとってさほどご迷惑にはならないと思ったからです。屋敷を荒らしたりお仕事の邪魔などもってのほかですし、まさか攻撃するわけにもいきません。どうしようかと悩んで、思いついたのです。薬で旦那様の気持ちを好き勝手にすること。それならば実務的には被害は及びませんし、そんなことをする女を公正なあなたは嫌悪なさるはずだと。でも」
 声が詰まった。かたかたと手が震えそうになる。外道だわ、とリディアンヌは思った。わたしは、最低な人間だ。
「旦那様、あなたはわたしに恋をさせられたのです。その薬によって。その感情がどれほど激しく、あらゆるものに影響することを知っていたのに、わたしは」
「リディアンヌ」
 オルレアンがそっと嗜めるように名を呼んだ。思わず口を噤む。
「落ち着きなさい」
 息をする。
 リディアンヌはオルレアンの目を見た。
 落ち着いた。無理にでも、落ち着いてみせた。
「……園遊会で、旦那様がわたしを気遣ってくださったのを、覚えていらっしゃいますか」
「ジョスリーヌ嬢との、」
「はい。あのとき、わたしは理解したのです。人の心を勝手に決定することは、こういうことなのだと。とんでもないことをしてしまったのだと、ようやく。わたしを見てくださった。見ていてくださった。気持ちを汲んでくださった。過剰なほどに! そんなことを、強制的にさせてはいけなかったのに!」
 なぜならそれは真心だ。恋情から繋がる真摯な心だ。そして行動をも、左右させた。
「……そして、浅ましくも、思ってしまったのです。わたしは、」
 過ちにおののく前に、罪悪感を覚える前に。
 薬によってていねいに向けられた、愛情が。
「どうして、それが、本物ではないのかしら、って」
 オルレアンの目が大きく見開かれた。
「旦那様、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 オルレアンの手をふりほどき、奥様はひたすらに頭を下げ続けた。顔から火が出るほど恥ずかしくて、お腹の底がしんと冷えきるように夫の反応が怖かった。
「…………リディアンヌ、君は、思い違いをしている」
 茫然としたていで、彼は呟いた。
「まず、君は傷ついていないと言ったが、充分傷ついている」
「え……?」
「前の婚約の話だ。君は……切り捨てられたことに、たとえ真実愛していなかったのだとしても、あんな仕打ちを、それも結婚式でされたことに、傷ついている」
 淡々と指摘され、リディアンヌは困惑した。
「そんな、ことは……。……そうだったのでしょうか」
「当然のことだろう」
「でも、悲しくはなかったのです」
「それでも、君は結婚する気でいたのだろう。その程度には、相手のことを考えていた。仲良くやろうと努めていたのだろう。そうやって考えていた時間の分、君はその男との繋がりを感じていたんだろう……おそらく」
「……」
 旦那様が、とても、喋っている。
 奥様はぽかんと彼を見上げた。オルレアンはさらに続ける。
「それから、薬の件だが」
「は、はい」
「どうも、君の考えている効用とはずれているように思う」
 よく意味が分からず、首を傾げる。
「でも、それは、アニエスに作っていただいたものですよ。ちゃんとしています」
「……常々思っていたが、君、あまりあの魔女を信用するな。悪いものではないだろうが、ばからしい悪事を好みすぎるきらいがある」
「は、はあ」
 まあ、魔女だから仕方ない。アニエスは、あれでも大人しい方だ。
「では、どのような効果なのですか」
「……その前に」
 オルレアンは小さく嘆息した。そしてリディアンヌを無感動に見下ろす。あら? とふいに違和感を覚える。なんだか、今の旦那様は、薬にかかる前のようだわ。しかしそんな些細な疑問は――
「私はそもそも、薬を受ける前から、君を愛している」
 旦那様の衝撃的な発言で吹っ飛んでしまった。
 …………は?

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