ぴちょん、と不気味に水のしたたる音がする。

「うっわー……何で闇のってこう根暗ーなとこが好きなんだろねー」

 カンテラをてかてかと照らしつつ、ひび割れて陥没した洞穴めいた裏道を歩く。ぺたぺたとやたらめったら手触りの悪い壁に手を這わせるが、いまいち方向感覚は掴めない。うーむ、この方法、本当に役に立つのかなー。絶対嘘ついたな、師匠。手ぇついても迷うもんは迷うっつの。

 と、そろそろげんなりしてきた時、不意に頭上を黒い影が駆け抜けていった。大量に。

 蝙蝠。

 ぴぎいいいいいいい、とかしましく悲鳴じみた歓声を上げ、びょろんと引きつった口(多分)をひん曲げて嬉し気だ。ああ、なんて不気味な笑顔。そしてむかつく。え、何その笑い。喧嘩売ってんの?

「ちょっとちょっと、お前達一体何なのさ。僕に祓われたいってぇの?」

 ここまでの強行軍を思い出してか、彼はむっつりとしかめっ面になって腰に両手を当てた。ああ、本当、本当に大変だった。ここまでの長く長くながーい道乗り。子供の頃から適度にサボりつつ不真面目にきちんと修行して、漸く今年の初めに正式なエクソシストとして認められたは良いものの、まだまだ新米の自分は未だ師匠の小間使い。まったくまったくあの狸、と憤慨しつつも頭は上がらず、命令とあれば従う他なく、故に地味ーな地味ーな単独任務を任されて、わざわざ人目のつかない、大昔にどこぞの没落王家が夜逃げ用に作ったとか言う暗ーくじめーっとした右見て左見て上見ておまけに後ろを向いても石土だらけの道を通り、気付けば五日も経っていて。

 ああまったく、これで蝙蝠なんかに馬鹿にされちゃあ誰だってイラッとするもんだろう!

 空腹も相まって、彼は不機嫌極まりないとばかりにぴぎぃぴぎぃと嗤う蝙蝠達を睨んだ。ぎゅ、と首に下げた十字架を握る。きらりと輝く白さが妙に安っぽいのはご愛嬌。

「ふん、どうせここらに住んでいるんだろ。ぴぎぴぎ唸ってないであるだけ食糧全部寄越しな!」

 完璧に盗賊と変わらない。

 が、しかし、人間ナニはともあれ食欲である。食わねば勝てる戦も負けるというが、食に目も眩めば勝てぬ相手にも身一つで突撃するものだ。ともかく、ともかく彼は腹が減っていた。蝙蝠の食べ物など人間が食べれるものだろうかと考える余裕もなかった。翡翠の目を剣呑に眇め、彼の気迫にじりじり後ずさり始めた蝙蝠達に、逃がすものかとじりじり近寄る。

「ほーらほら、逃げ場はどっこにもないんだよ。分かったら大人しく————」

「やめんかああああああ!」

 どごぉっ、と洞穴の横壁が見事に吹っ飛んだ。彼は暫し沈黙した。……うん?

 今、なんか、壁が一瞬で崩れたよ?

「うっわ……怪力少女」

 壁をぶち破って現れたのは、何を隠そう闇色の髪に赤薔薇の瞳の一発で可憐と判断出来よう美少女だった。その真紅のまなこにはたっぷりと涙が溜まっている。ぷるぷると全身を震わせ、しゅんと肩(多分)を落とす蝙蝠達を守るように立ちはだかる。

 ……えー? お嬢さんお嬢さん、君今すっごい怖いことしませんでしたか? 何故にそんなに怯えているの。それって僕の役割だと思うんだけど。

「や、や、や、ややややめんんぬぐあいだ!」

 舌を噛んだらしい。

 ぶわわっと堪え切れなかったらしい涙が溢れ出す。痛いのか怖いのか反射なのか何なのか、うっ、ぐしゅ、うぐぐ、と妙に哀れを誘う泣き声。なんとなくいたたまれなくなって十字架を握る手を放す。なんだなんだ、まるで僕が弱い者いじめしたみたいじゃないか。失敬な。僕がいじめるのは僕よりちょっと強いくらいのおばかさんだけだぞ。

「ふっ、ぐ、ぐず、う、——お、おおおおぬし! そ、即刻、ここここ、ここからたち、立ち去れい! でででなくばこのわたしがおお相手すすするぞ!」

 ……ごめん半分以上何言ってるのか分かんない。どもり過ぎだってば。

「ほっ、ほほほ、ほらっ! はは、早くたたた立ち去るが良い!」

 そう言われてもねぇ、と嘆息しかけた彼は、ふと彼女の気配に奇妙なものを感じた。うんん? なんだなんだこれは。なーんかよく知っているよーな禍気だなぁ。……うん? 禍気?

 ぽん、と彼は勢いよく拳をてのひらに打ち付けた。ぱっと翡翠の瞳を輝かせる。

「あーあーあー! 君、君、ルーリだね!」

「ッ?! な、なななななぜわたわたしの名を……っ!」

「あーうんうんそういや君ってそうだったね! 無駄に気ぃ弱いよね!」

「んな……!」

「あっはっはなーんだルーリかぁ! ったく、いるならさっさと出てきてよねぇ。探しちゃったよもー」

 狼狽える少女に構いもせず、すっきりした顔でうんうん頷きながらじろじろ彼女を眺めやる。なーるほど、と呟きながら、彼は会心の笑みを浮かべた。

 真っ黒なドレスに赤いリボン、同じくらい闇に溶ける夜の髪、そしていつか見慣れた赤い瞳。怯えたような色は変わらず、吹き出る禍々しい気は魔性のもの。俗に“闇の”と言われる負の生き物。真っ赤な唇の端に覗く牙は鋭く。妖艶な首は病的なまでに青白い。まるで色気の感じられぬ少女の見た目だというのに、どこか魅入られてしまいそうな誘惑がある。

「あーもう嬉しいなぁ、ひっさしぶりだねルーリ!」

 可憐なる落ちこぼれ吸血鬼に向かって、エクソシストは馴れ馴れしく抱きついた。






「ぎゃああああああ! せっ、せい、聖職者がわたしに触ったああああああ!」

「ちょっとちょっと失敬だね! 人をゴキブリかなんかみたいに言わないでくれる?」

「い、いやあああやめやめやめろそれ以上触るな寄るな口利くな!」

 意地っ張りな子供の喧嘩みたいな台詞を吐きつつ、彼女はぐいぐいと少年を振りほどく。と、あっさり解放された。ほっと胸を撫で下ろしたら、急に視界が高くなる。————う、わ、あ?!

「ややややややめろわたしは高いのも駄目なんだ!」

 もうすでに涙で顔はぐしゃぐしゃである。

 ぴぎぴぎぃ! と勇敢にも蝙蝠達が抗議の声を上げてくれたが、人を躊躇いもなく抱き上げた聖職者はにこにこ機嫌良さげにぐるぐると彼女を回す回す。からぁんと落っこちたカンテラが転がった。

「ほーら、久しぶりの高いたかーい!」

「……ッ、……!」

 声も出ない。

 ああ、一体、何なのだこの男は。可愛い蝙蝠達が何やら危機に面していると察知してやってきたは良いものの、自覚出来るほど気弱な自分が一体どれほど敵に対抗出来るものかと不安に思っていた矢先、何故自分はその相手にこんなよく分からぬ脅威になどさらされているのであろうか。ああ不思議。というかというかなんだこいつは何故わたしの名を知っている? 知り合いか? 知り合いなのか聖職者なのに?! 

「……う、ぐお」

 その前に高さに負けそうになってきた。

「あれ、ルーリ? 大丈夫? 君、なんだか弱ったねぇ。昔はもうちょっと我慢出来ただろ?」

 ああ、そうだとも。なんせ昔はあの男が側に居たのだから。記憶はるか昔のこと、落ちこぼれの自分の傍らには、光を抱いたあの男。あの、

 …………うん?

 彼女はぴき、と固まった。するすると地に下ろされたことも気に留まらぬ。呆然としながらぎぎぎぎぎっと少年を凝視した。

 きらきら輝く金の髪。魔性の者には強過ぎる、聖の力を持つ者の、にっくき麗しやかなる光の気配。醸し出される神の息吹。洞窟の中でも宝石のような翡翠の瞳。

 翡翠の瞳!

「お、おおおおまえ、まさか……」

 いやいやいやいやそんな筈、と彼女は己の考えを否定した。何せあの男はもう死んだのだ。もう随分前に自分を置いて死んだのだ。だからたとえどんなに似ていたとしても。

「おっと、思い出してくれたの?」

「————」

 にっ、と邪気たっぷりの魔性の子のように笑うその表情。なんと見覚えのあることか。彼女はぶるぶると震えながら青ざめた。まさかまさかと思いつつ、しかし心臓はばくばく鳴る。彼女はおぼつかない腕を浮かせてそっと彼を指差した。

「デュ、デューラルード…………?」

「あったり! いやー、良かった良かった! まっさか本当に忘れられてたらどうしようってさぁ」

 そんな馬鹿な!

 心臓が嫌ーな嫌ーな悲鳴をあげる一方、頭の中には遥か昔の彼との日々が駆け巡る。そう、あれは、自分がまだまだまだまだまだまだ若かった頃。いつものように廃墟の片隅で不気味にえぇんえぇんと泣いていた日。突如として現れたあの男——いいや、少年は、きらめかしい笑顔で彼女を捕まえ、何故か抱き上げ、そう、そしてなんてことだろう、何の前振りもなく放り投げたのだ! ぴぎゃあああと泣き出す彼女に気をよくしたらしい彼は、その後も何かとつきまとい、そして気付けば自分は彼の配下となっていた。何故、自分が、同朋をやっつけているのだ?! そう思ったことは幾度とある。だがしかし、敵対する同朋達に同情の余地がなかったのが幸いだろうかそれとも災いしたか、ほとんど疑問もなく彼の手伝いをしていた、あの懐かしき日々。

「な、な、な、なぜいいい生きて……」

「いやさぁ、僕って君とブラブラしてた時聖人だったじゃん。まあ今もそうなんだけど、あの時代は荒れに荒れてたからねー、そりゃもう勇者様もびっくりなくらい。あ、いーかこれは。んで、サクッと生まれ変わったっぽいんだけど、昔の記憶があってねぇ。ぼんやーり過ごしてたんだけどさ、そういや君が居ないなー、って思ってさ。やっぱちょっと違和感あるからまた一緒に魔祓い手伝って貰おうと思って。師匠もいんじゃね? ってこの任務くれたよ。超地味なのにここまでくるのが大変なの何の」

 ——違和感だけでわたしはまたこやつに巻き込まれるのか?!

 絶望した。彼女は己の不運に絶望した。ああそうだった、あの男もこうだった。聖人、それも最も力の強い、神の嬰児の中でも畏怖の目で見られていたあの性質だけは清らかだった男も、確かこのように軽かった。サクッと彼女を攫い、サクッと彼女を巻き込み、サクッと彼女を、そう、

「だって友達だし。生きてんのに会えないって嫌じゃん」

 落ちこぼれで弱虫でおまけに泣き虫で仲間達にも疎まれていた自分を、こんなに簡単に、友達などとのたまうのだ。

 ……ああまったく、結局わたしはこやつにほだされる。

 金の髪に、翡翠の瞳、闇のにはたいそう眩し過ぎる、その魂。なんて懐かしいのかその色は。

「一緒にいってくれるだろ? こんなじめったいところでぶつぶつ根暗っててもつまんないしさ」

「……ほざけ。わたしは根暗なのだ。じめじめキノコと一緒にこやつらと過ごすのも嫌いではなかったわ」

 あ、そうなの? と残念そうになる聖職者の、金の一房を引っ掴む。……ああ、何もかも懐かしい。昔もよくこうして、あの男の髪を引っ張っていた。痛いなぁと笑う顔も同じ。

「だが、そうさな、久しぶりに日の下に出るのも悪くなかろう。ついていってやるぞ」

「おお、そうこなくっちゃね。そうだ、君の名前は今も変わっていないんだね? でも僕は今、レグルトって言うんだよ。あの名前はちょっとばかし有名過ぎるからさ」

「ふん、似たようなものではないか。むう……いつも通り、ルードで良かろう」

 新たな名を覚えるのは面倒臭い、とそう呟けば、彼はぱちりと翡翠を瞬かせた。ついでにっと軽やかに笑み綻ぶ。

「いいね! 確かに名前なんて大した問題じゃなかったよ。うん、君に久しぶりに会えたことに比べりゃね」

「む、そうか?」

「そうだろ? うん、——ありがとルーリ」

 今度はルーリがぱちりと瞬いた。なるほど聖人に相応しく、なんと綺麗な微笑であろうか。差し出された手にふと唇を花開かせて、彼女は躊躇うことなく小さな小さなてのひらを重ねた。

「ではゆこうか」

「うん、とりあえず、迷っちゃったっぽいから、道案内頼むよ」

「……たわけが」

 ぴぎぃ、と蝙蝠達が、当初と打って変わって楽し気に哄笑した。

 何はとまれ。

 久々の日の光に、危うく目を焼かれぬよう充分気をつけねばなるまいよ。


 薄暗闇の中を進みつつ、彼女は過去の経験から深く深ーく心に決めたのだった。




「あ、もぐら」

「って口に運ぶな!」

 

 

 

 

 

 

みんなで100題チャレンジ!企画に参加させていただきました! ありがとうございました。

使用お題:地下 

 

 


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