水瓜とひだまり。

 

 

 

 

 九か十年前の、今日の朝だか昼だか夜だかにぼくは生まれたらしい。つまり今日は誕生日だ。普通ならキャッホウプレゼントフォーミーとか何とか喜ぶべきだろう。だけどぼくは誕生日がそんなに好きじゃない。何でかっていうと。

 

 美弥がぼくを喜ばそうとして、なんかしら阿呆なことをやらかすからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 episode 01  幼子のように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えへら、と美弥は笑った。

 ……うん、いつも通りだ。九条晴久は、はあはあと乱れた息をなんとか整えながら、思った。

 

 どうして、こう、こいつはいつも阿呆なんだ!

 

 

  ————時は数刻前に、遡る。

 

 否や、半日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、語るべきことが三点ある。

 曰く、彼女は阿呆である。

 頭が悪い訳ではない。大体が何も考えていないということは非常に残念なことに否めないが、脳みそが足りていない訳ではないのだ。……多分。

 ……ああ、しまった忘れていた。彼女の名前は山菱美弥。彼、九条晴久の幼馴染みにして脳内お花畑まっしぐらの少女である。

 脳内お花畑。ああ、ああ、このひと言に彼女の“阿呆”加減は尽きる。ゴーイングマイウェイにお花畑。思考することを敢えて放棄し本能のままにとりあえず行動した結果により鉄棒に足引っ掛けて頭から地面にダイブするような人間なのである。

 さて二点目。

 曰く、彼女は彼女の幼馴染み、九条晴久に懐いている。

 懐いている。非常に、だ。

 晴久の傍をついてまわり、かと思えばいつの間にか消えて晴久が探しにいくことになるという彼にとっては頭痛の絶えない娘だが、とにもかくにも懐いている。先にも述べた通り敢えて思考を放棄している彼女は、親になんと嗜められようと「?」マークを浮かべて二の舞三の舞飛んで十の舞を繰り返すが、晴久がひと言少しはちょっとはほんの一ミリくらいはつまり考えろともの申せばあっさりとわりに足りている頭を回転させて、それからひとっ飛びナナメ四十七度くらいの答えを弾き出す。

 それによりさらに悲劇が起きたり起きなかったりするのだがまあそれは措いておいて。その三十ループくらいの回答は五回くらいひっくり返せば意外と良い線をいっていたりする。

 最後に曰く。

 九条晴久は極めて常識的かつそれなりに責任感のある真面目な少年である。

 対して彼の幼馴染みは常識放棄のくせして彼にしか御せない人間お花畑である。

 

 以上の二点によって、彼は彼女の傍をやむなく離れられずにいるのである。

 

 

 ……まる。

 

 

 

 

「…………まる、じゃねえええええ!」

 ごん、とどこからともなく降ってきた鉢植えを間一髪で避けた晴久は、さすがの自制心もあわや崩れ去り、まったくキレやすい思春期の少年の如く天地に叫んだ。ちなみに御年、九歳。ある意味老け過ぎだった。いやそうでなく。

 なにゆえ学校の中庭で落ち葉掃除している自分目がけて鉢植えなんかが降ってきた、などとというかくしかじかに無為な問いなど口にはすまい。ああすまい。ふふふ、と陰惨な笑みが零れる。——嗚呼、あの、阿呆が!

「美弥ぁあああああああ!!」

「わ、」

 はるひさ、と少々舌っ足らずな聞き慣れた声。

 晴久は頭上に幼馴染みを発見した。

 ぽかん、とした顔で、いかにも間抜けにこちらを見てくる彼女へ向かって、彼は怒号を上げた。普段からじじむさい諦観を滲ませている晴久にしては珍しく。

 いやだって。仕方ないだろこれは。

「おま、おまえ、ぼくを殺す気か!」

「晴久は蚊じゃないんだから殺すわけないよー」

 心底不思議そうに、ゆうらり首を傾げられる。さら、ときれいな髪が陽に透けた。窓枠から顔どころか半身覗かせ、——否、身を乗り出す彼女の髪が。

 おさない面に影を作る。頓狂なことを真面目に言った美弥のその頭がぐら、と傾ぐ。

 げ、と晴久は己の九十九パーセント当たる嫌な予感で、潰れた蛙みたいな呻き声を出した。

「あ」

 ぽけらっと、美弥。

 晴久は、出来れば避けたかった。鉢植えと同じくらいに潔く、避けたかった。

 だがしかし、生来それなりの良心と真面目さそれから大いに受難を抱く彼は、当然のように、降って来た少女のちいさくとも彼にとっては非常に非常に重たい身体にずどんと押しつぶされた。

「……っい、だだだだ……」

「わっ、ごめん晴久、中身出てない?!」

 そういう洒落にならないこと言うな。

 ぐぇえ、と未だに呻きつつ、心中で毒を吐く。ああ、これだから美弥は嫌なんだ。

 二階の教室から降ってきて、無傷とか。なんなんだもう。美弥が落ちた窓の内側——つまり教室から、どよめきが起こったのが分かる。何人かが先程の美弥のように顔の覗かせ、晴久達を遠目に確認する。いきてる、という声が少なくとも四回は上がった。そのうち、落ちたのは美弥だ、と誰かが叫ぶ。一瞬沈黙が降りて、ああ納得、みたいな空気が流れ、しかし直ぐさまいやいやいや大丈夫なのかそれはでも、とまた騒がしくなる。でも、と最後につく辺りが嘆かわしい。彼らが、でなく美弥がだが。と、晴久が受け止めた、と誰かが言った。途端になんだじゃあ何も問題ないなまったく人騒がせなあっはっは、と教室内の彼らは口々に安堵する。……何故だ、と晴久はもう何度目か知れない疑問を抱いた。

「……美弥」

「うん」

「なんで鉢植えなんか落とした?」

「あ、あのね! 今日のお花、百日草だったの」

「へぇ」

 ひゃくにちそう? なんだそれ。晴久はそれなりに普通の頭をしているが、別に優等生でも特別賢いでも勤勉家な訳でもない。どっちかというと、意外にも美弥の方が色々なことを知っていたりする。

 ともあれ、晴久は百日草を知らなかった。また美弥はナナメ四十七度なことを知っているなぁとちょっとだけ感心して、でだからどうした、と憮然となる。

「でもちょっと萎れてて」

「ふーん」

 そりゃ可哀想に。鉢植えと人間に落下された自分はもっと可哀想だが。

「だからたっぷり水をあげたんだけど」

「うん」

「あげすぎはよくないですよ、って真島先生に言われて」

「ふーん?」

 それで何で鉢植えを落とすんだ。

「だから太陽に当てようかと、」

「なんでそうなるんだよ! 次水抜けばいいだろ!」

 意味分かんねぇよ!

 奮然と突っ込むと、美弥はむっと眉根を寄せて怒ったように口を尖らせた。

「だって一回抜いただけでもっともーっと萎れちゃうかもしれないんだよ!」

「嘘つけ! そんな弱くないっての!」

「そんなことないもんそーゆーゆだんがいのちとりなんだよ!」

「どこのけいじドラマだよ!」

「違うよ火サスだよ!」

「どっちでもいいよ!」

「よくない!」

 いーっ、と美弥は憎ったらしい顔をした。晴久は疲れてかくりと肩を落とした。あーもういいよ、と呟く。呟いてから、だーいじょーぶかー、と聞いて来る頭上の級友に、ちりとりと小帚落としてー、と頼む。きょとんとする美弥を下がらせて暫く待つと、容赦なく掃除道具は降ってきた。前振りもなかった。

 これでいーなー、という面倒そうな声に、いーよー、と適当に返して地面に刺さったちりとりを引っこ抜く。ぱんぱんと土を落として割れた鉢植えのところまでいって腰を下ろす。ひらりと蝶が横切った。晴久は一瞬だけそれをぼんやりと眺めた。きれいな蝶だ。現実逃避。

「晴久?」

 美弥がやや不安げにゆるゆると近寄ってきた。窺うように彼を見る。

「いーから美弥下がってて」

「え、う、でも」

 もごもごと気まず気に口を動かす彼女を、晴久はじろりと睨んだ。

「ぜったい、手ぇ切るから。いーか? 動くなよ。ぜったいだぞ。ぜったい」

 ぐぐぐっと念を押し、げんなりしながら小帚をぱたぱたと動かす。藁が破片を巻き込み緑色の安っぽいちりとりがみるみる重くかさばっていく。ふう。全部の破片を掃き終えて、一息。彼はちらりと無惨に果てる鉢植えの中身を一瞥する。むぅと眉間に皺を寄せてからひょいひょいと片手で美弥を呼んだ。どこか嬉し気に寄ってくる美弥はまるで子犬のようである。

「ほらこれ」

「?」

「どっかにこっそり埋めたげれば」

 そっけなく言って、晴久はおおいと再び、級友に呼びかけた。

 美弥がうんと大きく頷くのを横目でちらと見ながら。

 

 

 ————以上が彼らの関係である。ご覧の通り、と一礼するのが相応しかろう。

 つまり、午前中まではいつも通りだったということだ。

 

 

 

 

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