水瓜とひだまり。

 

 

 

 

 



 だけど美弥が教室に晴久の場所まで来るのを待つのと、晴久が美弥のランドセルを持って向かえにいくのとでは、後者の方が圧倒的に早い。なので晴久は級友達に帰る旨を伝えて、さっさと昇降口に向かった。

 上履きを靴箱に仕舞い、スニーカーに履き替えたところで、がつんという派手な衝突音がした。はあ、とため息をついて歩みやれば額を抱えた美弥が扉の前で踞っている。まったく、この迂闊っぷりはなんとかならないものだろうか。

「大丈夫か、美弥」

「う? あ、うん! 大丈夫!」

 けれど阿呆な美弥は晴久の顔を見つけてあっさり笑顔に舞い戻った。ぱっと勢いよく立ち上がる。晴久は微かに眉を寄せた。美弥はまた色々汚れていた。よくよく見れば怪我もしている。急いできたせいで転びまくったのだろう。

「ぼくが行く方が早いんだから、美弥はゆっくりくれば良かったのに。また怪我してるし」

「ん、でも、大丈夫だもん」

「そういうの、大丈夫って言わないって」

 一旦ランドセルを下ろし、中からタオルを引っ張り出す。次いで美弥のランドセルを持ち主に渡した。傷だらけの手を引き、昇降口を出てすぐのところにある水道の蛇口をひねり、タオルを濡す。一番酷い、擦り切れた膝の辺りをぽんぽんとそれで叩く。う、と沁みたような顔をする美弥をちらと一瞥して、今度は反対の面で頬を拭ってやる。

「わ、っぷ、うう、もういいよ晴久」

「よくないって。またおばさんにげんこつくらうぞ」

 握っていた手を放し、前髪をすくってやる。……思った通り、額にも傷が出来ていた。そこもごしごしと擦る。

「ん、こんなもんか」

 言って、ピッとタオルを一振りする。濡らしてしまったのでランドセルには入れられない。仕方ないので手で持って帰ることにした。

 よし、帰るぞ、と促すと、美弥はちょっと情けない顔で、手を差し出してきた。晴久はぱちくりと瞬いた。

「なに?」

「手、繋いで帰ろうよ」

「…………なんで?」

 四年生にもなって、そんなこと出来るか。仄かに頬が赤まるのが分かる。だけど美弥は気付かない。美弥はそういうヤツだ。困ったことに。

「さっきも、この前も、この前の前も繋いだじゃん」

 この前の前っていつだよ。ていうか。

「……それは、美弥が厄介ごと起こすからだろ!」

「何でもいいからー」

「……あーもう」

 がっくりと項垂れて付き合い切れないとばかりに背を向ける。あからさまに残念がる気配がした。晴久はまたため息をついた。

「ほんと帰るぞ」

「! うん!」

 仕方がないからひっかけるように繋いでやった手を、美弥が嬉しそうに握りしめる。晴久は眼を泳がせて、暫く振り向かなかった。








 


 家と家の間で別れようとしたら、何故かそのまま美弥の家に連行された。なんだなんだと思いつつも諦めて、されるがままについていく。美弥が靴も脱がずに上がろうとした時だけ諌めて。

「あのね! ずっと前に晴久に貰った百日草ね、うちの畑の端っこに埋めてもらえたの!」

「……、ああアレ。ふーん、よかったな」

 あげたっていうか、正確にはぼくの上に降ってきて美弥が割ったやつなんだけど、とは言わないでおいた。

 網戸をかしゃんと開け放ち、サンダルを引っ掛けて水瓜畑の端を行く。中途半端なところで美弥は立ち止まり、これ、と上機嫌に指を差す。

「なんかねぇ、ずっと元気なかったんだけど。真島先生に教えてもらって、良い位置に変えたら、ちょっと良くなった」

「ああ、それで真島先生がどうたらって」

「うん。今日もね、ちょっとだけコツを教えてもらってきた。愛情は大切だけど、愛情だけじゃあ駄目なんだって」

「ふーん……」

 にこにこと言う美弥の言葉は、なるほど説得力があった。愛情だけあっても向日葵は育たない。日当りの良いところで毎日水をあげて、でもあげすぎないで。晴久は植物に関してそれくらいの知識しかなかったが、多分それと似たようなものなんだろうな、と思った。……それにしても、美弥は寒くないのか。晴久は寒い。ぶるりと震えて、それで、と首を傾げる。

「そりゃ良かったけど。それがどうかしたの?」

「ん、あのね、あたしが出来ない時は、晴久にやって欲しいんだよね」

「へー……、…………はあ?!」

 なんでぼくが!

 仰天して引きつる晴久に、美弥は変わらず笑顔で続ける。

「だって、一番信用なるの、晴久だし。あ、そうだ百日草、来年咲いたらあげるね!」

 いや別にいらないし、とは言い難い雰囲気だ。ぽやぽやへにゃへにゃ笑う美弥は、ぐいっと顔を晴久に寄せて、ぎゅっと両手を繋いできた。嫌な予感。ずりっと後ずさるが何処吹く風。美弥は唇が触れそうなほどの距離で、晴久の耳に囁いた。一気に体温が上がる。どきどきと心臓が鳴る。美弥の柔らかい声。だけどその内容は全く頭に入ってこない。早く離れてくれ、と晴久は思った。預けたままのマフラーが触れて、むやみやたらと暖かい。漸く彼女が身を引いた時には彼の耳は真っ赤に染まっていた。肝心の美弥はいつもの如く気付かず終いだったが。ふかく、深くため息をつきたくなるのを必死に堪える。

「——ね、すごいよね?」

 こうするんだって、と無邪気に笑う小女に、彼はただ、紙に書いといて、とだけ返した。ああだって。


 とても他には言えやしない。



 

 

(言えるわけ、ない)



 この胸の動悸の、意味なんて。

 

 

 

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