「陛下、結局どうするんです? あの令嬢、というか娘」
 
 ……そう口火を切った側近はその口調に反して至ってどうでも良さそうに気に入りの書物を繰っていた。
 現フィエラント皇国皇帝であるヴァルト=ラリス=ラ=フィエラントは激しく嫌そうな顔で書類の山に顔を埋めた。
「……とりあえず、」
「はい」
「別に令嬢のままで良いだろうが何で言い直す」
「そこかよ」
 たはっ、と品なく笑ったのは側近その二、マルス=ラストル。その一であり王に突っ込ませたやる気なさそうな男はクラエス=ゴートウィル。王とマルスの幼馴染みなクラエスは別に重要な地位にいるわけでもなく、毎日本の山に埋もれている。側近ということをなしにした役職は、王宮の書庫の総管理を任せられる、
司書頭というひたすら役に立たないものである。主に政治的に。いや、王宮司書が役立たずということは決してないのだがこの男は誰がどう見てもただぼけぼけと書物を貪っているようにしか見えないのだ。ということを承知しているのに真面目に働かないのがクラエスである。
 続いてマルス。
 これまたやる気のない男で、代々有能な騎士の家系に生まれたというに「まぁ家系だし一応ね。これ一番楽な道だから」なぞと適当極まりないことをほざいて適当に騎士になったという馬鹿馬鹿しい経歴を持っている。ちなみにやっぱり側近ということを覗けば全然高くない地位である。何せ騎士といっても数いる騎士の中の一人、彼の他の家族と違って、特別な称号を賜っているわけでも、十二ある騎士団のうちのひとつで団長を務めているわけでもない。ほんっっとうに適当に、家系通りに騎士になっただけなのである。
 嘆かわしい、とやる気なさ過ぎな側近二人の幼馴染みである王はいつも思う。
 何でこいつらが自分の側近なのか。と。
 さらに言えば、何でこいつらと幼馴染みなのか、と。
 分かり切っている疑問を抱かずにはいられないほど彼らは適当だ。暇なら手伝ってくれればいいのにっていうか暇な姿を俺に見せるな失せろこのやる気なし組どもが俺も休みたいわちくしょー! と心の中で叫びつつ、口には出さない。
 彼らが側近なのは自分が選んだからで、彼らが幼馴染みなのは家系の問題。と年の問題。自分の仕事は誰かに手伝わせるわけにはいかないが、だからと言って側近ならば時間がある限り主の傍に侍らなければならない。ヴァルトからするとものすごくいらっとする理窟だが、理窟は理窟。正しい上に、不可抗力。だから仕方なく彼は今日も書類の山を一人で片付ける。暇そうな二人の間で。……くそ、こいつらあとで締める。
「で、どうするんです?」
 まだ言うか。
 執務机、つまりヴァルトが座る絢爛豪華な椅子の真後ろにあるこれまた大きくかつ豪奢な窓のへりに、ゆうゆうと腰掛けたクラエスが、答えたくない質問をぶつけてくる。その様子を、黒い長椅子にだらしなく、――曲がりなりにも騎士とは思えない姿勢で座るマルスがニヤニヤと見ている。ああ忌々しい。ヴァルトは腐れ縁という縁を毎日にように呪っていた。腐っているならさっさと腐り落ちろ!
「どうもこうも」
「当の本人はすんげぇ嫌がってますけどね」
「というか、無理矢理連れてこられたんだろう、アレは」
「うわとうとうアレとか言ってるよこのひと。あ、マルス、そこのヴィナンテとって」
「おーう。どれ? 何味?」
「何でもいい」
「あいよー」
 額を抱える王の前を、暢気に黄色いヴィナンテが飛んでいく。ヴィナンテとは最近市井で流行っているふんわりとした食感の焼き菓子のことだが、そんなことはどうでもいい。
「おまえら、執務室でそんなもん喰うな」
「あれ、陛下嫌いでしたっけ、甘いもん」
「そういう問題じゃない!」
「そーれふ、か。もふ。ふまいれふよ」
「喰いながら喋るな!」
「あっはっは。クラエスのそれはいつものことじゃないですか。てか本当に美味いですよ?」
「じゃあそこおいとけ!」
 奮然と返せば、「結局食べるんじゃないすか」とマルスが悪びれもせず笑う。ヴァルトは心底げんなりした。直前の会話を思い出してさらにげんなりした。
「……アレは、なぁ」
「なぁってなんですかなぁって」
「どうしようもないだろう。連れてきたの、ケルファニア公だし」
 明らかに後宮内を支配しようとしてる表情で目隠しした娘を連れてきた、どう頑張っても好ましく思えない面差しのケルファニア公爵を思い出す。……領地もろくに管理せずに何をやっているんだあの御仁は。つい悪態をつかずにはいられない。
 ただ、妃にと連れてこられた娘は少々どころかかなり変わっていた。
 媚びないところはまぁいいが、まさか会った早々罵倒されるとは思わなかった。
 初対面を思い出し、彼は軽く落ち込んだ。
「……あの娘はなんというか」
「ふぁい?」
「なんです?」
「嫌いじゃあないんだが……やり難い」
 がっくりと項垂れる主に向かって、側近二人が同時に心中で「まぁそりゃそうでしょうな」と呟いたことを、彼は知らない。

 
 しかし、と彼は頭を抱えつつ、思考する。
 やり難い。やり難いことこの上ない。この上ないがしかし。
(ほっとくわけにもいかんしな……)
 出来れば関わり合いになりたくない人種なのだが。だがここでやはり、しかし、が入るのである。向こうの言い分も大概酷いものだが比率から言って彼女の方が被害者であることは明白である。それが彼の与り知らぬところで起きた問題であったとしても、だ。要は彼があれもこれもそれもある種の仕事であるというのに逃げ回っていたせいにある、とも言えるのだから。拉致紛いなことをしたのは彼ではないが、それに彼の責任がないと言い切ることはできまい。……そう、分かっているからあの公爵に何も言えないのだが。それが痛いところなのだが。
「んじゃあ、とりあえず様子でも見に行きます? もう一週間くらい放っときっぱでしょう」
 無駄に壮麗な扉をぎぎぎぎ……と押し開けるマルスの言葉に彼はぎくりと肩を揺らした。その通り、彼は彼女がかの白亜の宮、つまりは彼のもとに連れてこられてから、初めて体面した日以降顔も合わせていない。というか彼が会いにいかない限りばったり出会すことなどありえぬので、単に彼が逃げていただけである。つくづく逃げてばかりだと遠い眼で彼は思った。情けなく。
 はぁ、とため息をつくと後ろからにゅっと腕が伸びてきた。ぎょっと身を引くと、腕の主であるクラエスが王の執務机に堂々と手をついて窓枠から飛び降りる。なんて心臓に悪い。
「なら早くいきましょう」
「……ああ」
 明らかに気乗りしない顔で、ヴァルトはいやいや立ち上がった。
 この部屋にたった一つしかないどでかい扉までのそのそと歩む。ちなみにこの扉は木目美しい樫の木で出来ていて、それに透かし彫りされた硝子の枠をはめ込み、さらに金の縁取りがされているという、彼の感覚からすると悪趣味極まりない派手派手しさを抱いていた。
 そして彼は、今日もそれからげっそりと眼を逸らしながらいやいや白亜の宮殿へと向かったのだった。





 そうして。
 一年と少しばかり前に皇帝の位を継いだ若き王は、彼の枯れたといっても過言ではない見た目ばかりの後宮で。
 とんでもない姿で拳を振り上げる妻(予定)の姿を目撃したのである。


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