埒があかない。



 ヴァルトはぜぃはぁと荒くなる息をふかく吐いた。
「……解った。とりあえず休戦しよう」
「……いいけど。大丈夫? 血管切れそうだよ」
(誰のせいだと……ッ!)
 ひくひくと頬が引きつる。ヴァルトはまた叫びそうになったところを寸前で押し止めた。
「……ねぇ」
「あ?」
「ルーたち、どこいった?」
「……」
 ヴァルトは押し黙った。いらっとした証拠に額に青筋が浮かび上がる。

 逃げやがったなあいつら。




 
 心底嫌そうな顔をする王の横を寝間着姿でゆうゆうと歩く。ふさふさした芝生が柔らかい。さすがに靴を履くことは了承して、ぶらぶらと腕を揺らす。
 トューリィはちらりと王を窺った。
 げっそりした顔に似合わず、もとはとても整っている。現王家は代々美形、というのもあながち間違いではないらしい。この顔なら大抵の娘はうっとりすることだろう。……それが恋愛に繋がるかは兎も角として。
 しかし生憎トューリィは兄弟達の中に山ほど美形を見てきた。憎々しいことにケルファニア公爵はそれなり上の美形だったらしい。その遺伝子がばっちり組み込まれている兄や弟達がいるのだから、美形にそれほど興味が沸かないのも当然と言えば当然である。目の保養は身内だけで充分だ。本人達は全く嬉しくなさそうだが。まぁ色狂いの父の遺伝子と言われてもそりゃあ嬉しくなかろう。
 トューリィはケルファニア公爵がものすごく嫌いだ。なんというか、性に合わない。理不尽なところが特に嫌だ。疲れるから。
 ――養子に出されるまでに一通り宮廷作法を身につけられるのがファルストリス家の習わしになっている。
 だから幼少のうちに彼らケルファニア公爵の子供達は死なないのがおかしいほどの教養をそれはそれは厳しく教え込まれるのだが、それを役立てる機会は滅多にこないので、畑を耕すことに喜びを覚えている兄の一人は「ほんとに無駄な幼少期だったなぁ……」などと遠い目をしていた。
 ただ、トューリィにとってはそれはあまり悪いことでもなかった。トューリィが養子に出された家は王都のすぐ近くにある地の領主の家だ。階級的には地方伯の位を持っていて、普段を畑を耕し空をあおいで水の調子を確かめる領主の家の者も、時にはパーティーや会合に出席しなければならない。王都の御前にまかることだってある。作法を知らずにとんでもない失態を繰り広げてしまうと養父母や兄にまで迷惑をかけてしまうのだ。だから予め叩き込まれていたおかげで事前の練習でも危なっかしい、なんてことはなかったし、彼女自身は知らないことだがその場で最も美しい立ち居振る舞いを出来たとも言える。
 ――――が。
(それは後宮でほほほほほと羽扇をあおりながら絢爛豪華なドレス着てへーかに愛を囁くためじゃないっての!)
 作法を教え込んでおいて良かった、などとほざいたあのくそじじいの顔を思い出すだけでむかむかする。
 それもこれもこの馬鹿王が妻を持ってないから、と八つ当たりしてしまうトューリィだったが、王だって好きでトューリィをあてがわれたわけではない、ということも分かっている。ある意味彼もケルファニア公爵の被害者であるとも言えよう。
 しかし、それでもついついむかついてしまうのが人の性である。
 南庭に迷いなく進む王に何も言わずについていきながら、ふとトューリィは眉根を寄せた。
 恐らく、これからも彼女は王に八つ当たりしてしまうだろう。むかつくものはむかつくのだ。だが、言い過ぎた気がしないでもない。気分が落ち着いているうちに謝っておくべきだろうか。
(うーんでもなぁ……)
 今更、なんて言い訳はしないが、言い難い。それにさっきから――全然気にしてなかったが――ずっと無言なのだ。会話の糸口が掴めない。いきなりごめんって謝るのもなんかおかしい気がするし。ていうか何のことって感じだし。
「姫」
 ――びき、とトューリィは固まった。姫?
(ひめ……? 姫って誰だ。私? 私のこと?! なんって違和感。気味悪いよ。いやでも仕方ないのか?)
 年頃の令嬢を姫、と呼ぶのはごく普通のことだ。階級が高ければ高いほどそう呼ばれることの方が多い。だが、今まで姫なんて数えるほどしか呼ばれてこなかったので、はっきり言って寒気が走った。似合わな過ぎる。
「……姫?」
「あ、うん……ごめん。何?」
 衝撃が抜け切らず、曖昧な返事になってしまう。だが王は特に気にならなかったようだった。
「ここが庭の南、蒼恋苑だ」
 白薔薇のアーチ。幻想的なまでの馨しさ。蒼い空に良く生える、透明な緑。
 精霊が歌う声がする。きっとずっと奥で、彼らは陽気に花冠を作っている。人にはなかなか入ることの出来ない場所で。
「……へぇ。綺麗だね」
「ゲイリーが魂込めて管理しているからな」
 ゲイリー、とは後宮の庭師の老人の名前だ。ふぉっふぉっと笑う食えない気さくな人物である。
「……閉じ込めていてすまなかった」
 ぽつり、と呟かれたそれに顔をあげる。王のいささかばつの悪そうな表情があった。
「これから少しずつ、ラファトリジャを案内しよう。いつか貴女を帰せればいいとは思うが、俺――私は賢王ではない。ケルファニア公爵は黙らせるのは難しい。時間がかかってしまうだろう。その間、少しでも自由に暮らせるよう、なるべく配慮する。……すまない」
 淡々と紡がれる言葉は、決して欲しい言葉ではなかった。だが耳障りでも、不快なものでもなかった。ほんの少しの心地よさと、安堵を齎してくれる。トューリィは思った。見た目にはそれほど興味がなかったけれど、この声は悪くない、と。
「私はきっと、へーかにずっと八つ当たりするよ。へーかに恋人でも出来るよう画策するし、いらいらしたら暴れるかもしれない。少なくとも半分はへーかのせいじゃないのに、あのくそじじいがいないから全部へーかのせいにするかもしれない」
「……構わん。私は王だ」
 そう、とトューリィは呟いた。吐露した言葉は予想以上に酷いものだった。だがこの年若い王は構わないと言う。自分は王だから、と。民を受け止めるのが王。民を想うのが王。彼は決して賢王ではないと言うけれど、それはきちんと知っているのだ。
 それは、なんとはなしにトューリィの胸を暖めた。この王の民であることが、ほんの少し、嬉しかった。たとえ力なくとも、そういう風に想ってもらえるのは、ひどく幸せなことのように思えた。
「うん、ごめん」
 トューリィは、凝っていた言葉を吐き出して。
「……ありがとう」
 どう言えばいいのか、うまい言葉が見つからなくて、不本意気にそう言った。王が驚いたように瞬きする。すぐにその口元が微かに緩む。
「休戦中だからな」
 今度はトューリィが瞬いた。なるほど。それはなんとなく。
 良い言葉のような、気がした。
 早く養父母のもとに帰りたいし、兄に羊の世話を任せっきりなのがとてつもなく不安だ。この後宮は大してやることもなくてつまらない。良い人ばかりでとても良い所だとは思うけれど、何もすることがなく、ただぼうっと庭を眺めているのは落ち着かない。畑が気になってくる。つい、空を見てこれからの天気を確かめてしまう。その必要がないことに気付いてどうにも困った気分になる。そういう気持ちが、早く出たいと心底望む。
 だが。
「それもそうだね」
 なんとなく、暫くはうまくやっていけそうな気がしないでもなかった。


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