薔薇の茂みを抜ければ、白いガーデンテーブルに遠慮なく座る男と同様の細工を施された白い椅子に腰かけるルーフィア、それから腕を組んで直立する、騎士の制服に身を包んだ男が、身も蓋もない話を繰り広げていた。
 うわー、とトューリィは内心呟いた。なんというか、この二人は本当に王の側近なのだろうか。それにしては言動が容赦ない。
 ふと、前を歩く王の拳がぶるぶると震えているのに気付いた。
(――――げ)
 心中で彼女が呻いた瞬間、
「おまえらは何をいらんことくっちゃべってんだこっの馬鹿どもが――――ッ!! 」
 怒号が轟いた。びりびりびりと耳朶が震える。怒鳴り合っていた時は特にどうとも感じなかったが、他人事として聞くとかなり煩い。というか耳が痛い。どういう声量だ。
 が、吃驚しているようなのはルーフィアだけで、騎士服の男はにへらへらと笑い、テーブルの上の男に至っては完全無視で読書に耽っている。
「あー、陛下。仲直りは出来たんですかぁ?」
「なっにが仲直りだ阿呆か! クラエス、テーブルから降りろ! 壊れたらどうする」
(……そういう問題じゃない気がするけど)
 トューリィはさりげなくルーフィアのもとまで移動した。その間にクラエスと呼ばれた男がひょいと――心底面倒そうにテーブルから降りる。
「トューリィ様」
「ルー、刺繍はどうなった?」
 少々ばつの悪そうな表情のルーフィアに微笑んで、綺麗に糸を紡がれた布を覗き見る。ええ、とトューリィの侍女はほっとしたように応えた。……見た目はそうだが、心内はおそらくこうなることを分かっていたのだろう。トューリィの性格をたった数日で掴んでしまったらしい彼女は、ちょっと面倒だからと避難したぐらいで怒る性ではないと知っている。そしてトューリィも、そういうルーフィアの性格を好んでいる。なんたって見ていて飽きない腹黒っぷり。
「見て下さい、ここ数日で一番の出来ですよ」
「へぇ、蒼薔薇か。綺麗だね。運と幻想の象徴」
「着眼点はそこですか。わたくしとしてはこの少女のドレスの裾模様を頑張ったのですが、まあいいです。……というか、それを言うなら奇跡と夢の象徴では?」
「奇跡より運の方が可能性高いじゃない」
 ばっさりと言うと、ルーフィアは「まぁ確かに」と納得したのかしなかったのかよく分からない表情で呟き、そっと椅子から立ち上がった。トューリィよりよっぽど品のある動きだ。礼儀作法を叩き込まれたのは事実だが、トューリィは必要がない限りそういう動きはしない。決して下品な動きをするわけでもないが、取り立てて美しく振る舞うこともない。こんなところでそんなことをしても何の益にもならない。
 トューリィは面倒臭いことは嫌いなのだ。さっさと帰って兄をからかって畑を耕して――――
「姫、――姫。聞いているか」
 もう幾度も繰り返した思いを中断される。王の声だった。
「何?」
「何、じゃない。帰るぞ」
「あ、そう? じゃね。私はまだいるよ」
「お、ま、え、が、帰るんだ!」
 なんか怒りっぽい王様だなぁ。
 フィエラントは最も高い位を皇帝としているが、対外的に『フィエラント皇国王』、つまりは『王』と呼ばれることが多い。というよりこの国の大抵の民は――よっぽどの貴族や年長者なら兎も角――陛下、王様、と呼んでいる。別に御前にまかるわけでもないのだから無理に仰々しくお呼びさせていただくこともない。それに皇帝と号を決めたのは遥か昔、国興りの頃から続いている、一番重要であるようでいて実はわりと適当に放置されっ放しの伝統なのである。――伝統、というだけなのだ。
 だからトューリィもつい王様、と呼びそうになる。今は適当に「へーか」と呼んでいるが、おそらく本当は「皇帝陛下」ときちんと発音しなくてはならないのだろう。少なくとも妻、候補、であるうちは。
「なんで私まで一緒に帰んなきゃいけないの」
「あのなぁ、ここは後宮、どんなに住み良くても皇居よりは危ないんだぞ。特にこの辺りは」
 そりゃ王の住まいに比べればどんな場所だって危ないでしょうよ。
 一瞬呆れて二の句を継げなくなったが、ふと覚えた違和感に首を捻る。
「“特にここは”?」
 王はしまった――というより面倒そうなしかめ面になった。
「……この蒼恋苑を抜け、さらに南側の奥へ行くと、人が手を出すことの出来ない精霊の住処とぶつかる。そのせいでまったく整備していないし、さらに言うと獣が山ほどうようよしている」
「……後宮がそんなんでいいの?」
「後宮のものは滅多にこっちにはこないからな。きたとしても警備がつく。だが、おまえ――貴女達は、あまり公にされていないから、衛兵もついていないし、もし公爵の動きに勘づいた面倒な輩がいると格好の餌食にされる」
「えじき」
「毒を盛られたり」
「う」
「急に矢が飛んできたり」
「うう」
「薬を嗅がされて気付けば拉致監禁」
「それあのくそじじいなんだけど」
 あの犯罪者が。
 内心で毒づく彼女を知ってか知らずか、王は非常に微妙な表情になった。
「……まあアレは異常な例だ」
「いやでも今例に出したし」
「異常な人間がやるんだ異常な人間が。そして異常な人間はわりとたくさんいる」
 否定出来ない。
「俺――私は貴女達を見殺しにしたいとは思わない」
「うん」
「分かったら行くぞ」
「……はぁい」
 トューリィはふて腐れたように返事した。きゅ、とルーフィアの手を引く。くすくすと、笑う声が耳に届いた。じろりと睨むとルーフィアが可笑しそうに笑っている。
「案外相性良いのでは?」
「んなわけないでしょうが。あったら困るから」
 ちょっと言い負かされただけだ。
 なんかあんまり嫌いじゃない、などと思うのも当然だ。別に王自体に何らかの不満があるわけではない。――いやあるか。この男がさっさと良い姫君を娶っていてくれさえすれば良かったのに、というやつが。
 だが不満というのはそれぐらいで、多分、こんなことになりさえしなければ、なかなか悪くない印象を抱けたかもしれない。自国の王としてはもちろん、一人の人間としても。
 今隣で如何にも可愛いお嬢さん然として微笑むこの侍女のように。
 違う場所でぶつかったら意外と話が盛り上がったりするかもしれない。
 だがしかし。
 トューリィは、断固として、その微細な感情を認めない。
 こんな己の底辺も底辺にある感情は無視してしかるべきであろう。
 いつの間にか、女のものではない手で余った方の手を引かれていることにも気付かずに、トューリィはひっそりと闘志を燃やした。

 
 さっきはまぁ暫くはいいか、なんて思ったけど。
 ――――やっぱりこんな場所、さっさと出てってやる!


 言い負かされたことが微妙に口惜しかったトューリィは、まったくもって大人げなくそんなことを思った。


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