そのいち:奥様は決意する




 リディアンヌ・バシュラールは決意した。
 ヴォルパス伯爵領の南を覆うカサンドルの森、その奥深くにちんまりと居を構える木造屋敷。小屋と言った方が正しい姿のそれの、今にも干涸びそうなボロボロの扉を、どんどんどん、と勇ましく叩く。いつもは綺麗に結われている髪もほとんど流すままで、ドレスに至っては飾り一つない地味な茶色。はっきりいって、今の彼女はどこからどう見ても広大な領地を統べるヴォルパス伯爵の奥方とは、到底思えなかった。だがそんなことは、彼女にとってはこれっぽっちも気にならない。そう、今、リディアンヌの頭を占めるのは、新たな夫のことだけだ!
「アニエス! いるんでしょう、開けてくださいな!」
 どんどんどんどんどん。
 フォークより重いものを持ったことのないような小さく柔らかいてのひらは、立て続けに扉を叩いていたため、もう擦り剥けてきている。しかし、それにも彼女は気付かない。
「アニエス、アニエス!」
「――――ああ、もう、うるさいね! うるさいから無視してやろうと思ったのに、あんたときたらしつこいったらないよ! いったい何の用だっていうの」
 もう一度叫ぼうとしたところで、痺れを切らしたらしい屋敷の主人が、勢いよく扉を開けた。ギキィイイ、と軋む音がなんとも不気味だ。けれどもリディアンヌは欠片も恐れずにっこりと微笑んだ。
「ああ、やっぱりいたのねアニエス。嬉しいわ。わたし、一世一代のお願いがあって参りましたの。すてきなカサンドルの魔女さま、どうかわたしにとっておきの媚薬を作ってくださいませ!」
 ところで内側から開いた扉はリディアンヌの額を殴打した。そういうわけで、か弱いリディアンヌは言いたいことだけ言うと、微笑みの表情のまま、
 気絶した。


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