そのじゅうろく:奥様は恋を定義する




 リディアンヌはジョスリーヌのはにかむ顔をとっくりと眺めてから、訊きたいことがあったのだと思い当たった。
「あの、ジョスリーヌさま」
「はい、なんでしょう!」
 遠慮がちに声をかけると、ジョスリーヌは勢いよく身を乗り出した。らんらんと目が輝いている。どうやら、恋の話をできたことがよほど嬉しかったらしい。その表情があまりにもすばらしいので、なんだか訊く前から答えを教えてもらえた気がした。リディアンヌはふと笑みをこぼした。
「いえ……ごめんなさい、なんでもないのです」
「リディアンヌさま? 何でも仰ってくださいませ。何かお尋ねになりたいことがあったのでは?」
 さあ、さあ、とばかりに詰めよられ、リディアンヌはちょっと戸惑った。それから少しの逡巡ののち、では、と口を開く。
「ジョスリーヌさまは、恋をされるとどんな気持ちになられるのでしょう」
 ジョスリーヌはぱちくりと瞬き、そしてぽっと頬を赤らめた。
「気持ち、ですか?」
「ええ……あ、ジョスリーヌさまにとって、恋とはどのようなものなのか、というのかしら……」
「そうですね、えっと……こう、胸がきゅっとなって、どきどきして、そのひとを見ているとぽーっとしてしまったり、もっとずっと話していたくなったり、でもちょっぴり逃げたくなったり、とにかく幸せな気持ちになったり、でしょうか。……あの、恥ずかしながらほとんど物語の受け売りなのですけど」
 両の頬を白手袋をつけた手で挟みながらの答えに、リディアンヌはふんふんと頷いた。
 なるほど。
 それはとても、すてきな感情だ。
 とてもきれいなものなのだ。
「あの、リディアンヌさまは?」
「え?」
「リディアンヌさまがどのような恋をされていらっしゃるのかを、その、よろしければお聞かせいただきたいのですけど……」
 人生の先輩として! という言葉が透けて見えるような。リディアンヌは焦った。こ、これは迂闊なことは言えないわ。純粋な、そしてちょっとのめりこみやすそうな淑女の夢を、壊しすぎず膨らませすぎない良い返答をしなければ。
 迷って、ちらりと夫の方を見る。彼は少し離れた場所で、友人と和やかに会話を――ほとんど一方的だが――交わしている。こちらの様子を気にしているそぶりは見られない。アストロが喋りながらもものすごい勢いで食事を続けている。テーブルの料理を食べ尽くさんばかりである。
 エルロイ邸の庭は美しい。
 風がほどよく気持ちが良くて、デビューしたての園遊会を思い出した。見るもの何もがもの珍しく輝き、リディアンヌの胸を弾ませた世界。確か、チューリップがきれいな時期だった。この庭にも、チューリップはあるのかしら。唐突にそんな他愛のない疑問が過る。成人になりたての、未だ幼い少女の殻を脱ぎきれずにいた頃。社交界は恐ろしい場所ではなく、ダンスを楽しみ食事に喜ぶ場所だった。はじめて身内以外の紳士と踊ったことを、それも貴婦人に対する作法で誘われたことを覚えている。
「そうね……」
 リディアンヌはぼんやりと、オルレアンの遠い背を見つめた。
「……永遠に、続くよう、願うこと……でしょうか」
 ぽつりと、思いも寄らないことが唇からこぼれおちた。リディアンヌは驚いた。彼女にとって恋とは、対岸から眺めて知ったもので、素晴らしいものだと思っていて、でもだからこそ実感としては理解できていないものだった。わたしは、今、何を思ってこんなことを言ってしまったのかしら?
「リディアンヌさま……」
 困惑するリディアンヌにジョスリーヌがどこかぼうっとした声で呟いた。気遣わしげな眼差しを向けてから、リディアンヌの視線の先を見て、ほうっと感嘆するような息を吐く。
「わたし、まだまだみたいですわ。わたしも早く、胸躍るような恋をしてみたいものです」
 何かよくわからないが、良い感じに誤解してくれたようである。

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