そんなこんなで、ランディフェル領の南、ルヴェアス領との境に位置するベロー山脈の麓、リト・ベロウの町にやってきた、わけだ。

「……痛い……お尻だけじゃなくて腰も首も痛い……」

 馬で。

 基本的に蹴る、殴る、絞める以外の運動は苦手なレティーシャは一人で馬に乗ることが出来ない。かといって馬車では時間がかかり過ぎる。そういうわけで騎兵の一人にここまで乗せてきてもらったのだが、久しぶりに乗った馬は相変わらず乗り心地最悪だった。痛い。あちこちがぎりぎりひりひりする。ああもうだから馬は嫌なんだ。どうして貴族のお嬢様方は楽々馬なんぞを乗りこなせるのか。あり得ない。あのクソ領主、絶対殴る。

「すみません、レティーシャ様。もっと上手く操れたら良かったんですが……」

 騎兵がひどく申し訳なさそうな表情で言ったので、彼女は慌てて背を伸ばし、ぶんぶんと首を振った。

「違います! ごめんなさい、ガストさんのせいじゃないですから。ここまで本当にありがとうございました」

 領内とはいえ、ここまで日の沈む前まで辿り着けたのは僥倖だった。惜しむらくは自分の馬上経験の低さである。丁寧に頭を下げ、渋る彼に暫しの別れを告げる。そう、あの、馬鹿の首根っこを引いて帰るまでの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境の辺境でもあるリト・ベロウの町はどこか素朴な町だった。そういえば、ここまでくるのは初めてだな、とそんなことを思う。活気づいているわけでもないが、落ち沈んでいるわけでもない。長閑な町並みに露店商が品を広げ、子供達がレティーシャの脇をすり抜けていく。うっかりぶつかっても睨んできた人は今のところ一人しかいない。そんなにぶつかるのもどうかという話だが。

 騎士のダグディレンは今にも飛び出しそうな勢いで、どうにも頭に血が上り過ぎているとしか思えぬ様子だった。まあ、主を見失ったかと思ったら誘拐されていた、なんてことでは、自ら首を切らなかっただけマシかもしれない。責がないとは言えないが、九割方ローランドのせいだとレティーシャは思う。鉱山の方に攻め込もうとも思ったが、そこには関係ない人間もいるだろうし、日頃滅多なことでは領民を傷つける、及び動揺させるべからず、と当の主から言い渡されていることもあってレティーシャがくるのを待っていた、という言には心底ほっとしたものだ。とりあえず彼をなだめすかして安宿に待機させ、二日経っても戻らなかったら兵を呼んでくるよう頼んで置いてきた。まったく生真面目な男だ。ローランドにも見習って欲しい。

 石畳をゆっくり歩きながら、泊まってもいない宿屋で親切にももらってしまった地図を広げる。細かに描かれた図と注釈を睨みつつ、レティーシャは首を捻った。

「……えーと、ベロー山脈はどうやって入ればいいんだ……?」

「それならあっちの、ベラ姉さんの帽子屋を曲がって、真っすぐ行ったところから山裾になってるよ」

「うわ?!」

 独り言への返答にレティーシャは肩を跳ね上げた。心臓が飛び出そうになる。慌てて振り向くと、その反応にこそ驚いたような青年が目をぱちくりさせている。どうやら親切に教えてくれたらしい。レティーシャはぎこちなく微笑んだ。びび、吃驚した。

「あ、ありがとうございます。えと、あの、青い看板のお店ですか?」

「うん、——なんか、驚かせちゃったみたいでごめん」

「え、いえいえいえ、私の方こそ過剰に驚いてしまって……すみません」

 良かった、と青年は朗らかに笑った。……人の好い人間の多い町だ。

「君、行楽で来たの? ベロー山脈は鉱山だし、見るところはあんまりないと思うよ。ランディフェル領は確かに良いところだけど、物見遊山にはここら辺は向かないかなぁ」

 ははは……とレティーシャはちょっとばかり頬を引きつらせた。確かに領主館のあるヴェリアの町は見物して楽しいだろうが、いかんせん自分はその町に住んでいるのである。

「いえ、ちょっと用事がありまして。えっと、鉱山なんですか?」

「うん、あんまり良い鉱山じゃないけどね。小さいし、働いている人間も少ないし、出てくるものもいまいちだから、採掘者も精練師も落ち込んでる。良いものを当てられたら良いんだけどね、なかなか」

 おっとりしているがわりとお喋りらしい、彼はさらりさらりと上手く呼吸をしながら話続ける。

「鉱山はもう諦めようっていう奴もいるんだけど、うちは町っていうより村に近くて、成り立たせていくのも一苦労だから。やっぱり縋っちゃうんだよね。俺もそうだし」

「あなたも鉱山の方なんですか?」

「ん、いや、親父がね。第一人者なんだ。俺は絹染めが仕事」

 そう言って、彼はぱっと手を上げた。よくよく見ると爪の先に色が残っている。

「男が染め物っていうのは珍しいかもしれないけど」

「え、そんなことは……すごいんですね」

 ただ湿らすのではない。綺麗に色を出して、まんべんなく染めるのはとても難しいと聞く。レティーシャにはとても出来ない。彼女に出来ることは、文字を追うことと、ローランドをひっぱたくことぐらいだ。そう考えると自分はつくづく巷で生きていく能力が欠如している。……皿洗いくらいなら出来るだろうか。手に職持てずとも、下っ端として雇われるくらいはしっかりしたいものだ。まあローランドが没落すればの話だが。

 青年は目を丸くしてから、照れたように頬を赤らめた。ぽりぽりとその頬を掻く仕草がなんとも朴訥としている。

「……まあ、まだまだ、見習いなんだけど。いや、そんなことより、ね、君。鉱山を見るのは良いけど、危ないからね。あと働いているみんなが睨んでくるかもしれないけど、悪気はないから」

 ……この人は何かこう誤解していないだろうか。たとえば、そう、レティーシャのことをとても幼く思っていたり。

「大丈夫です。ご迷惑になるようなことはしないよう、気をつけますから」

「でも気をつけてね。麓まで案内しようか?」

「いえ、大丈夫ですよ。曲がって、真っすぐ行けば良いんですよね」

「うん。じゃあ、気をつけて。話に付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ、ご親切にありがとうございました」

 手を振る青年に一度深く礼をしてから、レティーシャはぱたぱたと走り出した。言われた通り青い看板の店を曲がり、真っすぐにつき進む。廃れ気味の鉱山。そんなものを有する山で、どうしてローランドは誘拐されたのか。

 そして、何故自分を呼び寄せたのか。分からないことばかりだ。

 ため息をついた時、レティーシャは丁度青年の言っていた山裾に辿り着いていた。

 

 

 

 


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