「さて、私は彼女達のお茶に同席を請おうと思いますが。殿下方はいかがなさいますか?」
さらりととんでもない発言が出た。
目を剥くアスターだったが、アレックスが呆れたように何か口を開きかけたので遮るように首を振る。
「僕達は失礼します。どうぞ、ごゆっくり」
「良いのですか?」
「ええ、兄上のいないところでシャルロット様と仲良くしていたら叱られてしまいますから」
軽く皮肉ってアスターは不満そうなアレックスの袖を引いた。む、と彼は口を尖らせたが、逆らわずについてくる。軽くジュリアンに礼をして、二人はシャルロット達のいる部屋から離れた。
「アレックス、どうしたんですか。オルポート卿の女狂いはいつものことでしょう」
「いつものことでシャルロット様に絡まれてはねぇ。問題ないって言っちゃった手前、非っ常に困ります。さすがに殿下の婚約者に手を出す馬鹿じゃないと思っていたんですが、外れましたかね」
うーむ、と唸るアレックスは至って真面目だ。
「……今までもこれからも大問題は起こしてこなかったんですから、大丈夫でしょう?」
「俺もレイ殿下にそう言ったんですが、なんか不安になってきました。もしあの人の好みがシャルロット姫だったらちょいまずい気がします」
俺はね、殿下。ため息のようにアレックスは呟く。俺はね、シャルロット様なら、きっとレイ殿下を、いちばんしあわせにしてくれると思うんです。他のどんな綺麗な姫君より。他のどんな、たとえば傾国の美姫なんかより、ずっと。
アスターはその言葉を聞きながら、このひとは何だかんだで、兄上がすごく好きなんだよなぁ、などと明後日なことを思った。多分、アスターよりも近いところで、レイモンドが無茶なくらい張りつめていた時期を見ていたから、余計心配なのだろう。
楡の樹の扉を開き、それじゃまたー、と手を振ってくるアレックスに苦笑を漏らして、アスターは兄の部屋へ向かうことにした。
*
今日もジュリアン様の御髪はきらめかしい金色だわ、と優雅に入ってきた客人を見ながらシャルロットは再確認した。とりあえず呼び鈴で紅茶とカップの追加を頼み、椅子を勧める。エレンはぽかんと彼を見上げ、どう反応すれば良いのか計りかねているようだった。手持ち無沙汰にカップの取っ手をもてあそんでいる。
ジュリアンはにっこりと彼女に一礼した。貴公子だわ、とシャルロットはぼんやり観察する。
「お初にお目にかかります、美しい方。ヴェルロゼット侯爵令嬢でいらっしゃいますね?」
「え、ええ……はい。エレン・ブラックストンと申します」
ジュリアンはクラッッグランド中の貴族の娘の名を記憶しているのだろうか。
「エレン様とお呼びしてもよろしゅうございますか?」
垂れた目尻に吊り気味の眉。薄く笑みを刷いたその表情の甘さに、エレンはちょっと戸惑った様子で頷いた。
「ありがとうございます。どうか私のことはジュリアンとお呼びください」
「は、はい」
にこにこと二人を眺めていたシャルロットはひっそりポッドを掴み、ひっそり紅茶を注ぐ。そして話している二人の方へひっそりとカップを回した。シュガーポッドから二匙分自分の紅茶に落とし、くるくるとかき混ぜた。仲良くなってくださるかしら、などということを考えていると、エレンからもの言いた気な眼差しが送られてきた。首を傾げる。何だろう。
「ああ、お砂糖ですわね! 何杯入れましょうか」
「ちちち違います……!」
……あら?
「えぇと、それではミルクかしら。ちょっとお待ちくださいね、今、」
「そ、そうではなく。あの、何故、オルポート卿、いえ、ジュリアン様が……」
「たまたま通りかかりましてね、御機嫌優れぬご様子のラムズフィールド公爵令嬢のお相手をしてきたところだったんですよ。そしてこちらのお話を耳にしてしまったもので」
つまり盗み聞きしたんですわね、とシャルロットは微笑んだ。特に他意はなかったのだが、エレンはぎょっとし、ジュリアンは苦笑した。
「……申し訳有りません、ご不快でしたか?」
「いえ、わたしは。お話をお聴きしていらしたのでしょう? エレン様が哀しくおなりでないならまったく問題はありませんもの」
えっ、とエレンが気まずそうな声を漏らした。
「あの、私は、別に」
「お二人ともお優しゅうございますね」
シャルロットはふと瞬いた。
ジュリアンは柔和な笑みを浮かべたままだったが、なんとなく、つめたい印象も透けて見えるように思える。宝石を散りばめて砂糖菓子をぶちまけたような甘くて、シャルロットからすると酷くぬるい言葉の全てを、彼はまったく大切に思っていない。そのような。
「……それで、ジュリアン様。何か御用でもおありでしたの?」
ただ訪れただけなら、わざわざこんな告解などしないだろう。
「ええ。何かお手伝い出来ればと思いまして」
おてつだい。
シャルロットはエレンと顔を見合わせた。
(それは、つまり、レジーナ様にエレン様への『悪戯』をやめてもらう為の、ということで良いのかしら)
良いということにしておこう。コンスタンティアに以前教えてもらった、使えそうな男はさりげなく使ってやれ、だ。あの時のシャルロットにはいまいちよく分からなかったが、多分これで合っているのだろう。
「何をなさってくださるんです?」
「たとえば、エレン様のエスコートでしたら」
「却下しますわ」
エレンが何か言う前にシャルロットはサラッと断った。幸い、冗談ではなかったらしい当人もほっと胸を撫で下ろしている。
「エレン様のエスコートはアスター様のお役目ですもの」
「シャルロット様ッ?! ま、ままま待ってください! どうしてそうなるんですか!」
「え……違いますの?」
びっくりするシャルロットに、もっと驚いたらしいエレンは力一杯「違います!」と叫んだ。
「ま、まあ、そんな。どうして?」
「どうしてって、それこそどうして私のエスコートをアスター様がなさってくれるんですか!」
「……なさらないの?」
「ありえません!」
シャルロットはものすごく残念になった。
「じゃあ、今日は誰にエスコートしていただくの?」
「え……えぇと、父に、お願いします」
考えてなかったらしい。ふらりと視線を彷徨わせてから、ぽつりと呟く。その様子が何やらとっても不安だった。
「やはり、私がいきましょうか」
「い、いいいいえ! ジュリアン様にそんなことをお願いしたら、それこそ睨まれてしまいます!」
……何故?
シャルロットはちらとジュリアンを見た。青くなるエレンと対照的にジュリアンは菫のように清廉で、——どこか皮肉気な表情だった。
「ジュリアン様だと、どうして睨まれてしまいますの?」
「え……えぇと、その。……ジュリアン様は、宮廷の蝶でいらっしゃいますから」
宮廷の、蝶。それはつまり、ものすごい人気者、ということか。なるほど。これほど見事に貴公子然とした貴族の男、それもかなりの美形ならば、分からなくもない。美しく着飾る少女達がうっとりと頬を染めるに相応しい。
(……でも、やっぱり、レイモンド様の方が美少女になれるわ)
ジュリアンは美青年だが、美少女には出来なかろう。そのような妙なこだわりを持つシャルロットとしては、妬まれるほどなのかと少々面食らってしまった。
「……何と言ったかしら。もてもて?」
だったかしら、と呟くとジュリアンはふっと苦笑した。
「光栄なお言葉ですね。お美しい姫君方にそのようにお気に召していただけるのは、嬉しい限りですよ。まるで己の名を持つ薔薇のように、それぞれが光り輝き、主張なさり、愛を囁かれる。まるで神の試練のようだ」
エレンは居心地悪そうに身じろいだ。こういう言葉には慣れていないらしい。むしろアスターのようなザクザク切り刻む如き言い様に慣れているのなら、それも当然かもしれない。シャルロットは吟遊詩人の恋愛抒情詩のようだわ、と思いながら、ほんのり首を傾げた。ああ、それにしても。
「ジュリアン様は、そんなに女性がお嫌いなのですか」
好きそうな見た目ですのに、と続けるとジュリアンが目を見開いた。エレンも驚いたように瞳を大きくしたが、やがて納得したように吐息を漏らした。シャルロットが、そういえば茶菓子がないわ、と卓上の呼び鈴に手を伸ばしたところで生温いくらい甘い声が降ってくる。
「何故そう思われるのです?」
誑し込み、丸め込む。捉えどころがないよう。そのような。そのような喋り方。
「……違うのですか?」
「私は女性を慈しんでおりますよ。私の宝石になってくれる、可愛らしい方々を」
シャルロットはどう言えば良いのか、よく分からなかった。何故、と聞かれても、そうとしか思えないから、そう言っただけで。それに、慈しむ、なんて。
宝石だなんて。
どの辺りから、女性好きだなんて言えるのだろう。
「ジュリアン様、女性はそのように慈しまなくても強い生き物ですわ」
ジュリアンは不可解そうに目を細める。シャルロットはにこりと微笑った。
「それから、もし脆くなって壊れてしまいそうな方を慈しむには、それこそ命懸けでないと通用しないと思いますの」
宝石だ薔薇だ女神だと睦言を囁かれて舞い上がり、身を持ち崩す者もいるだろう。けれども本当に恋に落ちているかどうかは、本人にしか分からない。そうしてどれほど。
思ってもらえるのかは。
「……そうですね、シャルロット様。貴女はお強いかもしれません。柔かに無垢に純粋に、何の穢れもなく美しく生きていける貴女は。けれども世の全ての女性がそうではないでしょう」
「そうですわね。同じ人間なんていませんもの。でも、ジュリアン様が諦めてしまうほど、何もない生き物ではありませんわ」
ジュリアンは絶句した。
冷えた紅茶はほとんど残されたままで、それがほんの少し、残念だ。
「少なくとも、お嫌いな生き物に無理に甘い言葉を贈らなくとも良いのではないかしら。だってジュリアン様、普通に面白い方ですし」
美辞麗句で飾り立てる言葉も劇の中にいるようで楽しい。彼が女性を褒めたたえて持ち上げる様子を見るのも、とても面白い。やはり吟遊詩人のようだ。それでも、無理に言う必要はないように思う。もし本当に彼が女好きの好色だったら、それはそれで見物だったかもしれないが。
暫し返答に困ったように眉を寄せていたジュリアンはふと小さく首を振った。
「いいえ。お耳障りかもしれませんが、これはもう癖のようなものです。美しい女人と見れば褒め、けしてあか抜けなくても美しくする。錯覚さえ起こして現実にさせる。そうして、遊んできたのですよ」
低く彼は言った。いつもの甘い声よりずっと通りの良い声だった。少なくともシャルロットには。
「耳障りなどございませんわ。面白いですもの」