村役場にはもう国からの使者もおらず、サリエもまた居なかった。そういうわけで、ラギはドラードと時計塔に向かうことにした。ハルラを観にきたのだから、おそらくそこにいるだろうと、当たりをつけて。
 予想通り、彼らはいた。
 けれども、ラギが予想していた以上に、サリエは荒れていて、使者達は冷徹だった。
「ふざけんな!! てめぇらにハルラのことを決める権利なんかねぇ!」
「サリエ!」
 暴れるサリエをドラードが羽交い締めにする。それにも構わず、サリエは黒服の人々に罵声を浴びせ続けていた。そのうちのひとりが、眉をひそめる。不快気に。
「……千糸は国のものです。あなたにこそ、このことについてどうこう言う権利も、私達に無礼を働く権利もないのでは?」
「人が人を蔑むのに権利も何もねぇよ!」
「呆れた……村が潰れても良いので?」
 ラギはぞっとした。その言葉を呟くその姿は、まるで何の作為もなく、当然のことを聞くようだった。だがサリエはただ嗤った。その様子に気付いたドラードが、再びサリエが何か言う前にその口を塞ごうとする。けれども間に合わない。
「そんなんハルラには————」
「サリエ!」
 悲鳴じみた、甲高い声がサリエの言葉を遮った。ラギはぎょっとそのひとを見た。蒼白になったハルラが、降りてきていた。時計塔の中から。
 ずっと、出ることすら許されなかった、その場所から。
 サリエが茫然とハルラを見る。彼女は唇を一度きつく噛み締めて、ゆっくりと首を振った。長らく階段なんてものを使ったこともなかっただろう彼女の足は、小刻みに震えている。
「サリエ、いいから。……サリエは、地主の、息子でしょう?」
 この村での地主は、村長の役目を持っている。言い含めるようなハルラに、しかしサリエは頷かなかった。苦虫を噛み潰したような顔で、言う。
「俺は、地主の息子なんかじゃねぇよ」
 ただの、山羊飼だ。ドラードの眦が吊り上がる。サリエ、と叱りつける声が隣から響いた。それでもサリエは撤回しない。ハルラは哀しいような、やるせないような表情で、呟いた。
「……でも、わたしももう、千糸になっちゃったんだよ」
 痛切な響きがあった。
 その声を聞いた瞬間、心臓の底から胸許までが、きりきりと痛み出した。横を見るとドラードは口許を押さえていた。この男には珍しい、取り乱した姿だった。
 サリエは、目を見開いて、言葉を無くしていた。
 表情が失せ、紙のように白くなった彼は何事か言いかけて、けれども結局口を閉ざした。ハルラが塔の壁に寄っかかりながら、つめたい息を吐いた。
 一連の様子を眺めていた使者達のひとりが、すっと前に出た。女性だ。中でも位の高そうなひとだった。
「申し訳ないですが、私達はそろそろ行きますので。——あなた、ハルラ、でしたか? くれぐれも千糸の務めを全うするように」
 ラギ達が何か言う前に彼らはぞろぞろと去っていった。サリエが刺し殺したそうな顔で睨みつけている。ラギは彼らの後ろ姿をじっと見つめた。
 あの人達にとって千糸はまるで、道具のようだ。
 途方も無い愚かしさに吐き気がした。
 ラギはサリエの前を横切り、ハルラに近寄った。肩を貸してやる。ドラードもついきた。
「ハルラ、無事——」
「大丈夫。久しぶりに階段使って、ちょっと疲れただけだから」
「だが、おぶさった方が良い。……足が、あまり強くないだろう」
 そう言って、ドラードはひょいとハルラを抱え上げた。ハルラは十一、ラギは十二。ドラードは十八だ。背の差もかなりあるし、力も違う。けれどもこんな時だとい言うのに、ラギは酷い衝撃を受けた。ラギには、ハルラをこんな風に簡単に抱え上げることはできないだろう。
 ハルラは済まなさそうにドラードに礼を言い、ふらりと左腕を伸ばした。何かを探すように。そのあまりにもよわい動きに、ラギは思わず彼女の手を取ってしまった。すると、ハルラがほっと笑崩れた。誰かの手を、握りたかったのだろうか。ラギの手でも良いのだろうか。
「……サリエ、」
 吐息のような声に、サリエがはっと顔を上げる。ハルラはゆるゆるとわらった。
「サリエ、こんな時だけどね、でも、わたし、会えて嬉しかったよ、」
 最後に、声にはされなかった言葉を、ハルラの唇が形作る。サリエが愕然と目を瞠った。それからくしゃりと泣きそうになるのが、見えた。
 けれども涙は見えなかった。ドラードがハルラを塔の内部へ連れていき、ラギはそれについていったから。
 

 
 
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