そのよん:旦那様と媚薬




 食前の祈り以外の会話ひとつなく、淡々と過ぎていく晩餐の時間に、こんなにやきもきするのは始めてのことだった。食べ終わった食器が次々と片付けられ、ようやく腹を落ち着けるお茶のセットが運ばれてくる。給仕のひとりがそっとリディアンヌに近付いてきた。訝しげな夫に笑って誤摩化し、リディアンヌは堂々と媚薬を盛った。
「……今のは」
「ただのエッセンスですわ、旦那様。最近はやっておりますのよ」
「……そうか……」
 おまえのものには入っていないがとでも言いたげな眼差しに、わたしは砂糖とミルクを山ほどいれますのでと返してさらりと嘘を突き通した。計画犯罪は堂々と。
 オルレアンは珍妙なものを見る目でしばらくカップを持ったまま黙り込んでいたが、やがて気にしないことに決めたのか、こくりと中身を飲み込んだ。
(――――飲みました!)
 リディアンヌは心のなかで勝利の拳を握った。アニエス、わたし、やりましたわ!
 食い入るようにオルレアンを見つめる。そういえば、薬の効き目はどのくらい経てば現れるのだろう。即効性? それとも一日くらい経たないと駄目かしら。
 急いてはいけない。どきどきと期待に高まる胸を落ち着けるよう、ゆっくりとカップを傾ける。しかしまったく味が分からない。ああ、気になる。気になる! 今、旦那様は、どんなお気持ちなのかしら!
「……、……?」
 オルレアンは何か、魚の小骨でも引っかかったような顔をした。リディアンヌは、苺を溶かして砂糖を混ぜた、とろりとしたソースのかかった氷菓を口に運び、じりじりと反応を待った。
 視線が、向く。
 オルレアンがリディアンヌを見る。
 ごくり、と彼女は生唾を飲み込んだ。心臓が早鐘を打っている。
 オルレアンが口を開く。とてもゆっくり。
「君、溶けているぞ」
「……えっ」
 溶け?
 何のことだ、ときょろきょろ見回し、はたと氷菓を見る。確かに溶け始めていた。いつの間に。カサンドルの森の奥には、万年氷に覆われた不思議な湖がある。そこでばんばん氷が取れるので、このあたりでは比較的安価な菓子なのだが、寒い時期に食べるものではないなあ、と実は思っていたりする。とはいえせっかくの糖分がもったいない、とリディアンヌは慌ててスプーンですくいあげた。ぱくぱくと食べ進める。それから、あれ? と首を傾げる。
(……効果、遅いのかしら)
 ちらりと夫を見上げる。変化は、特にないようだ。うん。リディアンヌはがっかりした。でも、アニエスは名高い魔女なのだ。きっとちゃんとした媚薬を作ってくれたはず。明日には効いているだろう。明日だ、明日。急いてはいけないと思ったばかりではないか。そう気を取り直し、氷菓の最後のかけらをすくいとる。
 見上げた夫の口許が、柔らかい微笑みの形をしていたような気がしたけれど、期待し過ぎた自分の気のせいだろうとリディアンヌはすぐに思い直した。

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