そのじゅうに:奥様と園遊会




 馬車に揺られること数時間、昼の頃合いにバシュラール夫妻は友人邸に訪れた。 
 エルロイの屋敷は赤い煉瓦を積んだ外壁と、蔓薔薇の絡まる門を持つ、こぢんまりとしながら品の良い館だった。華やかな主人にしては意外な感もあるが、見比べるとなぜかよく合っていた。
 フェルディナンは大仰に両手を広げてオルレアンに抱きつき、次にリディアンヌの手を取り、礼儀正しく、くちづけない程度に唇を寄せた。顔中に歓迎の意を示して、庭園に招いてくれる。リディアンヌはちらりと夫の横顔を見上げた。そして、ちょっと瞠目する。驚いたことに、オルレアンは仄かに微笑んでいた。いつもいつも彼を観察していたリディアンヌでなければ気づかないほど、わずかにだったが。
 ふむ、と奥様は認識を改めた。
 どうやら、この園遊会は、旦那様の望むところだったらしい、と。
 




 正面の庭には、すでに何組もの招待客が集まっていて、それぞれ和やかに談笑していた。王都とは遠く離れているというのに、よく集まったものである。フェルディナンの人望だろうか。
 彼はオルレアンと少し会話を交わしてから、名残惜しそうに他の客のもとへ移動した。招待主なのだから仕方ない。
「それにしても、旦那様」
 ふう、とリディアンヌは頬に片手を添えて、嘆かわしげに言った。
「子爵様と本当に仲がおよろしかったのですね。わたし、よけいなことを言っていたのですわ」
 まったく情けない。下手を打ってしまった。調査不足である。もっと旦那様のことを知らなくては。帰ったら、使用人たちにいろいろ尋ねてみなければなるまい。奥様は目を光らせた。
 オルレアンは自省する妻に目を細めて、やんわりと首を振った。
「君の気遣いは、嬉しかった」
 やわらかく低い声が耳朶をかすめる。そうして、無言で彼を見たリディアンヌにとても自然な動作で腕を差し出した。リディアンヌはほんの一瞬の硬直のあと、これまたごくごく自然にその腕を掴んだ。白い長手袋は百合の刺繍がほどこされ、銀色の蔓が華奢な腕の線に沿って伸びている。普段は手袋などつけないので、いささか違和感がある。こういう社交の場に出るのも久しぶりだ。旦那様は忙しい人だし、そもそも滅多に王都に出ない。リディアンヌに至っても、特別社交好きというわけでもないので、自然と彼女の足も遠のくのだった。
 だから、つまり、平和惚けしていたのだろうと思う。
 バシュラール夫妻が庭にいくつも置かれたテーブルの一角に向かうと、ふたりに気づいたらしい客たちの視線がいっとき集まった。新しい客が誰なのか、見分けようとしているのだろう。好奇心に満ちたまなざしはやがて悪意ない微笑に変わる。憐れみを感じる、おそらく、定義するならば、優しい視線だ。もちろんすぐに興味を失う者もいれば、オルレアンの方に片手をあげて挨拶する者もいる。そういうひとたちの大半は男性である。そしてほとんどの女性は、リディアンヌを見ていた。憐れまれているのは、だから、言うまでもなく、リディアンヌなのだった。
 草花の刺繍のされたうつくしい扇で口許を隠し、顔を寄せ合った彼女たちの、ひめやかな囁き声が風に乗って聞こえてくる。こんなに遠く、こんなに人が多いというのに、人間の聴覚と不思議なものである。リディアンヌは、やはり代理を立てるべきだったかしら、と一瞬だけ考えた。だがすぐに否定する。夫婦で呼ばれているのに代理を立ててどうする。だいたい、集まりに呼ばれることなどこれから何度だってあるだろう――バシュラール家が潰れでもしない限り。いつまでも避けて通るわけにはいくまい。
 ――そう。
 目を背けてはならない。
 背を向けてはならない。
 俯いてはならない。
 逃げてはならない。
(ええ、お父様)
 ヴォルパス伯爵夫人はうっすらと口角を引き上げた。隙なく紅を刷いた唇は絶妙な角度で笑みほころび、つややかな赤が陽光に輝く。ゆったりと背筋を伸ばし、そっと小首を傾けて、夫の腕に添えるおのれのそれを、湖面の色の布地になされた金糸の刺繍、それから小粒の金の釦の袖飾りが、最も美しく映えるようにさりげなく動かした。
 よし、と心の中で拳を握る。
 首尾は上々。
 滑り出しが悪かったわりには、持ち直せた。
「旦那様、何を召し上がりますか?」
 笑顔で隣人を見上げれば、それまで無表情だったオルレアンは、数秒の時間をかけていつになく愉快げに微笑んだ。先ほどのリディアンヌ同様、口の端を歪めるようにして。
「まずは、知人に挨拶を」
 君を見せびらかしに、というあまりにもらしくない爆弾発言を落として、彼はまたもや妻を硬直させた。リディアンヌは笑顔のまま蒼白になった。
 怖くて気絶しかけた。 


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