……まぁ、腐ってもあたしは高校二年生だ。あと数年もすれば対外的には社会人の括りに入る。そんな大分歳も経た人間が小学生乃至は夢見がちな乙女——いやさ少女漫画に脳まで耽溺した思考には陥らない。——即ち、二人が相思相愛のカップルなぞとは。
ただ。
ただ、こういうことか、と思った。
佐川が、誰か、佐川のとてもすきなひとと仲睦まじくある傍で彼らを見ている、というのはこういう感じなのか、と。
それは、何だか、酷く胸に重かった。重くて、もどかしいような、悪く言えば嘔吐感を覚えるような、そんな感情だった。
とはいえ、今最も気になるのはそこじゃない。
「……ね、深緒、泣いてない?」
これだ。
だけど、くっきり眉間に皺を寄せて言ったあたしに、千乃は見事に眉を跳ね上げ、はぁ? と素っ頓狂な声を上げた。む。なんだなんだ、どんな反応だ。あたしにも深緒にも失礼じゃないか。おまえは友情ってもんがないのか!
そう噛み付きたいのを我慢して、何さ、と返せば、佑香まで呆れたような表情になる。
「……春夜ぁ、それまず言うこと?」
「だってそう見えるよ」
「んん、じゃ、なくてねぇ」
「あんたってこう、どうして乙女な思考回路してないわけ?!」
「何それー、二人とも深緒心配じゃないの?」
正気を疑うわ、と思いっきり口をへの字にする。と、二人はうっと詰まった。……やっぱり一応心配ではあったらしい。
「んー、何が、あったんかなぁとは思う、けど」
「や、何もなかったら泣かんでしょう」
「そうじゃなくて! ……ぶっちゃけ、これは深緒にとって見なかったフリをした方がいいのかそれとも、っていうのが一番気になる」
むぅ、と腕組みする千乃の言葉に、なるほど、とあたしは佑香と二人して納得した。
誰しも、大多数に触れられたくないこともある。
反対に、他のひとは駄目でもこのひとだけは大丈夫、というのもある。それはそのひとが日常的に“特別”という場合もあるだろうけど、その時その場合に限って、というのもある。ケースバイケース、ってやつだ。だから、普段なら友達に喚き散らしてしまう子でも、どうしても知られたくないことだってあるだろう。多分、千乃が危惧してるのはそういうことだ。なるほどなるほど、とあたしは頷いた。こんなでも一応、友人なのだ。……がつんと口に出すのは抵抗があるけれど。何しろあたし達はまだまだ若くて青くって、——佐川みたいに、老成してない。それにはっきりと、友人だと言える自信も薄い。大事だっていうのは本当なのに、相手にとってもそうなのか、っていうことに不安になる。信頼してないとかそういうことじゃなくて、まぁ、無意識に、躊躇しちゃうみたいなもんだろう。ってそんなことは兎も角。
「……深緒が泣くなんて、珍しいよね」
ぽつんと零れた佑香の呟きに、あたしははっと眼を見開いた。ああ、そうだ。さっきから何だか嫌な感じにドクドクと鼓動が早まってたのは、妙に焦るような気分になってたのは、そのせいだ。
深緒は、大体もの静かで、ゆったりしてて、あんまりガンガン言う方じゃないけど、だからってよく泣く方でもない。気が強いなんてことはないけど、気が弱いこともない。なんていうか、うん、司書さんとかが似合う、セピア色な雰囲気な子だ。深緒の隣は居心地が良いから、お弁当を食べる時、あたしはなるべく傍にいくようにしていたりする。
穏やかで、ふんわりしていて、フォローが上手くてちょっと苦労性で、でもたまにグサッとくることを言う、……美人だ。ここ重要。そうそう深緒は美人なんだった。
(……あ、)
ふとあたしは深緒と佐川の方を見やった。二人はまだ、黙ったまま突っ立っている。ほんの少し、苦しいような気分になったけど無視した。本当に、深緒の表情が遠目からでも暗かったから。
——なんか。
なんか、似てるな、とあたしは思った。
深緒と佐川の落ち着いた、柔らかい空気が、穏やかさが、思い出せば出す程似ているような気がした。
目を閉じる。
雨の音。
聞こえるのはそれと、密やかで、心配気な佑香達の声。
それから、鼓動。
あたしの。
……目裏に浮かぶのは、やっぱり、佐川だった。
「……木戸くん、かな」
あたしは意識せずそう呟いていた。
え? と千乃と佑香が首を傾げる。……もっと言えば、千乃が「ああん?」みたいな上がり口調だったけど。
「ん、ほら、深緒、木戸くんと出てったじゃん。だから木戸くんとなんかあったのかなぁと」
「木戸くんシメる」
「ちょっとちょっとちょっと待ちなさい千乃! んもう、別に木戸くんがなんかしたって決まった訳じゃないでしょ」
……どうでもいいけど木戸くんは本当に誰からも木戸“くん”と呼ばれてるなぁ。シメる、って言いながらくん付けだとギャグにしか聞こえん。
「てかさ、木戸くんと深緒って、なんかしっくりくるようなこないような組み合わせよね」
「ぇえ?」
佑香に全力で嗜められてふて腐れる千乃の言に、あたしは何それ、とばかりに疑問符を浮かべた。だけど、佑香は確かにと言いた気に頷いている。……んんん?
「……えーと、どゆこと?」
「だーからぁ、木戸くんと深緒って、わりと仲は悪くなさそうだけど、でもだからって異常に接点がある訳でもなさそうじゃん。普通にクラスメイト、っていうか」
「喧嘩するような仲でもなさそうだしねぇ」
口々に告げられてあたしは言葉に詰まった。二人が言いたいことは分かったけど、いやでもと反論する言葉も喉まででかかったけど、二の句が継げない。——木戸くんの気持ちを、勝手に言っていいものか、微妙だからだ。
そりゃあ、二人にもバレバレだったんなら躊躇なく言えたけど、何だか全くその気配がない。言い難いったらない。風が吹けば飛んでいくような噂話になるネタでもない気がする。
……という訳で、あたしはうーんと唸った。ひとり、恋愛面から考えを巡らせる。
(なんだろ。告白されたとか? や、じゃああんなに暗い顔にはなんないかぁ)
むぅ、分からんなぁ。
乙女心は秋のなんちゃら、っていうけど、乙女心が分かるのは乙女本人だけだと思う。同じ“乙女”って括りに入る人種でもさっぱり分からないのだから。
「ね、どうする? ……ってちょっとハル、あんた聞いてんの?」
険を孕んだ千乃の声音に慌てて首を縦に振る。どうしようねぇ、としゃがみ込む。
個人的にはここは見なかった振りをした方がいい、に一票入れたいところだけど、気にならないと言えば嘘になるし。再び唸っていると、
「ああ、そうだ、じゃあ後でなんかあったの、って聞いて、反応が芳しくなかったら忘れることにしよう?」
ぽんっ、と手を叩いて佑香が晴れやかに提案した。
……なるほど。
そりゃいい考えだ、と笑って。
というか今まで何故気付かなかったあたし達、と微妙な気分になった。
「……どうしよう、もう、駄目なのかなぁ。喋るのすら、出来ないのかなぁ……っ」
「さぁなぁ。でも、多分、大丈夫だろ。あいつもきっと、苛立ってたんだ」
「で、も。それ、私、の——せい、なんじゃ」
「うーん、どうだろうな。でも、それなら、当座の目標は変わらないだろ?」
「……うん」
「な。じゃ、落ち着いたら練習しようぜ」
「うん…、うん……っ。ありがとう…………!」
あたし達が抜き足差し足でそろりそりりと退いた後。
そんな会話が、二人の間で成されていたことを、あたしは知らない。