一頻り笑ってから、ゴミ回収係が持つ大きいポリ袋にかこんと缶を投げ入れる。

「佐川、貸して」

「ん? ——おお、さんきゅ」

 いえいえ、と空き缶を受け取り、また同じように袋へ落とす。あたし達の分が終るとゴミ係はのそのそと面倒そうに、他の片隅にたむろしているところへ行った。缶を捨てると千乃は井場と一緒に、深緒と木戸くんを探しに行き、礼奈は新谷に背中を預けて休んでいる。あたしはほっと息をついて、衣装縫いの続きをしようかと手を伸ばした。ところで、佐川が声をかけてくる。

「ハルちゃん優しー」

 へらへらと嬉し気な顔が憎らしい。何が優しー、だ。

「だーまーれー。ハルちゃん言うなって言ってるでしょーが!」

 呼ばれるたびに確かにあたしの心中は歓喜して、すぐに失望する。泣きたくなる。

「はいはい可愛いねぇハルちゃんは」

「だぁからぁ、——って、わぷ。やめ、ちょっと佐川!」

 良い加減げんなりしてきつつも、一応反論しようとしたら、ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられた。う、わ、わ。あ、頭に、手。かぁあっと頬が赤くなる。何故か佐川はよくこういうことをする。本人曰く丁度撫でやすいとのことだけどやられる方は心臓バクバクだ。あと痛い。…………あ、れ?

(……? なんか、今日は痛くない、なぁ)

 くすぐったいし猛烈に恥ずかしいけど、痛くはない。から、うっかり大人しくしてしまった。

「ハルちゃん犬みたいだな」

「ってやめい! あーもう、ぐっしゃぐしゃ」

 ぶるるるっとかぶりを振って無理矢理佐川の手から抜け出す。はぁはぁと荒く息をつき、あたしはぐったりと机に突っ伏した。

 ……佐川の手は、大きくて。ちょっと皮っぽくて、硬くて。

 温かい。

 おじいちゃんの手みたいで、つい、気が緩む。

(やっぱ、佐川ってじじむさい、んだなぁ)

 うんうんとひとり頷く。そうさ、だから犬とか言われても寛容なあたしは怒らない!

「……朝倉、なんか失礼なこと考えてない?」

「ない」

 鋭い。

 と思いつつもあたしは引きつった笑顔で即答した。

 ……ものすごく疑わしそうな目で見られた。

「……えーと。間中ってば回りくどいよねぇ」

 誤摩化してみた。

 佐川は呆れたように鼻で笑った。……む、むかつく。

「まぁなぁ確かに。でもあいつにとってはわりと大きくて面倒なことだったのかもよ?」

 一瞬、あたしは佐川が何のことを言っているのか分からなかった。

「え、間中?」

「いやいや朝倉がした話だろ」

「あー、うん。ごめん」

 曖昧に謝ると、おかしそうな笑みが返ってくる。どきり、と。した。

「……どういう意味?」

「お? ああ、さっきの? そのまんま」

「そのまんま?」

「そのまんま。客観的にも大したことじゃなくて、あとから思い出せば自分でも大したこっちゃなくても、その時はめちゃくちゃ、大したことだったかもしれない、って話」

 その時は、大したこと。

 ぎくりと、背筋が粟立つようだった。

 それじゃあ、今、必死に逃げようとしているこの感情も、いつかは大したことじゃなくなるんだろうか。吐き出してしまえば、なくしてしまえば。いつかは。

 ……それは、酷く、怖くて、恐ろしいことのように、思えた。

(おかしいなぁ。あたしは、こんなに逃げてるのに。そんなことを思うの)

 矛盾している。

 パラドックス。あるいはバグ。

 恋情に壊れて、支配されて。

 なくしたいのに、なくすのが怖い。

「じゃあ、大したことじゃないって、否定されたら。間中は嫌な思い、とか、するかな」

「さぁなぁ。俺は成行じゃないから分かんねぇけど」

 う、とあたしは詰まった。そりゃそうだ。

 だけど。

 ふわ、と、また。

 頭を撫でられる。声が降ってくる。淡々と、軽薄で適当で、老成した穏やかな声。

 ああ、あたしは、この声がとても好きで。

 どうしても、優しい、と感じてしまう。

 だけど、と佐川は続けた。

「俺は(、、)、うじうじして悩んでた時にがつんと啖呵切るみたいになんか言われたら、結構嬉しい」

 ……なんだか、言われたことがあるような、言葉だ。

 あたしはいつものように佐川の手を振り払おうとして、やめた。佐川が、いつもと違うような気が、したから。

「佐川はそうだった、の?」

「そこ突っ込む?」

「いや言わんくてもいいけど。言い方が、そうっぽかったから」

「んん、まあ。——俺、じいちゃんっ子だったろ?」

「ん? ああ、そういやそうだったね」

 唐突な言葉に戸惑いながら記憶を紐解いて頷く。そう、そうだ。佐川は中学の時から、じいちゃんっ子だった。じいちゃんっ子っていうか、単純に、おじいちゃんを慕っていて、それからよく仲がいいんだろうなぁというような感じが窺える話をよく聞いた。だから。

 だから、佐川のそのおじいちゃんが亡くなった時、佐川はたぶん、ものすごく落ち込んでた。

「……それはもうウサギのように」

「……ハルちゃんそれ俺のこと言ってんの? 勘弁して」

 ぐっ、と拳を握りしめて言ったら、げんなりとした返答が降ってきた。すぐ近くに吐息が感じて、首筋をくすぐる。どく、と心臓が鳴った。

「そのおじいちゃんの時?」

「そー。腑抜けて鬱ってる時にさぁ、ハルちゃんが」

 だからハルちゃんと呼ぶなと。ひくっと引きつった時。

 …………————んん?

「————————あたし?!」

「遅い」

 仰天して叫んだけど、あっさり切り捨てられた。くそぅ。

(えーでもあたし? なんか言ったっけ? 嫌な予感しかしないとかコレ如何に)

 ぐるぐる考えても心当たりは出てこない。その間にも佐川の話は続く。

「で。ハルちゃんがね」

「うんハルちゃんって呼ぶな?」

「はいはい朝倉がね。『うじうじの仕方が分かり難い! もっと赤ちゃんくらい分かりやすく嘆いて! こっちがやり難いったらもう!』って胸ぐら掴んできた訳ですよ」

「…………」

 ざー、と血の気が引いた。

 ……いや、うん。覚えが、なくも、ない。

「ど、」

「うん?」

「どちらの朝倉さん?」

「今俺の隣の朝倉さん」

 ぐは。

 あたしは心の中で盛大に呻いた。それから激しく過去のあたしを罵倒した。——ばか! やり難いってなんだあたし! 意味わかんないよ! いや分かるけどあんた酷過ぎ!

「ご、ごめん」

「いやいやいや。インパクト超でかかったから。謝んな」

「ごめんそれフォローになってない」

「ははは。で、その後にじいちゃんの好きなものとか買いまくってやりまくって、最後にじいちゃんが一番好きだった川原に、じいちゃんが好きだった花の種を埋めて。疲れてる俺にとどめ刺すみたいに『じゃあ泣いとけ』とかオトコらしく言っちゃってさ」

「……泣かなかったじゃん」

「あ、覚えてる?」

「覚えてるよ。……あの時は若かったんだ」

 あたしは真っ赤になりながらよく分からない言い訳をした。

 佐川はやっぱり可笑しそうに、へらりと微笑った。

「俺もな。でもそれで、あーそーすりゃいいのか、って思ったんだよ。相変わらず、じいちゃんが死んだのはすんげー嬉しくないけど、とりあえず朝倉の言う通り、ちゃんと食って寝てじいちゃんを目一杯惜しんで悼んで、それから普通に泣きゃ良かったんだなぁ、と」

 まぁ、そんな感じに、と笑う声が酷く耳に優しい。それこそ慈しむみたいな。ああ、と思う。ああ、佐川は、佐川のおじいちゃんみたくなりたくて、本当にそんな感じの雰囲気を身につけたんだろうか。そういえば、こんなに遠くを見るような目になったのは、佐川のおじいちゃんが死んでからだった気がする。幾年も生きたみたいな達観した眼差し。深い、色。穏やかな空気は昔からだったけど、あの時それは濃くなったのかもしれない。

「……あたし、それ、言ってよかった?」

「少なくとも、俺にとっては」

「でも泣かなかったし」

「まだ言うか。……いつでも泣ける、って思ったからな」

「……そっかぁ」

 そうか。

 ふっと胸の奥が酷く温まる。規則正しく、心臓は早鐘を打つ。どく、どくと。てのひら、ゆびのさきまで熱い。

 別に、たぶん、それで佐川の役に立った訳じゃない。分かってるとも。だけど、でも。

 嬉しい。

 それが、佐川にとって、嫌な記憶じゃないなら、すごく嬉しい。

 ああもう。

「よし。衣装縫い、する」

「唐突だなぁ」

 このひとが、すごく、好きだ。

 

 


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