そもそも何故こんな目に合ったのか。
 それというのもあのくそじじいの女癖の悪さにあるといえよう。





 と、いうのもトューリィの産みの親でありもうこの世にはいないとある夫人の囲い主……ああまだるっこしい、つまりは彼女と直接的に血の繋がりがある人間の一人をケルファニア公爵という。断じて認めたくないことであるが血筋的に言うとトューリィの父親である。無類の女好きである彼は、妾の数と同じくらい無駄に権力があったため、一年とちょっと前に皇位についたばかりの若き王の伴侶に己の血を引く娘を嫁がせようと画策した。そうして彼に選ばれた、もとい白羽の矢を立てられた、丁度王と年近く、――もっと直截的に言うと並みいる妾たちに生まれた数え切れないほど多くの娘たちの中で、ケルファニア公爵の血を引いているという確信と確実性が最もあり、かつ王と年近くさらに直ぐ呼び寄せられる地に住んでいた娘がトューリィだったのである。死ねよ、と心中でつい呟いてしまった彼女を一体誰が責められようか。否、責められまい。反語。
 そんなわけで、トューリィ=ル=ファリストリスは彼女にとっては非常に不本意なことに現フィエラント皇帝ヴァルト=ラリス=ラ=フィエラントに拉致紛いなことまでされて嫁がされたのだった。

 ――だった、じゃないっつの。

 目隠しをされたまま白亜の宮殿に放り込まれた彼女が、しかし深窓の令嬢の如く泣き暮らすのではなく、びきびきと額に青筋を浮かばせながらぶるぶると震わせた拳を容赦なく壁にぶつけたのは一週間と少しばかり前のことである。






 ぶらぶらと足を揺らしながら、大体、と憤る。
 大体、自分は数年前に養子に出されて、もうあの男とは何の関わりもないことになっていたはずなのだ。だというのに何を今更呼び戻したかと思えば勝手に己の欲望に活用しやがるのだ失礼ったらありゃしない。そもそも顔を見るのも嫌だった彼女がわざわざ招きに預かってやったのは養父母と義兄が微妙に切なそうな顔で「良かったねぇ……」「ゆっくり話してくるんだよ……」「……ま、水入らずしてこいよ」とかなんとか見当違いなことを言ってくるから仕方なく出むいたのだ。はっきり言ってうんざりげんなりだったが、ちょっと話してさっさと帰れるかと――つまり、ただのくそじじいの気紛れだと、高をくくっていたのだ。
 いた、過去形。
 無表情な執事にがっちり腕を掴まれ不意打ちで妙な薬を嗅がされたかと思えば起きたら視界が真っ暗という謎な状況。数秒してから「…………め、目隠しー!」と気付けた自分はなかなかだったと言えよう。言えるったら言えるんだよ突っ込むな! そうしてこの後宮、ラファトリジャの豪華絢爛な一室で漸く日の目を見れたときには、トューリィの身分は王の妻ということになっていた。
 ――いや。
 今はまだ候補、である。
 当然のことだがあの色ボケじじいのことを気に食わなく思っている貴族は山ほどいるし、他の自分一押しの娘を王の妃にと望むものも沢山いる。公爵といえど、いきなりぱっと連れてきた娘をぱっとそんな重要な地位に押し込むことなど出来ようものか。よって、彼女の身分はいまだ王の嫁候補。なんて宙ぶらりん。だがトューリィにとっては喜ばしいことであった。
 本決まりというかくそじじいに強行突破される前に、もっと綺麗で美しく才溢れる、つまりは才色兼備な王好みの令嬢を探してあてがってやればいいのだ。その娘が嫌がったら仕方ないが、現皇帝はそれなりに見目良い。外見に「私の運命のお方!」と惚れるような奇特なものもいるやもしれぬ。……昔、友人にいたのだ。そういう子が。トューリィがそんな夢見がちな性格をしているわけではない。
 別に陛下のことが殊更嫌いなわけでも、好いた男がいるわけでもないが、彼女は何が何でも皇妃なんて嫌だった。
(うんよし! ここの生活も慣れてきたし、明日から探そう! ぜっっったいあの男の言う通りになんかなってやるもんか滅べ禿げろあんの色ボケじじい!)
 半分は意地である。
 そんなことを数秒のうちに思考し、トューリィは飽きれた風情のルーフィアに宣言する。
「私はっ、はやくっ、この王宮から、で」
「――――おまえはなんて格好をしてるのだこのバカ者――――――ッ!」
 ……宣言しようとして今最も聞きたくなかった声に遮られた。

 
 そうして冒頭に戻るのである。



 透けるようで透けない、白く露出の大きい上衣にゆったりとした膝までをそれぞれに覆う、同色の下裾着。
 トューリィはドロワーズ、否子供の寝間着のような下着姿だった。
 心底嫌そうに顔をしかめる少女を、ヴァルト及び側近二人は絶句して凝視していた。
 あられもない、と表現したいところだが、百歩譲ってもはしたない止まりとしか思い得ないということがそれはそれで凄い。その全くもって色気の欠片もないところがある意味救いかもしれない。
「げー……なんでへーかが……」
「……な、ななななんっっでおまえはそんな格好をしているんだ!」
 ぶるぶると拳を震わせながら漸くヴァルトはそう言った。この後宮、滅多に人は入ってこないがしかし中で働いているものももちろん居る。その中には例外的に出入りを許された男の使用人もいるし、そもそも見られないから良いという問題でもない。室内でそういう格好をしているのは兎も角、こんな庭にばっちり面した場所で着替える様子もなく立っているというのはどう頑張ってもまずいという答えしか出ないのは自分だけか。
「そんな格好って……別に。どうせ誰も見ないし。街中じゃないんだから良いでしょ」
 むすっと少女は呟く。
 ふつっ……と何かが頭の奥で切れた。ヴァルトはぐらりと目眩がした。
「――――あ、」
 震える声にはっと側近二人が身を引く。ルーフィアは明らかに面倒そうな顔になった。
「アホか―――――――――――ッッッ!! 」
「っ、うるっさいな! 誰も気にしないっちゅうの―――ッッッ!」
 びりびりと谺する怒声に一瞬眉をしかめたトューリィだったが、彼女は意外にもすぐさま切り返してきた。
 が、そんなことは兎も角。
「お、まえ、には恥じらいというもんがないのか!」
「こんなとこで恥じらいも何もないよ!」
「気にしない気にするの問題でもない!」
「ちょっと聞いてる?! 」
「だいたいなんだって裸足で庭に降りてるんだ! もし来客があったら失礼だろうが!」
「後宮にくる客なんてへーかぐらいでしょうが! 他のやつはへーかからの伝達がここまで届いてからじゃないと問答無用でつまみ出されるでしょ!」
「だからそういう問題じゃ――――」
 喧々囂々と放たれる応酬に、マルスとクラエスがさりげなくルーフィアとともに逃げ出した。
 それに二人が気付くのは実に二刻を過ぎた頃である。





 マルスはふんわりと花の如く微笑む侍女に薄ら寒さを感じた。
「ルーフィアさん?」
「何でしょう」
「その笑顔気味悪いですよ」
「! ぅおいクラエス!」
 ざっぱり切ったのはもちろんマルスではない。薔薇の美しい庭の南。淡い白薔薇がアーチを形作る「蒼恋苑」の玄関口を抜け、ひっそりとしつらえられた白いガーデンテーブルに遠慮なく座り込んでさっさと読書に入っていたクラエスである。後宮で本読むとかどういう、と思いつつそれは突っ込まない。いつものことだからだ。
 ルーフィアはそうですか? と微笑んだまま首を傾げ、持ち出した布に刺繍を施す。どうやらかの令嬢つきになって以来、あまりすることもなく暇を持て余しているようだ。まぁ彼女の存在を知っているのは未だ数えるほどであるし、外に出す機会もあまりないので、ちょっとした世話をするだけでやることがなくなってしまうのだろう。なんせあの少女だし。
(……うーん)
 この状態は軽く牢獄のようなものの気がするのだが、いかんせん当の本人が妙に元気というかかっかして自由にしまくっているため、なかなか緊迫感が窺えない。というか、もし二人が出会った時に恋に落ちてくれればこれ以上楽なことはなかった気がするのは気のせいだろうか。
「それにしても」
「ん?」
 クラエスが本から目を離した! 軽く驚愕しつつそのそぶりは見せずに聞き返す。
「あの二人、どうするんだろうね」
「ああ、ねぇ。というかトューリィ殿は本ッ当に嫌なんだなぁ」
 彼らの主はそれなりに見目麗しい。王家の血筋か何か知らないが、現王家は代々美形揃いだ。それが能力に比例するかと言えばそれはまた別の話だが、とりあえず目の保養程度にはなる美形。ヴァルトだって伴侶になるには充分色男な見た目だと思うのだが、妻である――正確にはまだ候補だが――少女はまったくそれに頓着していないように見える。
「トューリィ様はそもそも貴族社会に興味がおありにならないようですよ」
「あ、そうなんですか? ってでも貴族の娘ですよね?」
「まぁそうなのですが、あの公爵様のお子様ですから。他のご兄弟と違わず養子に出されていらしたようです」
 ケルファニア公爵。
 フィエラント随一の色狂い。
 歴代の最も女好きだった王すら足下にも及ばない、おびただしい数の妾を抱え、それを上回る人数の子供がいる。その数は当の子供達ですら量り切れないらしい。というか恐らく数えるのを諦めるほどいるのだろう。なので知らない異母兄弟たちや義母達がたくさんいると、その中の一人が昔言っていた。恐ろしいのは一応全ての妾をきちんと養っている財力である。養うというか、生かすというか、だが。
 しかし子供は養子に出す、という容赦のなさ。女しか興味ないのかあれは、とはぐったり調書を眺めていた主の言である。
「養子に出したなら呼び戻すなよ、って感じなんでしょうねぇ、姫にとっては」
「良い迷惑だね」
「トューリィ様は陛下に新たな嫁でもくればいい、とお考えのようですよ」
 クラエスとマルスは沈黙した。
「……いや、それは。結構無理があるんじゃ」
「後宮の仕組みや階級云々は別として、陛下は妻を娶る気あんまりなさそうだし」
「ていうかさぁ、あの人トューリィ殿逃したらいくら経っても結婚しないんじゃね? 幸い兄弟いるし、甥か姪を後継に、と」
「しそうだね」
「陛下は女性がお嫌いなのですか?」
 不思議そうなルーフィアの問いに、
「いや、ただの恋愛下手」
 マルスは即答した。


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